成功、喜び、幸せ、安らぎの条件


1)「希望を持ち続けること」


2)これだけは絶対、
人間として捨ててはいけないこと。


3)どんな困難、苦しみ、挫折を味わっても、
未来の自分に希望を持ち続けること。


4)希望さえ持っていれば、
必ず阿弥陀の久慈(久遠の慈悲)が待ち受けている。



現実的な問題


1)成功、喜び、幸せ、安らぎの尺度とは?


2)経済、健康、家庭、人間関係、容姿、時間


3)希望を持ち続けることで、必ず道ができる


4)希望実現は一定の法則に従う


5)思っているだけでは実現しない


6)智恵や具体的な行動、実践、考え方、

努力、工夫などが必要



それでは、何を持って成功というのか?


何を持って喜びというのか?


何を持って幸せといえるのか?


何を持って安らぎというのか?


これらは、

人によってそれぞれ答えが違うと思います。



下記は、以前の緊急レポートで書いた内容です。



JES緊急レポート №12
あなたの中に潜在する、真の成功と財運の扉を開く!


『成功は、“本当の自分”を知らなければつかめない』


成功とは幸・不幸と同じで
相対的(他との比較)なものとして考える人は多い。


「あの人より私のほうが成功している」

といった比較による成功感とか、
「あの会社よりも収入が多い」といった量的尺度や

物質的尺度で判断している。


更に、どこからどこまでが成功で、
どこからどこまでが失敗者だ…というラインはない。


成功を求める人たちは、
みな、何らかのイメージや目標や夢を、
漠然としたものや明確さを問わず持っているはずだ。


「1億円あったら成功者だ」


「ベンツに乗って豪邸に住んだら成功者だ」


「会社が株式上場したら成功者だ」…。


では、マザー・テレサはどうか?


彼女は生涯を通してお金も豪邸もベンツも持っていないから、
失敗者にあたるだろうか?


天才画家ゴッホはどうだろう?


苦悩にまみれた人生を送った後、
彼の絵画が売れて名声を博したのは死んだ後である。


このように成功の尺度や定義は人によって様々だ。


しかし成功の定義は人それぞれ違っていても、
何らかのイメージなり希望なり目標は

誰しも必ず持っているはずだ。


確かに、
現在の自分と成功を実現した未来の自分の間には

ギャップがある。


そのギャップを埋める要因を考えてみよう。


ひょっとして、
自分を成功させない何らかの阻害要因があるのかも知れない。


行動、

努力、

才能、

人脈、

時間、

性格、

法律、

社会、

家庭、

環境…


このように自己を第三者のように調査することを「内省」と言う。


何が自分に不足していて、
何が自分の未来を縛っているのかを調べてみるのだ。


不足しているものを補うのは意外と簡単だ。


しかし、

自分の手足を拘束されて縛られている場合は困難を伴う。


なぜ困難なのかというと、
ほとんどが「人のせい」と「あきらめ」になってしまっているからだ。


だからいつもそこで止まってしまう。


身体に鎖ががんじがらめの状態で巻き付いており、
歩くときにはまるで、
ガチャガチャ音を立ててるような不自由さを感じるだろう。


人間はもっともっと自由に作られたはずなのに。


しかし内省も突き進めていくと、
誰もが最終的に気付くことがある。


「現在の自分を縛っているのは、
社会でも会社でも教育でも常識でも家庭でもない」ということを。


外界の誰のせいでもなく、
「自分自身」が自分を縛っているのである。


がんじがらめになった呪縛を解くのには、
本当の自分を知り、解く勇気と決心が要る。


人によっては食い込んだ鎖を剥ぎ取るには

痛みが走るときもある。


肉の一部、
骨の髄まで鎖が食い込んでいる場合もあるからだ。


しかし、この鎖を縛りつけたのは誰か?


「自分自身」である。


現在の自分を作り上げたのは誰か。


これも明らかに、「自分」という存在なのである。


自分が自ら選択した人生の結果が現在の自分なのである。


このまま何もしなければ、
未来も何も変わらず「このまま」である。


それに気付いてから、
初めて成功に向かって本当の第1ステップが始まるのだ。



神はお金を求めてはいないけれども、
でも現実的に考えれば、
今、自分の目の前に1億円があれば嬉しいし、
幸せにもなれるし、安らぎも得られる…という方もいるかと思います。


またお金以外でも、
この病気が治ったら幸せだ、という方もいるかと思います。


また、結婚できて、幸せな家庭が作れたら、最高の安らぎが得られる
…という方もいるかと思います。


経済・健康・家庭・人間関係は、とても現実的な問題です。


それだけに悩みを抱えている方も多いかと思います。


それでも、必ず希望さえもって生きてゆけば、
必ず次の救いの道が現れるようになっています。


希望は持ち続けることによって、
ある一定の法則に従って叶うのです。


勿論、ただ漠然と夢や希望を思っているだけでは叶いません。


そこには智恵や具体的な行動、
実践、考え方、努力、工夫などが必要になってきます。



虚偽の希望と真実の希望


希望の項目が、
自分の阿弥陀クジの中に
本当にあるかどうかの確認方法とは?


どういった方向に進めば、

どういった道が用意されているか。


どういった考え方をすれば、

どういった未来が開けるのか・・・

という絶対的法則がある 。


この絶対的法則が「希望の法則」なのである。



それでは今までの話で、

人生の「阿弥陀久慈」を、
それぞれの人がみんな持って生まれてくることは分かったと。


その中に項目のないものを求めても
得られないということも分かったと。


希望さえ持ち続けていたら、
道はまた現れてくることも分かったと。


でも、
その希望の項目が自分の「阿弥陀久慈」の中に本当にあるかどうか、
自分で確認できなければ、
単なる夢や空想に終わってしまうのでは・・・

という疑問が生まれます。


実は、生きているうちは、
理由があって隠されているんですね。


けれども、ある一定の条件をクリアすれば、
少しは見えるようになるんです。


はっきりと見えなくても、
どういった方向に進めばどういった道が用意されているか、
どういった考え方をすればどういった未来が開けるのか・・・
といった「見える法則」というものがあるのです。




希望実現のための数の法則


三位一体(思い・行い・儀式)×7=
21日間以上、思いと行動が継続すること。


21日間継続しない場合は、
虚偽の希望であり、
人生の阿弥陀久慈の中には存在しない。


「継続は力なり」は、21日目から現れる。


希望、願望、夢、健康、欲、何でもOK。


一時的に断念しても、
また再度21日間続けられたら真実の希望である。


40の数は完成を表わす。



「21と40の数の法則」というものがあります。


21とは、
「希望を実現するための数」というふうに通信を受けています。


40の数とは完成を意味します。


この21というのは、
思い続け、行動するための継続の数ですね。


例えば、前々回のブログで「アメリカの大統領になりたい」と、
強く希望した人がいたとします。


もしその人の「人生の阿弥陀久慈」の中に
「アメリカ大統領」という計画・・・
つまり可能性の項目がなければ、
いくら「アメリカの大統領になりたい」という強い願いがあったとしても、
結果的にその思いが21日間続かない、
つまり、思い続けられないようになっているのですね。


実は、これを「虚偽の希望」と言います。


人生の阿弥陀久慈に載っていない希望ですね。


21日間と言うのは、
真実の希望か虚偽の希望か、
それを調べる一つのチェック項目なんですね。


別な言い方をすれば、
人生の計画にないものを得たい、なりたいと思う虚偽の希望では、
21日間の間に、いつの間にか興味がなくなって、
その努力もできないし、しまいには思いもしなくなっていくのですね。


反対に「真実の希望」だった場合は、
最低21日間、次に40日間、
次に21ヶ月、次に40ヶ月、
次に21年間、40年間でも思い続け、
集中し、努力することができるようになっています。

(※ランティの40年間)


すると、阿弥陀の久慈(久遠の慈悲)が働くようになっています。


これが実は、本当の成功法則の要なんですね。


1億円の札束の写真とか、
ベンツの写真を貼っているだけでは駄目だと言うことになります。


なぜ21なのかは、また徐々に話していきます。


ヒントは三位一体の3と、7の倍数です。

最低でも21日間継続して、
思いや願いが変わらなかったり、変わるどころかもっと強くなったり、
行動を怠りなく続けられたら、その希望は真実の希望であり、
阿弥陀久慈に入っている可能性は高いといえます。


阿弥陀久慈にその項目が入っていさえすれば、
一定の法則で必ず叶うことになっているのです。