2006年7月12日 午前7時の通信から抜粋

 

 

「叡智」とは、

 

 


大宇宙意識と自身を結ぶ

 

内在された智恵(仏智・神智)であり、

 


大宇宙に広がる星々の如く、


偏りのない一定の法則によって湧出される。

 

 

 

 

 

人間の目的は、


叡智の湧出によって

 

ありとあらゆる万象万物の法則性を発見し、

 


かつてのイエス・釈迦のように、


過去世・現世・来世の時空を

 

超越した観自在力を顕現し、

 


実在と現象を統率することにある。

 

 

これらの能力は、

 


人間が大宇宙意識の分霊として存在する以上、


元々は誰もが内在されているものなのだ。


 


しかしながら、


虚偽に発達した現代の文明社会における


教育・環境・習慣・経験等に惑わされ、


本来の意識に自ら蓋をしてしまった。。。

 

 

※上記は、

 

通信を受けたは良いですが、

「じゃあどうすればいいの?」…って感じでした。

 

それが今回のA・K博士の、

『能力開発メソッド』 との出会いが関係しているのかもしれませんね。
 


無用の用


「無用の用」というものがあります。

 

中国の荘子が説いたとも言われています。


一見、無用や不要、
無駄なものと思われる存在でも、
それはそれで重要な役割を持っている…という意味です。


前にも少し触れました、「無理と無茶の違い」ですね。


ブレーキ、アクセル、ハンドルの遊びみたいなもんです。


一見これらは機能的に不要なものに思われるけれども、
遊びがなかったら大変な事故につながります。


我慢も間、
つまり余裕(間)のない我慢はガンになります。

(ガマン-マ=ガン)


我慢にも二種類あって、
『前向きな我慢』と『後ろ向きな我慢』があります。


『前向きな我慢』とは、
未来に向かって現在を耐え忍ぶ(忍耐)我慢です。


反対に『後ろ向きな我慢』とは、
誰かの犠牲になったりとか、
未来に対しての希望も夢も発展も見込めない状態での我慢です。


この意識や心が、細胞に変化を起こすようになるのですね。


細胞自体が自分を押し殺す・・・つまり自滅行為を行い始めます。


医学ではそれを、
「細胞の自殺行為(アポトーシス)」と呼んでいます。


本来、アポトーシスとは、
ガンになりそうな細胞を自動的に排出する働きのことで、
その許容範囲を超えると、反対に増殖してしまうのですね。


よって、我慢も限界まで来るとガンになる・・・という法則が働くのです。

 

では、

 

今の結婚生活が『前向きな我慢』か、

それとも『後ろ向きの我慢』か考えてみましょう(笑)。

 

これは冗談だとしても、

 

仕事の場合はこう考えます。

 

「いくら頑張っても会社は認めてくれない」、

 

「給料が上がらない」、

「会社に行くのが嫌で嫌でたまらない」、

「仕事をやってて苦しくて苦しくてたまらない」…

 

僕なら即座に会社を辞めます。

 

 

時間がもったいないからです。

(※自信があれば…の話ですが)

 

 

運の科学レポートに寄稿

 

 


この内容を、
神奈川大学の関邦博教授の「運の科学」のレポートに
「本井付記」ということで寄稿したことがあるのですが、
それをちょっと述べたいと思います。

 

本井付記


潜在能力とは、
「元々自分の中に存在する能力」のことを言います。


ただ、
氷山のようにほとんどが海中に沈んで見えないために、
その存在すら認めようとしない人が多いように思います。


この潜在能力の中には、
全て自分のプラス方向に働くとは限りません。


無意識で、
自分を自ら落としてしまうマイナス能力もあるのです。


では、ガンの“種”も元々、
人間の身体の中に潜在的に存在していたのでしょうか?


現代医学では
「元々、誰にでもガンは存在している」という説が有力です。


細胞が「何らかの要因」により突然変異(進化?)を起こし、
NK細胞の力では抑え切れなくなって、

ガンが繁殖してしまうと言うのです。


しかしそのガンは、
結果的には繁殖=死滅という宿命を辿っています。


宿主である人間が死んでしまうからです。


私はこれを「自殺細胞の宿命」と思っています。


ガンの繁殖・発展が、
イコール、ガン自体の死を意味するからです。


つまり、
「何らかの要因」とは、
“ガマンや逃避”、“恐れや不安”の成れの果てであり、
潜在的な“自殺願望”が
無意識のまま表面に現れた現象ではないかと思うのです。


潜在意識は、
無意識であっても確実に働き、それが肉体に伝わるからです。


ガマンも度が過ぎると
間(マ…心の余裕)がなくなって「ガン」に早変わります。


「マ」抜けなガマンはガンになる」・・・ということです。

このように人生においても、
一見無駄だと思われる間とか遊びとか余裕というものは、
とても重要であると思うのですね。

 

 

 

 

 

50cmの橋


無用の用について、こういう例えができると思います。


絶対に壊れない橋があるとします。


この橋の幅は50センチです。


下は断崖絶壁です。


落ちたら確実に死にます。


さあ、皆さんならこの橋を渡れるでしょうか?


手でつかむところもありません。


誰も恐くて渡れないと思います。


橋の幅は50センチもあるのです。


人間が一人渡るのに充分な幅なのに、結局、誰も渡れないのです。


でもそれがもし、
10メートル以上の幅ならどうでしょうか?


全ての方がすいすい不安なく渡れます。


無用の用ですね。。

 

 

 

空間の間


また、こんな言葉があります。


「人間、起きて半畳、寝て1畳」という言葉です。


人間は、最低限これだけの空間があれば生きていける
・・・という意味らしいですが、実際はどうでしょう。


地震で狭い車の中に避難し、


ずっと寝泊りしていると、死んでしまう人もいるのです。


以下は、中越地震の時の新聞記事です。

 


被災地で車で寝泊まりをする六十九人を対象に、
新潟大医学部が脚の超音波検査をしたところ、
約三割の二十一人に、
いわゆる「エコノミークラス症候群」につながる恐れのある
静脈の血栓があったことが分かった。


血栓があった人は三十代から七十代と幅広く、
脚の腫れや痛みなどの自覚症状のない人も多数いた。


榛沢和彦・同大助手は
「さまざまな事情で車での寝泊まりを続けざるを得ない人もいる。


検査の対象を広げるなどして
危険性の高い人を見つける必要がある」と話している。


榛沢助手は地震後に三日間、
同県小千谷市内で検査を希望した
車中泊者五十八人を含む六十九人のふくらはぎ部分を検査した。


血栓が発見されたのはうち二十一人で、
血管の壁にできる「壁在血栓」と呼ばれるタイプが
半数以上を占めていた…

 

 

 

という記事でした。


ここにも書いてあるように、
人間は空間の遊びがないと、
血液の流れが滞ってしまって、詰まってしまうということです。


つまり、寝て1畳では死んでしまうということです。


よく出張でカプセルホテルかサウナに泊まる方がいますが、
できればそういったところには泊まらず、
むしろ大部屋で寝た方が健康的で長生きするということですね。


他人のいびきが気にならなければ・・・の話ですが(笑)。


そう考えると、
駅によくいます住所不定の方々はすごい達人のような気がします。


ダンボールでうまく囲って、まるでカプセルホテル並ですね。


けれでも彼らは病気にはなりません。


なぜかと言いますと、
広大な駅そのものが彼らの寝室で、
囲ってあるダンボールは彼らにとって
掛け布団的な存在だからですね。


是非、出張でカプセルホテルに泊まらなければならない方は、
健康のために駅で寝てください(笑)。

 

このように、空間の間と同じように、

実は次の時間の間も必要なんです。


「忙しい」という字は、心の間を亡くすと書きますね。


時間の「間」が「魔」になってしまう場合もあります。


特に仕事の場合は、時間の間の取り方が重要です。

 



仕事上の時間の「間」についてのポイント

 


1.時間は皆平等で1日は24時間と悟るべし


2.処理能力のない人は仕事時間を増やすしかない

 

3.段取りが一番大切


4.簡単なものから片づける(締め切りを除く)


5.仕事に自分の性格や能力を合わせてはいけない


6.時間や空間に振り回されない環境状態を作る


7.時空の支配者は自分自身である事に気付く事。。

 


最後の「時空の支配者…」云々に付いてだけ述べます。

 


よく、自分の人生の選択に決断付かない時、
安易に占い者や霊能者に頼る人がいます。


実は昔の僕もそうでした。


就職の事、恋愛の事、人間関係の事、事業の事、過去世の事…
ありとあらゆる有名な占い者、霊能者に相談に行きました。


中にはFBIお抱えの外人霊能者もいました。


宗教家の教祖、風水師等も全部を入れたら、
100人は下りません。

 

彼ら(彼女ら)には下記の共通点がありました。

 

(注:あくまでも僕自身の事)

 

1.過去と現在はよく当たる、未来は良くて50%の的中率

 


2.嘘の相談事を見破れない


3.不吉な予言を言う人は全て外れた

 


僕が7歳の頃からお爺ちゃんに教わっていた、
中国古書の、
陰陽五行に基く姓名判断の方がよっぽど当たっていました。

(※機会があればそれも後日述べます)


結論を言えば、
単なるアドバイスの一つとして聞くのは良いとしても、
100%信じてはいけない…ということになります。


信じて50%くらいが丁度いいくらいです。


一定の人、
特に不吉な予言をする人を完全に信じてその通りにやってしまうと、
その霊能者、占い者と同じ霊域に
引きずり込まれてしまうことになります。

 

つまり、
自分が伺いを立てた相手によっては、
自分の潜在意識を支配されてしまい、
今後、本来の自分自身の人生を歩めなくなってしまうのです。

 

 

特に不吉な未来に関しては、
その人を信じ切って逃れる工夫や行動を取ったりすると、
最初は良くても、
その後には憑依に似た良くない不幸現象が次々と起きてしまいます。

 


そして、
その人が予言した通りの人生を歩むことになります。

 

完全にその人の支配下に置かれる事になるんですね。

 


よって、一生、相談料をその人に支払うだけの人になってしまいます。

(※霊感商法がそのいい例)

 

 

自分の人生を全て他人任せにするのですから、
当然と言えば当然なのですが、
悪霊の餌食となってしまうのですね。

 


後でも述べますが、
『阿弥陀九字』というものがあります。


線を辿って行くと、最後は当たりとかスカとかある、
あのお遊びのアミダクジはここから来ています。

 

実はこの阿弥陀九字とは、
人それぞれに与えられた人生の設計図のようなものです。

 


仏教では『選択本願』とも言います。


結論を言えば、
人生の岐路に立ってどっちを選択しても、
いずれ結果は同じ気付きを得る…
というものです。

 

一つの道を選んだとすれば成功する、
もう片方の道を選択すれば失敗する…としましょう。

 


でも失敗しても、

またちゃんと次の2つ道がまた用意されているのです。


それでもまた次の失敗の道を選んでしまったとする。

 

するとまた次の2つの道が用意されている…

という具合です。


もし最初に成功の道を選んでいたら、
小さな成功で終わっていたかもしれません。


けれども失敗に次ぐ失敗でも、
諦めずに、
また希望を捨てずに自分の人生を歩んでいた場合、
必ず大きな成功を収める場合が多いのです。

 

これが阿弥陀の慈悲と呼ばれるもので、
『ナモ アモン ダボ』
の真髄です。

 

(※『希望の星』後篇の最後に書いてあります)

 

18番目の本願ですね。

 

 

『よっ!十八番!』

 

 

歌舞伎で言う18番とは、
不可能だと思われることをやってのけた、

 

人生の成功者への賛辞の合の手です。


法蔵菩薩が阿弥陀如来となった由来から来ています。

 

そして、『九字』とは…

 

 


もう長いから今日はこの辺で。。