JES代表:本井秀定 連続特別講演会
希望の法則Vol.1
「人類創生の秘密と第3の意思」の案内チラシより

(2006年7月12日 午前7時の通信から抜粋)

 

「本井さん、気でも狂ったの?」…
という声が聞こえてきそうですが、
実は私は至ってまともです(笑)。

 

2006年7月12日の午前7時に受けた通信の内容は、
まるで稲妻のように一瞬の出来事でした。

 


ビジョンも同時に見せられましたが、
これをどのように言葉で表現していいか、
どのように人に伝えていいか、
それが私にとって大きな問題でした。


なぜなら、
文章というものは今までの私の学んだ言葉、
体験、知識の範囲しか表わすことができないからです。


ですから、
どこかで聞いた文節やニュアンスもあるかも知れません。


しかし、
今の私にとっては精一杯の表現です。


実は今回、
言葉に表すことが、
こんなに難しいものだとは思いませんでした。


ちゃんと宗教知識を持った偉い方か、
もしくは言語学者や人望がある人に頼めば良いものを・・・。


お断りしておきますが、私は全くどの宗教にも属さず、
増してや新しい宗教団体を興そうなど、
そんな大それた考えは毛頭ありません。


どちらかといえば私は教育者でもありますから、
非科学的なことは慎重になるタイプで、
実際にその後も、
いつものように日常の現実的な業務も

怠りなくちゃんとやっています。

 

考え方も性格も今までと全く変わってないところを見ると、
どうも開眼したわけでも悟ったわけでもありません。

 


ごくごくありふれた、
女房に尻に敷かれる普通の人間です(笑)。


初めは妄想、
あるいは単なる小説のストーリーが閃いただけかと思いました。


しかしその内容は、
宇宙の成り立ちから人類創生から始まる一大ロマンでした。


しかもその歴史的背景は、
冷静に分析しても筋が通っています。


私は幼少時から、
法則について興味と疑問を強く持つ傾向にありました。


太陽は東から昇り西に沈む。


水は高きところから低きところへと流れる。


物を上から落とせば下に落ちる―。


こんな当たり前なことがとても不思議に思えたのです。


歳を経て、
いろんな社会経験を積み、
失敗も挫折も重ねる中で、
「ひょっとしてこれは、全て法則通りに運んでいて、
ただ自分が無知だったのではないか?」
と思えるようになりました。

 

だとしたならば、
その法則さえ知れば、
失敗も挫折も悩みも病気も全て解消するのではないか…

と思ったのです。


「お金持ちになる法則」、 


「健康になる法則」、 


「幸せになる法則」、


「頭が良くなる法則」、


「人に好かれる法則」、 


「希望が叶う法則」…


それらの法則を知らないから、
みんな悩んだり苦しんだり

痛い思いをしているのではないかと思えるのです。


今回の通信で分かったことは、
大宇宙の意思、

神(見たことはありませんが)というものがいるとすれば、
それは法則である、ということです。


この法則に則ってさえすれば、
全ての方が幸せになり、豊かになり、
健康的で明るい毎日を送れると思うのです。
 
通信の中には、
「癒しの法則」というものもあり、

その手法も学びました。


当社の顧客のほとんどは

治療家の先生方が多いことから、
個人的にある親しい方にその手法を教えました。


これが本当かどうか、
本当に効果があるかどうかを確認したかったからです。


するとその先生の周りでは、
とても良い結果が表れたのです。


来られた患者さんに「癒しの法則」を施したところ、
今まで何の効果もなかった方が、
少しずつですが次々と快方に向かい始めたとのこと。


器具も何も使いません。


ただ、患部に手を当てるだけです。


その先生は、
「私の手がゴッドハンドになってしまったのかも?」

と驚いてました。


これは決して私の力ではなく、
先生の既に潜在的に持っている力が

表面化されたに過ぎません。

 

次を見てもお分かりになる通り、

 

それだけにかなり衝撃的な内容ばかりです(笑)。

 

●「限界」の後に来るもの

 


●人間に与えられた「空間と時間」の自由意志


●「観自在力」のレベルアップ


●「叡智創出」の大きなヒントは「想起」にある


●誰でもプロの営業マンになる法


●人間の器とは?


●コンプレックスは発展のバネ


●希望実現のための「3つ目の意思」とは?


●原因結果の法則


●偶然と必然


●宇宙創造の仕組み


●生命発生の仕組み


●天の岩戸隠れの意味


●経済の仕組み


●戦争に敗れた日本がなぜ繁栄したか?


●隠された日本民族のルーツとは?


●モーセと日本人との関係


●聖書は日本民族の物語


●ノストラダムスのアンゴルモアとは日本民族のこと


●「さよなら三角、また来て四角」とは法則を歌った歌


●「かごめ歌」の真意


●「いろはにほへと」の真意


●「阿弥陀くじ」とは?


●希望実現の法則


●これは「宇宙即我」?


●ブラックホールの存在とは?


●人類創造の壮大な計画とは?


●「希望の星」と呼ばれた地球


●10万光年離れた星からの移住計画


●エルデラの統率官とアガシアとの対話


●カッターラに眠るエデンの園


●楽園とは程遠い壮絶な生への戦い


●人類、原人、新人類、半獣半人の同居する時代


●13万年前に現人類の創造が行なわれた


●アダムとエバの真実の物語


●何故、ルシフェルは堕天使と呼ばれたか?


●「陰陽調和運動」実習…など。

 

実は、これらを1回の講演会で話すことは「無茶」ですから、
徐々に話していきます。

 


私は無茶はしません(笑)。


なぜなら、
「無茶をすると必ず失敗する」という法則があるからです。


話はそれますが、
「無理と無茶」の違いについて説明しましょう。


「無理とは、理論通りでは無い」と書きます。


そして、

「無茶とは、お茶を飲む余裕が無い」と書きます。


しかし、無理をすると、

まれに大成功を収めることがあります。


それは、世の全ての成功者は、
セオリー通りではないこと、つまり、
理論通りではないことを行なったので

成功しているという事実があるからです。


人と同じことをやってもたかが知れていますから、
真の成功者とは言わないでしょう。


誰もやらないこと、誰もできなかったこと、
理論的には不可能な大事業を行った人だけが

成功者と呼ばれるのです。


では、「無茶」はどうでしょうか。


「お茶を飲む余裕が無い」

 

…ということは、
心にゆとりや遊びがないことと同じ意味です。

 


車を運転していることを思い浮かべてください。


車はブレーキ、アクセル、

ハンドルによって安全に操作されます。


それぞれの機能には、
必ず「遊び」と呼ばれるゆとりの範囲が設けられています。


多少動かしても反応しない、

機能しない範囲のことです。


ブレーキの遊び、アクセルの遊び、ハンドルの遊び…
などの範囲が必ず設けられています。


なぜでしょう?


仏教では「無用の用」とも言いますが、
それは、

もし遊びがなかったら危なくてしょうがないからです。


高速道路に出て、
何かの拍子にちょっとでもハンドルを動かしたら、
ガードレールにぶつかってしまいます。


ブレーキもアクセルも同じことで、
「遊び」の部分がなければ

大変な事故につながる危険性があります。


遊びがないと、安全に運ぶ乗り物が、
自分の命さえ落としかねない危険な乗り物になるからです。


ですから、「無理」には成功の種はあるけれども、
「無茶」には失敗や事故しかないということになります。


最大の失敗は「死」です。


では、無理と無茶の境界線はどこにあるのでしょう。

 


我慢(ガマン)も

 

「間(マ)」が抜けるとガンになる?


「無茶」とは、海におぼれている姿です。


海でおぼれてしまって、

「溺れるもの藁をもつかむ」心境のことで、
自分を見失っている状況、
または余裕やゆとりや遊びがない状態に

陥っていることを言います。


海でおぼれている人を
むやみに助けに行ってはいけない事は知っていますね?


それは、助けに行った人まで巻き込んで、
一緒に溺れ死ぬ危険性があるからです。


つまり、「無理」と「無茶」の境界線は、
「精神的な余裕が残っているかどうか」、
または「失敗しても再起できるか」、
「自暴自棄になっていないか」…

などの基準で判断します。


これは、

会社経営や人生の節々でも通用する一つの法則です。


では、

計画もないままサラ金や友人や親戚からお金を借りまくって、
失敗したら全ての信用をなくしてしまうことは、
「無理」「無茶」のどちらでしょう?


答えは「無茶」に当たります。


では、人から借金を頼まれたとき、
お金を貸したり保証人になったりすることは?


この場合は幾通りのパターンがあります。


ちゃんとした計画や見通しを持っているか?


いくらくらいなら返済されなくても影響は出ないか?


失敗したらどれくらいの被害者が出そうか?


・・・こういった感じで「無理」と「無茶」の判断をします。


つまり、溺れている人に対して、
自分が飛び込んで助けに行くか、
それともどの程度の「浮き輪」を投げるかの判断です。


助けに行って自分も一緒に溺れ死んだら、
その人に罪を着せることになり、
自分も罪を作ってしまうのです。


どの程度の助け舟を出すのか、
もし自分も一緒に溺れるかも知れない…と判断したら、
その人に罪を作らせないためにも、
時には断る勇気、見捨てる勇気も必要になってくるのです。


このように法則とは、
本当はとてもシビアで常識的でシンプルなものなのです。

 

また、無茶をしてはいけないことは病気も同じです。

 


「ガマン」し過ぎると無茶になり、
間(ゆとり・遊び)がなくなって

「ガン」細胞が増殖する仕組みになっています。


文字通り、
「ガマン」の「マ」が抜けるとガンになってしまうのです。

 

これから述べることは、
私が昨年の7月12日に見た宇宙創成のビジョンです。

 


どこまでが現代科学で解明できている部分か、
また現代科学と食い違う部分は?…

の視点で“疑って”お読み頂ければ幸いです(笑)。

 

(※ちなみに、「疑問追求」と「疑心」は違いますよ~!)

 

 


ビジョンで見せられた宇宙創生

 


約150億年前、
宇宙は存在していなかった。


宇宙どころか、
時間も空間もなく、
原子も原子を構成する素粒子も存在していなかった。


現代の科学では、
宇宙は"無"から生まれたことになっている。


そして量子論では"無"は、
常にゆらいでいるという。


しかし私が見たものは、
宇宙は決して"無"ではなかった。

 

カオス…

または混沌と呼んでも良い。


そのカオス全体の裏には厳然と
“一つの意思”の存在があったのである。


その意思とは、
超エネルギーの集合体といっても良いし、
単純に神、
または創造主と言っても良いだろう。


150億年前、
この一つの意思が"ゆらぎ"に働きかけ、
超ミクロ的な宇宙の“種”

(尋常ではない高密度のエネルギー体)に変化し、
そして急激に膨張を始めた。


いわゆる"ビッグバン"というものらしい。


このビッグバンによって種子が分散し、
現在、宇宙に存在する全ての物質の“核”が、
一瞬にして生まれたのである。


そして、時間と空間も。


それから100億年後、
一つの意思は、
銀河系のとある場所で、
超新星爆発を起こさせた。


この爆発の衝撃波は、
宇宙空間に"密度のむら"を発生させ、
熱と光を生み、
周囲のガスが集合し収縮を始めた。


後で調べると聖書にはこう書いてあった。

(勿論私はクリスチャンでもなく、

どこの宗教団体にも属していない)

 


創世記 第1章

 

神は「光あれ」と言われた。


すると光があった。


神はその光を見て良しとされた。


一つの意思は、
カオスの中からまず大宇宙(時間と空間)を創造し、
宇宙空間に数千億個の原始太陽を創造する。


原始太陽といっても物質ではなく、
まぎれもなく光の粒子の集まりであった。


粒子の一つ一つが光のエネルギーを放ち、
お互いが“縁”によって触れ合うごとに熱を生じさせた。


それらが集合体となり、
爆発と圧縮を繰り返し、
現在の太陽の核ができる。


核は膨大な熱量に達し、膨張を続けていった。


膨張が続き、
一定の大きさ(調和度)まで達すると、
もうそれ以上は大きくならずに安定した。


これが私たちの見ている太陽の起源である。


神はその光と闇とを分けられた。


神は光を昼と名づけ、
闇を夜と名づけられた。


夕となり、また朝となった。


第一日目である。


太陽は、
地面が存在しないガスの塊である
(それまで私の認識では太陽には地面があると思っていた)。


46億年前に一つの意思は、
太陽から生まれたガス物質を飛散させ、
太陽の周りに多くのガス状の“渦“を作り始めた。


ガス状の“渦“を形成する一粒一粒は、
溢れんばかりのエネルギーと光に満ちていた。


強大な質量(太陽系の全質量の99.9%らしい)をもつ太陽は、
その周りに強大な重力を及ぼし、
現在の太陽系を形成する準備を始めた。


ガス状の“渦“は時間と共に圧縮されて、
丸く透き通った水晶のような物質を形つくり、
その一個一個が太陽の光を浴びてキラキラと光り輝いていた。


内部の圧縮度による磁差で、
一つはブルー系が強いプラス惑星と、
一つはエンジ系が強いマイナス惑星に分かれた。


そして、
現在の地球の軌道上にあったこの微惑星同士が、
プラス(ブルー)とマイナス(エンジ)との縁により、
お互いに引き付け合う磁力によって衝突し融合した。


融合すると、
徐々にその透明性は失われて行ったが、
また淡いブルー系とエンジ系のどちらかの色に分かれる。


こうして融合を繰り返し、膨張していった。


微惑星同士は、
まるで微笑ましい男女の恋愛のように見えた。


何かもう一つの、
全く新しい生命体を作り出そうとする儀式にも思えた。


濃紺の大宇宙の中で光り輝く壮大なランデブーである。


衝突と融合は幾度となく繰り返され、
ブルー色もエンジ色も徐々に色は失われて行ったが、
次第にその大きさを増し、
はっきりとした小惑星を形成し始めた。

 

こうして、
衝突と融合の熱エネルギーでドロドロに融けた、
真っ赤な赤ちゃん(原始地球)が生まれたのである。

 


地球の核の中心は

神が住まう光の空洞?


幻想的かつ壮大な太陽と地球の成り立ちとは異なり、
地球の表面は灼熱の、
文字通り"マグマの海"に覆われていた。


微惑星は地球に衝突するときに、
その膨大な熱量のため、
水蒸気や二酸化炭素を含んだガスを大量に放出した。


このガスが、
徐々に地球の周りを覆い尽くしていった。


地球の周りを覆い尽くした原始大気は、
やがて地球が冷え始めると、
遂に地球最初の雨となって降り注いだ。


雨は、
想像を絶する豪雨となって地上に降り注いだ。


これが現在の海水の元になった。


しかし当時の海水は、
塩酸ガスが大量に溶け込み、
数百度の超塩酸の海であった。


ぼこぼこと、
灼熱の海底から不気味に塩酸の気泡が泡立っている。


あらゆるところから「ゴゴゴッ」という地響きがしたかと思うと、
あちこちから水蒸気の噴煙が吹き上がる。


今の緑の地球からは程遠く、
まるで地獄の様相を呈していた。


しかし太陽の光は、
淡い光線ながらも地球に届いていた。


大気はガスで覆われ視界はほとんどゼロに近く、
太陽も陸地も全く見えないが、
日没近くになるとその光景は目を疑わんばかりに
美しい輝きを放った。


夕焼けだろうか・・・、

地獄のような超塩酸の海も大気も、
エンジ色と言うかオレンジ色のような、
様々な赤系統の色で

眩いばかりにキラキラと全てが輝いていた。


おそらくどんな天才的な芸術家でも

これと同じ色は出せないだろう・・・、
壮大なスケールで描かれた地球の海である。


「地球は生きている」・・・


そう実感した。

 

しかし、
荒れ狂って地表をさまよう塩酸の海には、
まだまだ生命のかけらも感じなかった。


かといって、

地球は奥底で着々と生命誕生の素地を形成していた。


全ては地球上で生命体を作るための必要条件として
環境が整えられていたのである。


後で科学者の言うには、
地球の中心核はほとんどが

ニッケルと鉄で構成されていると言っていたが、
実はそれだけではなかった。


ニッケルや鉄だけでは生命体は誕生しないからだ。


また、
内核の中心固体温度は7500℃に達し、
太陽の表面温度より高くなっているとのこと。


しかし私が見たものは、
地球の中心核の、
そのまた内核の中央には金属状の固体でも液状でもなく、
眩い光を発散している超密度の“空間”があったのである。


これを先ほどの科学者に話したら、
「ありえない」と一蹴された。


確かに科学的にはそうだろう。


しかし、見えたのだからしょうがない。


それは、
見ること自体がタブーのような、
余りにも神々しく、直視できないくらいの光を放ち、
ある一つの意識を持っている存在に思えた。


人知を超えるものすごいエネルギー体である。


ある意味で、

それは“地球意識”と呼んでも良いのかもしれない。


私たち人間が絶対に介入できない

“何か”の存在があるような気がした。


しかしこれ以上、深く探る気持ちにはならなかった。


言い知れぬ恐怖感すら覚えたからである。

 


パワーストーンとは地球の中心核!


あるパワーストーンの存在を知った。


地球の中心核の中の内核の、
そのまた中心にあるのは、
眩い光の超密度の空間であったが、
その周りは重い金属が溶けて、
流動している壁に覆われていた。


内核は、
あまりに圧縮した密度のために
現代地質学では固体と考えているようだ。


空間のドームと内核を仕切る内壁は、
主に鉱石(多分、ウラン?)で構成されていた。


いや構成されたというより、
“空間”または“地球意識”から発せられる
巨大な光エネルギーを受けて、
ウランという薄い膜状の物質ができたらしい。


内核を流れるどろどろの金属は、
この“空間”からの巨大な光エネルギーを浴びると、
浴びた部分の表面だけが、

放射性の強い膜状のウランと化す。


金箔のような薄い膜で、
どちらかと言えば琥珀に近い金色をしていた。


内核のゆっくりとした対流で、
その薄い膜が見事なタイミングで何万枚も積み重なり、
徐々に集合し固体となり、
体積を持った放射性ウラン溶岩となった。


溶岩となったウランは、
お互いに集りながら中心核の流動によって
内核から外核、
そして下部マントルから遷移層を通り

上部マントルまで運ばれ、
ほんの一部の認められた分量だけ地殻変動で隆起する。


この約6,400kmの長い旅は、
まるで一つの法則に則しているかのように、
正確な作業が行なわれていた。


何らかの意思がなくては、
ここまでの絶妙なタイミングとシステムは不可能に思えた。

 

さて、NASAのK先生は、
「人類は地球上から生まれた生命体ではない」と私に話した。


地球は一定の構成数字によって成り立っており、
地球上で自然発生したものは「地球と同じ分子配列パターン」または、
「各固有共通の構成数字」で成り立っている。

それは地球上で発生した全ての生命体、
つまり動物も植物も昆虫もバクテリアも、
全て地球と同じ配列パターンでなければならず、
更には動物なら動物、

植物なら植物といった大きな分類での

各固有の構成数字が共通していなければならない。


だから、
地球上に存在する一切の生命体や物質は、
地球と同じ配列に、
更には配列に相応した構成数字が一致することが

科学的に必然なのだ。


なぜなら、
全ては地球から生まれた生命と物質だからだ。


もし、
人類が地球上から自然発生したものであるならば、
人類は地球と同じ配列であり、
それに伴った哺乳動物共通の構成数字でなければならない。


しかしなぜか、
人類だけがこの数式に当てはまらない。


だとすると、
「人類は地球から自然発生的に生まれた生命体ではない」
という結論に達する。

 

人類だけが地球の構成数字と合わないのだ。


それによって、
人間の身体には様々な“ひずみ”が生まれる。


そのひずみが病気などの不調和な状態を引き起こすため、
それを調整、
または調和するために

地球の中心核の存在があるものと思われる。


中心核は内核の中心にある

“ドーム・空間”(地球意識?)からの光の意思によって、
形を変えたり流れたりして、
ひずみを調整し、
人類の遺伝子にも影響を及ぼしているものと私は考えている。


また中心核は、
マントルの移動によって

地殻変動を起こしたり制御する働きも持っていて、
様々な地震などの天変地異、
気候、環境に影響を与えている。


別な言い方をすれば、
地球の中心にある“光の空間”の意思に基づき、
地球の自転を司っているのが中心核(外核と内核)なのだ。


どんなに科学が発達しても、
この世界は人知の及ぶ世界ではなく、
例えば人間の手による地震予知は不可能に感じた。


なぜならば、
地球の直径が約12,800km、地殻は約30km、
マントルの幅が約2,900km、
そして中心核の大きさは外核と内核の合計が
直径約7,000kmと言われているから、
地球の大部分が中心核でできている
(その中心核の中の内核にある“ドーム・空間”は

わずか直径3kmくらいか?)。


しかも誰もがまだそこまで行ったこともなく、
絶対に調べられない世界だ。


中心核が地殻変動を司っているのなら、
中心核を調べないと地震予知は当たらない。


しかし、
せいぜいりんごの皮くらいの範囲しか調べられないのが、
現代の地震予知の科学なのだ。


“空間”の巨大な光に触れ、
この中心核の対流に乗り、
そしてマントルによって運ばれ、
それが地殻変動によって地殻近くに接近し、
タイミングよく隆起または火山によって噴火した岩石に混じり、
ほんの選ばれた一部が地表に現れるのが、

ウランやラジウムなどの放射性鉱石なのである。


つまり、
地球意識による光エネルギーを浴びた

奇跡の鉱石なのである。


よって単なる放射性岩石ではなく、
巨大な調和のパワーと生命の成り立ちの源泉を秘めており、
今後具体的な研究が進めば、
病気などの“ひずみ”をさらに調整し、
癒してくれるパワーストーンとなるに違いない。


それらが調和し、
微妙に融合して水に溶けたもの…
それが全ての『生命の核』と言われるミネラルとなった。


母なる海の誕生である。

 

生命の源となるミネラルは、
「愛」と「慈悲」の意思によって作られた。。

 

 

以上が、
私が受けたビジョンの一端です。

 

 


単なるイマジネーションかも知れません。


そして、
現代科学とかなり食い違っている部分もあります。


しかしその中で、
悠久の昔、
一つの大いなる意思が働き、
大いなる目的が無くては、
この大宇宙も地球も、
私たちの存在もなかったことだけはご推察できるかと存じます。


私たちの意識と肉体の中に脈々と流れる生命の源は“愛”です。


たとえ小さな愛でも、
その愛が呼び水となって、
さらなる大きな愛を呼び込みます。


これは第3の意思にあたる法則であり、
信仰心のない私でもそれを“奇跡”と呼んでいます。


第1の意思は発信であり、
第2の意思は受信で、
そして第3の意思によって共振現象が起き、
経済、人間関係、健康、平和、
幸福などのあらゆる奇跡が起きたり、
真の希望が必ず成就する仕組みになっています。


インスピレーションの内容は一瞬の種のようなものでしたが、
まるでそれがビッグバーンのように膨張しました。


それをどのようにそれを表わしたらよいか、
また、表わしたとしても多分、
私が一生かかっても不可能なくらいの膨大な量でした。


でも一部分だけでも伝えなければ…という衝動に駆られて、
「希望の法則」 講演会を開始することにしました。

 

 

続く

 

 

 

※次回からその講演内容をまとめたものを

 

公開します。

 

こんな長いブログ…

 

皆さんついてこれるかなぁ…