ご覧になって頂き、ありがとうございます。
感謝しております。
実は僕は見かけと違って、
人前で話をするのがとても苦手なんです。
まあ、得意という人も少ないとは思うのですが、
当社のビデオ部門は、
各界の先生方の講演会の主催をやったり、
撮影するのが主業務です。
今までの25年間で、
1000人以上の講師と呼ばれる方の講演会を撮影しましたが、
こと、自分のこととなるとからっきし駄目なんですね。
でも、仕事ですから人のことは良く見えるんです。
例えば、当社のロングランの先生で、
もう既に80回以上の講演を続けている先生がいます。
その先生は、実は講演を始めてから
3回くらいで根を上げてしまいました。
「本井さん、もう話すことがないよ、もう許して~!」
と言うのです。
世界の権力構造というか、
この世界を支配しているものは一体誰か、とか、
誰がこの経済をどのようにして牛耳っているのか、とか、
そういったコアな内容の講演をされています。
その先生、当初20回の予定が、
「3回で全部話し終えた」…と言うものですから、
主催者であるこちらとしても困るのですね。
それで、こちらから講演内容を提案することにしました。
「先生、今度こういう話をしてください」とか、
このあたりをもっと深く掘り下げて欲しいとか、
こちらの方からどんどん提案をしました。
そうしたら、何とか半分の10回くらいまで続きました。
でもこちらの方も限界で、
もう何も提案することがなくなってしまったのですね。
そこで、ヤケクソで先生にこういうことを言いました。
「もう先生、何でもいいから思いついたことをしゃべってください。
家族のこと、奥さんと喧嘩した話とか、自分が小さかった頃、
小学6年生の頃までおねしょしてたとか、
ペットに噛まれた話でもいいから、
何でも喋って時間を稼いでください」
…そういったんですね(笑)。
「犬が噛みついた原因はメーソンの陰謀だった」とか…(笑)
そうしたら、
「えっ?そんなんでいいの?」と言うことになって、
その後なんと、永遠と80回も続いてるんです。
それもです。
限界だと思った3回を過ぎてから、
非常に素晴らしい話、感動的なお話、
そして次々と先生のところに新情報が舞い込んできまして、
毎回毎回、大盛況になっていったのです。
後日その先生が講演中に、
僕の言ったことをみんなの前で話してくれました。
先生はこう言ったんです。
3回を過ぎて何も話すことがなくなった時、
本井さんからこういうアドバイスをもらいました。
『先生、何も話すことがなくなった時から、
本当の講演会が始まるのです』・・・と。
『本当に皆さんに伝えたいことが自分の中に眠っていて、
それが目覚めるときが、《限界》と言う言葉が出た時なんだ』と…。
実はホントは、僕はそんなことを言ったつもりはなく、
「ペットに噛まれた話でもいい」と言ったはずなんですが…(笑)。
良く「己を知れ」とか、
「自分のことが誰よりもよく知っている」とか言いますが、
実は自分のことが一番知らない存在なのが人間だと思うのです。
「あなたは一体誰なんですか」と聞かれて、
一番最初に答えるのが名前です。
「私は本井秀定です」とか、
自分の名前を答えると思います。
不思議ですね、他人と自分を分ける記号を言うのです。
私は52番です、とか私は139番です…と同じことですね。
でも、「いや、君が本井秀定であることは知っている。
それ以外にあなたは誰ですか?」と、また聞かれるのです。
男です、人間です、54歳、女房一人と子供二人の親父、会社の社長・・・
いろいろ出てくると思うのですが、
大概、10個くらい言えれば良いほうだと思うのです。
例えばそれを書いて、じっと眺めると、
「なに?俺ってこれだけの存在だったの?」
ってことになるかと思います。
でも本当はそんなちっぽけな存在ではないのですね。
神は自分に似せて人間を作ったといいます。
その大きな一つが「自由な意思」です。
例えば、お月様を思い浮かべれば、意識はお月様に行けるし、
宇宙を思い浮かべれば宇宙だって行けます。
これを「空間の自由意志」と言います。
そして、
亡くなってしまった優しいお婆ちゃんのことを思い浮かべれば、
いつだって会えます。
過去の歴史上の人物、誰でもいいのですが、
イエスを思い浮かべれば十字架、
仏陀を思い浮かべれば布をまとった姿が見えると思います。
例えば今朝、朝食のメニューはなんでしたか?
それを思い出しただけで、その朝の時間に行けるわけです。
そして、今、目に映っているもの以外を見つめているのです。
《見えないものを見ている》のですね。
未来だってイメージを膨らませれば想像することができます。
ここに紙飛行機があります。
そして飛ばします。
前に飛びますか?
後ろに飛びますか?
それとも横に飛びますか?
下に落ちますか?
ほとんどの方が前に飛ぶと言います。
そして前に飛んで落ちます。
このように、大体の未来も分かってしまうのです。
でも犬やサルには分かりません。
ホントに犬や猿には未来予知ができないか、
実際に飼っている犬にこういう実験をしてみて下さい。
ボールを投げようとする《フリ》をします。
人間は「前に投げるだろう…」と予測し、
そのボールの行き先を一瞬、見ようとします。
でも犬は、ボールを持っている手元しか見ません。
つまり、人間だけが持つ「時間の自由意志」による、
未来予測です。
つまり、空間も過去・現在・未来をも超越した存在が、
人間でもあるのです。
直感力、読心力、そういったものも持っています。
人の心を読むなんて、誰もできないように思うでしょ?
でも、できるんです。
この人は嘘を言っている人か、
本当のことを言っている人なのか、
目つきや雰囲気を見ればなんとなく分かるでしょ?
特にお母さんから見た子供の嘘はすぐばれてしまいますね。
好きな人に会ったりすると、『ピカッ』とくるものがあるでしょ?
これらを「観自在力(アポロキティシュバラー)」と言います。
何も、仏陀だけの能力ではないのですね。
特にお母さんは、自分の子供に関しては、
鋭い観自在力を持っています。
皆さん人間なら、誰もが持っている能力です。
ただほんのちょっと曇ってかすれているかどうかの違いだけです。
この観自在力には人によってレベルが違います。
どれだけその人を思っているか?
また、
愛しているかによって違います。
また、経験や体験によってのレベルもあります。
「こういう場合は失敗する」とか、
「こういう場合は成功する」といった、
体験に基づくパターン認識力のレベルがあるんです。
また、知識や智恵のレベルによっても違います。
知識は本を読んだり、
他の人の体験を聞いたりすることで身に付きますが、
智恵は違います。
18年前、叡智創出法という講演を行いましたが、
智恵とか叡智というものは、
もともと《自分の中》に既に存在しているものなのですね。
それを常識とか習慣とか教育とかに縛られて、
《ネバ・ベキ》になって自由性を失うと、
自分の中にあることすら忘れてしまうのです。
このことをサンスクリッド語で、
「パーニャ パラミタ」と言います。
これがインドから中国、そして日本に渡って、
意味不明で難解な『般若心経』になったのです。
原語「パーニャ パラミタ」を直訳すると、
『自分の中に既に持っている、内在された叡智』
…という意味です。
「幸せになる答えは、全部、自分の中にあるよ」…という意味です。
人間は最初から悟っているものなんですね。
このように、仏教の本質は、実はとってもシンプルで簡単です。
でも本来、すごい能力を持っているのに自分では分からず、
そのまま埋もれっぱなしで、
一生を終える人がほとんどです。
自分の能力を顕在する方法が、ただ分からないだけなんですね。
脳みそ一つとっても同じです。
一生の内に使う脳の領域は、
10%から多くて20%くらいなものです。
氷山の一角です。
下には80%の能力が海中に沈んでいるのです。
これを100%発揮することができたら、
誰もがスーパーマンです。
でもほとんどの人は発掘せずにそのまま死んでしまうのです。
ではどうしたら…
(つづく…かも?)