誰でも、自分の持ち物を捨てるということに、ある一種の罪悪感があります。
本当はいらないのに、それでも「捨てる」という行為には何か後ろめたさを感じてしまいます。
この「罪悪感」があるために、なかなか人はモノを捨てられないのです。
しかし、いつまでも入ってくるものを受け入れているだけではいずれ物理的にも精神的にもいっぱいいっぱいになってしまいます。ですので、いつでも「選択」と「仕分け」を頭に入れて、「入ってきたモノもいずれ出ていくもの」だと考えた方がいいです。
この「捨てる」行為を、罪悪感をなるべく持たずに行える方法が二つあります。
その一つが、「売る」ことです。
リサイクルショップ大手の、2nd Streetやトレジャーファクトリーなどでは日用品などほぼ何でも買い取ってくれます。
私が断捨離にはまった要因の一つにはこれがありました。
衣類などはブランド品なら、10年前、20年前、あるいは30年近く前のものでもしっかり金額をつけてくれた時は本当に驚きました。ほとんど十数年着ていない服とかもありましたし、色が褪せていたり破れていたものも売ることが出来ました。
大きな家具類は出張買取りを利用しました。家に来て持って行ってもらうので苦労せず手放せました。
そう大した金額ではないのですが、それぞれ「お金と引き換えに手放すことが出来た」という事実に、罪悪感どころか満足感を得ることになりました。毎回、「これは果たしていくらになるだろうか」と、一種のゲーム感覚でも楽しめました。
もう一つの方法は、「ゆずる」ことです。
ただこれは実際には難しいことでした。よほど気に入ってもらえるものでなければ、親しい知人であっても、もらってもらうことは難しいです。ただ、「ゆずる」という考え方自体はとてもいいものです。
リサイクルショップへ売ることも、それはいつか買う人の手に渡り、その人に使ってもらうことになります。
自分では必要なかったものが、誰かの手には価値のあるモノに変わるという事です。
私も、ただ単純にモノを捨てることには罪悪感がありますが、そうやってお金に換えたり誰かの手に渡って使ってもらうことになれば、自分が所有し続けることよりも満足感は大きいです。
極端に言えば、0円で引き取ってもらっても構わないわけです。どこかで誰かに必要とされるものになるって素晴らしいことだなと思います。
そう考えると、モノというのはいつでも人から人に渡り、巡っているものと考えることが出来ます。
ですので、自分のところから出て行ったものがあれば、自分の中に入ってくるものもあるのでしょう。
そうやって循環することで活性化していくのかなと思います。
こうしてみると、「モノを捨てる」というのは、「次に新しい何かを手に入れる為」ということが言えるのかなと思いますね。
「自分が何かをしたい、新しいことをしてみたい、でも何から始めていいかわからない」、という場合、まずは身の回りの何かを捨ててみることから始める、ということもいいかもしれません。