夏のゆめ | 紫gatari

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知的障害の次男くんとタカラヅカ好きママの気ままな日常 


 

たいへんなご無沙汰でございます。

やっとブログに向かえました。あまりに季節外れではございますが、

記録に残しておきたくて、少しおつきあいを・・・

 

この夏、ひとつ、小さな夢が叶いました。

かねてこちらにも書いていましたが、中3の次男くんと、大学3年の長女と3人で、

本拠地、兵庫県宝塚に、行ってまいりました~~笑い泣き!!クラッカークラッカークラッカー

いやいや、どうしてそんなことになったんだっけな~~??

突如、行っちゃおう!!  と、思い立ったんですよね。

いろいろ、行けない事情を自分の中で並べていたけど、じゃあ来年は?再来年は?行けるの??

長女が就職すれば、もっと予定が合わなくなる・・・今ビックリマーク なんではないか!?

予算・・・・・・は、あとでなんとかしよう。とにかく行くぞ。(真顔)

あせるあせるってな感じでしたねぇ・・・・

あ、思いだした。

それと、自分の育ったところにわが子を連れて行ってよいんじゃないか、と思ったことが

もう一つのきっかけでした。

私の家族は転勤族だったので、出身地なんかは、記憶もない土地なので言いたくない、

今の実家のあるところ(名古屋)は、最終地だっただけで、特に思い入れもない。

人生で最も「自分の育ったところ」と感じるのは、やはり小中学校の多感な時期を過ごした、

関西なのですよね。

私の父は夏休みというと、必ず観光地に家族旅行に連れて行ってくれる人で、

小豆島・阿波踊り・指宿・秋吉台の鍾乳洞・登別温泉・阿蘇山・八丈島・軽井沢河童橋・・・・などなど、

思い出せるだけでもこんなに、それに、父は鹿児島・母は北海道出身なので、

特に北海道には、しょっ中フェリーで・小さい頃は青函連絡船でも、よく行っていました。

一転、わが旦那はというと、完全なインドア。

生い立ちに複雑なものもあり、「家族旅行」を計画することは皆無な人です。

私は上記のような環境だったせいもあり、子供たちを「旅行らしい旅行」にほとんど連れて行けないことに、申し訳なさを感じていたりします。

でも、私のフットワークだけでは、「旅行」を組むことがなかなかできず・・・

ひらめき電球そうか、自分が行ったことのあるところに連れて行けばいいんだビックリマーク

それも、ある程度案内できるところ右矢印右矢印右矢印つまり、宝塚じゃん爆  笑

テレビの特集を見て、娘と、「USJにも行っちゃおうか!」となり、

一泊二日の強行でしたが、宝塚とUSJ、両方に行ってまいったのでした照れ

 

大劇場では、月組さんの、『All for One』 が上演中。

ラッキーなことに、1階席の後ろのほうですが3連番が確保できて、念願の3人並んでの

宝塚観劇も叶いました。

ザ・夏休みビックリマークという意味で成功していて、小池先生の、座付きとしての優れた仕事ぶりを

感じました。

次男くんは、スカイステージやテレビ番組でも頻繁に映る、写真の風景を生で見て、

たくさん写真を撮って、終始楽しそうでしたウインク

 

でも、ムラもさることながら、

マルーン色、社内の内装も基本的には私が暮らしていた頃のままの、

電車阪急電車を、子供たちに体感させられたことや、移転取り壊し間近の、宝塚ホテルで、

思い出深い、私が足しげく毎公演通っていた頃の、音符緞帳、を見に行けたことが、

とてもとても幸せなことでした。

私の中では今でも、宝塚歌劇の緞帳、といえば、これ、なんです。記憶の中にびっしり

刷り込まれている、大切なビジュアルです。

阪急電車ですが、荷物を預けて泊ったのが、梅田の第一ホテル大阪なのですが、

長女が小説の『阪急電車』を読んでおり、その通りをたどってあげたくて、わざわざ

行きは、梅田から「新開地行き」に乗って「西宮北口」で乗り換えて「今津線」で、

帰りは、「宝塚線」で戻る、という、手の込みようもあせる

でも、「甲東園」の声楽の先生に通っていたな~~とか、しみじみ、ガタンゴトン、、堪能しました。

10年、この電車で育ち、そのあとは名古屋で10年東京で25年くらいになるのですけど、

この電車で育つことができたのは、とても幸せなことだったなぁと、再確認しました。

娘もうらやましいと。

当時は当たり前すぎて子供すぎて、わかっていませんでしたね。

 

またちょこちょこ、思い出を書くかもしれません。

うれしい、ゆめの夏でした照れ