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歩くスター花スター


私は考え直しました。


全段を訳そうと思いましたがフォーカスしにくい段があり💦飛ばす事にします、ごめんなさい。。

補足
①定子絶頂期を書いた段です。一条天皇15歳・定子19歳・定子兄の伊周21歳で大納言・定子父の藤原道隆は関白。定子が美貌の后なら兄の伊周も美貌の貴公子で大変人気がありました。道隆が亡くなり兄妹が転落するのはこの一年後、兄妹最後の輝きの頃を清少納言は書きました

②女性は人前に出られないこの時代。重ね着で美しく色付けした袖口や裾などは、アピールポイントのひとつでした。それをあえて簾から押し出してチラ見せしたのです。

第二十三段

清涼殿(天皇の住まい)の隅の北の隔てになっている障子は荒海の絵で、生きている恐ろしそうなものの絵が書いてある。戸が開けてあるといつも目に入るので嫌がって笑ってしまう。高欄の所には青磁の瓶の大きいのを置いて、晴れやかで美しい桜の枝を多く挿してあるので、高欄の外まで咲きこぼれている。


大納言殿が桜の直衣に濃い紫の固紋の袴をはき、白い下着を数枚重ねて上には濃い紅の綾織のとても鮮やかなのを出衣(いだしぎぬ)にして参内なさると(ここでは大納言の伊周がいかにお洒落で素敵かを書いてます)、帝もこちらにいらっしゃりお座りになってお話などなさる。


御簾の内で女房達が桜の唐衣をゆったりと垂らして、藤襲や山吹襲など様々に感じよく着こなし、沢山の御簾から押し出している頃(ハンサムな大納言がやって来るので女房達が張り切って着飾っている様を書いてます)。帝の昼間の御座所の方ではお膳を運ぶ足音が高く、先払いの者たちの「おーしー」と言う声が聞こえて、麗らかでのどかな春の日射しなどもとても素敵。最後のお膳を持った蔵人がやって来てお食事の用意ができたことを申し上げるので、帝が中の戸からお越しになる。


帝のお供に大納言殿がお送りに行かれて、先程の桜の花の所に座っていらっしゃる。そこへ中宮様が御几帳を押して出ていらっしゃる様子など、ただもうどうしようもなく素晴らしいのを、お仕えしている人も満足した気がするのに「月も日も かはりゆけども 久に経る みむろの山の」 という歌をとてもゆったりと吟唱なさったのがまた一層素晴らしく思われるので、成程千年もこのままでいてほしい中宮様のご様子である。


給仕する人が蔵人たちをお呼びになるかならないうちに帝はこちらにいらっしゃった。「硯の墨をすって」 と中宮様はおっしゃるが私は上の空で、ただ帝がいらっしゃる方ばかりを見ているものだから、危うく墨ばさみも放してしまいそうになった。


中宮様は白い色紙を押したたんで「これに今思い出せる古歌を一つずつ書いて」とおっしゃる。外に座っていらっしゃる大納言殿に「これはどうすれば」と話すと「早く書いてあげなさい。男が口出しするようなことではありません」と言って色紙を御簾の中に入れてお返しになった。中宮様は硯をこちらに向け「早く早く。ただもう深く考えないで、難波津でも何でも、ふと思いついた歌を」と急かされるが、どうしてそんなに気後れしたのか。まったく顔まで赤くなってどうしていいかわからなくなった。 


春の歌や花への気持ちなど、そうは言いながらも身分の高い女房たちが二つ三つぐらい書いて、その後「ここに書きなさい」ということなので、私は[年経れば よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし (年が経ったから老いてしまった。でも花を見ると何の物思いもない) ]という歌を書いた。私は「花をし見れば」のところを「君(定子)をし見れば」に書き換えたけれど、中宮様はそれを見比べられて「ただそれぞれの機転が知りたかったの」とおっしゃるついでに、帝が「この冊子に歌を一つ書け」とおっしゃった。


ひどく書きにくくてお断りする人々もいたが「字が上手だとか下手だとか、歌が季節に合ってなくてもいいことにしよう」とおっしゃったので、困って誰かが[しほの満つ いつもの浦の いつもいつも 君をば深く 思ふはやわが (潮の満ちて来る いつもの浦のように いつもいつも あなたを深く思っているわたしは)]という歌の末の句を『頼むはやわが』とお書きになったのを「ものすごく誉められたの」 などとおっしゃるのは、むやみに汗が流れるような気がする。年の若い人ならやはり、とてもこんなふうには書き変えられないように思われる。


普段はとても上手に書く人も情けないことに皆気後れがして、書き汚したりした人もいる。『古今集』の綴じ本を中宮様は御前に置かれて、色々な歌の上の句をおっしゃって「この下の句は何?」とお尋ねになる。夜も昼も気になって覚えている歌もあるのに、スラスラと口に出して申しあげられないのはどうしてなのか。宰相の君がやっと十首ほど。それも覚えているとは言えないが、まして五首、六首などはただ覚えてないことを申しあげるべきだが「そんなに素っ気なく、尋ねた甲斐がないことをする」とがっかりして残念がるのも面白い。


「知っている」 と言う人がいない歌は、そのまま全部読み続けて竹の栞を挟まれ「これは知っている歌だわ。どうしてこんなに頭が悪いのかしら」と溜息をつく。『古今集』を沢山書き写したりしている人は全部覚えているはずなのだが。


中宮様が「まだ姫君と申しあげていた時に、父の大臣が教えられたことは『第一に習字をなさい。次には琴を人より上手に弾こうと思いなさい。それから古今集の歌二十巻を全部暗記できるように学問にしなさい』ということでした」とおっしゃった。


大臣がそう姫君に申しあげたのを帝は以前に聞いていらっしゃって、宮中の物忌の日に『古今集』を持って女御の部屋にお越しになり、几帳を引いて女御との間を隔てられたので、女御は「いつもと違って変ね」と思われたが、帝は古今集の綴じ本を開かれて「何の月の何の時に、誰かが詠んだ歌は何という歌か』 とお尋ねになるので女御は「几帳で隔てられたのは、こういうことだったのか」と理解なさって「おもしろい」と思われるものの「間違って覚えていたり、忘れているところがあったら大変」とむやみに心配されたに違いない。


帝は歌の方面に疎くない女房を二、三人ほど呼ばれて問う。間違った歌には碁石を置いて数えることにして女御に無理にお返事をおさせになった時など、どんなに素晴らしく面白かったことだろう。御前にお仕えしていた人までも羨ましい。


帝が強いてお尋ねになるので、利口ぶってそのまま終わりの句まではおっしゃらないけれど、女御のお答えはすべて少しも違ってはいなかった。帝は「何とかして少し間違いを見つけてから終わりにしよう」と腹立たしいほどに思われたが遂に十巻にもなった。「まったく無駄だったな」 とおっしゃり、綴じ本に栞を挟んでおやすみになったのもまた立派である。長い時間が経ってからお起きになったが「やはりこの勝負がつかないで止めてしまうのは、非常によくないな」 とおっしゃって下巻の十巻を「明日になったら別の本で調べられるから」 ということで「今日決着をつけよう」と灯火をつけられて夜が更けるまで読まされた。


だが女御はついに負けることなく終わってしまった。「帝が女御のお部屋にお越しになりこういうことが」と、女御の父の左大臣殿に人を遣わして知らされると「父君は大変心配してお大騒ぎなさり、誦経など沢山させられて内裏の方に向かってお祈りをしてお過ごしになった(娘が帝の前で失敗しない様お祈りした)。風流で情の深いことね」 などとお話になるのを、帝もお聞きになって感心なさり「私は三巻、四巻でさえ最後まで読めないな」 とおっしゃる。


「昔はつまらない人でも、皆面白味があった。この頃はこういう話は聞かないわね」などと帝にお仕えする女房で、こちらに伺うのを許された人がやって来て、そう口々に話したりしている時は、本当に少しも心配することがなく素晴らしく思われる。


完了


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