私が子供の頃は

親が【戦中生まれ】というのは珍しくなく

祖父母となると皆が戦争を経験して

はっきりと記憶している世代でした。

そんな時代のおはなしです。



近所に一人暮らしをするおばあちゃんがいました。 


おばあちゃんは首や腕や脚などに

当時【赤チン】と呼ばれた

傷口につけると肌が赤く染まる傷薬を

身体の至る箇所、無数に塗っていました。


私達子供は、そんなおばあちゃんを

【赤チンばあちゃん】と呼んでいました。

本当の名前を聞いた記憶はありません。


赤チンばあちゃんは身体中あちこちに赤チンを塗り

毎日ベビーカーを押しながら歩いていました。



ベビーカーには

お手製の帽子・服・靴下をつけた

赤ちゃん人形を乗せてました。


赤チンばあちゃんはその人形に話しかけながら

毎日散歩や買い物をするのです。

人形の洋服は毎回違っていて、

浴衣のような和服を着せてる日もありました。


私達子供が道路や神社で遊んでいると

赤チンばあちゃんはベビーカーを止めて

人形に話しかけながら

ニコニコして私達を眺めていました。


(今なら山下清の【裸の大将放浪記】は無理ですね💦)

赤チンばあちゃんは

戦争で大事な一人息子さんを亡くしていました。

以来、心が耐えられなくなり

あの状態になったと聞きました。

赤ちゃん人形は赤チンばあちゃんの子供でした。


皆がそれを知っていたので

誰も赤チンばあちゃんを改めて諭したり

笑いモノにしたりする人はいませんでした。

赤チンばあちゃんは【そういう人】だから。


害は何もありませんでした。

ただ【そういう人】として生活してました。

おばあちゃんが亡くなるまで。


パッと見は、確かに不気味かも知れません。

今ならばどこかへ通報されたりするのかも。

今、赤チンばあちゃんみたいな人がいたら

あんな風に共存出来ないかも知れませんね。


もう40年以上前のことです。



最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。