インドネシア歌謡と日本人 | 奥村顕のワールドプリズム Ken Okumura's WORLD PRISM

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日々の生活やニュースの背景に潜む本質を取りこぼさす、言語化して提示することを目指します。

インドネシア歌謡と日本人
Lagu Indonesia bagi orang Jepang

 

世の無常を意識することが失われゆくものへの愛惜を生むならば、仏教の教えの浸透したわが国で、過去の愛を綴った作品が人の心を捉えるのも、不思議ではない。村上春樹の代表作「ノルウェイの森」もそうした作品のひとつで、日本の伝統的心情は私たちの奥深くに根付いている。

インドネシアは人口の9割がイスラム教徒で、日本人とは対照的な精神的背景を持つように思えるかもしれない。しかし、現地の人に接してみると、内気で恥ずかしがりの人が多く、日本人に似た一面を持っている。歴史的に見ても、島嶼を生活の拠り所としつつ外来の文化を順次摂り入れ、それが精神的な重層性を生んでいった点が共通している。世界最大の仏教遺跡と言われるボロブドゥールはジャワ島にあり、仏像やレリーフも美しく保存されている。懐の深い国だ。

そんなインドネシアで親しまれている歌謡曲には、失われた愛を歌った切ない曲が多い。私がとりわけ好きなのは、若手女性歌手マワル・デ・ジョン(Mawar De Jongh)が歌う「Pernah Salah」だ。自分の心に問いかけるような内省的な歌い出しから、情熱的に歌い上げるサビの部分への曲調の転換が印象的で、秘めた思いがなければこうした感動は生まれない。

Hatiku memanggil hatimu yang beku. Aku masih mencintaimu.
(凍りついたあなたの心を私の心が呼ぶ。今もあなたを愛しています。)

 

 ↓ Youtube「Pernah Salah」へのリンクはこちら


愛の終わりを歌ったインドネシアの曲として、同じくマワル・デ・ジョンに「Sedang Sayang Sayangnya」があり、ロッサ(Rossa)には「Tega」という曲がある。どちらも聴く者の心に響いてやまない。インドネシアの歌謡曲が日本で紹介されれば、私たちの心を照らし出すような経験ができるだろう。両国民の抒情が幸せな出会いを果たすことを願っている。