日中友好への覚悟/为日中友谊的心理准备 | 奥村顕のワールドプリズム Ken Okumura's WORLD PRISM

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日々の生活やニュースの背景に潜む本質を取りこぼさす、言語化して提示することを目指します。

日中友好への覚悟

 

 

第1次世界大戦に勝利したのは、ヨーロッパのどの国でもありません。離れたところから戦争に関与し、自国のインフラを維持したまま発展の機会をつかんだアメリカです。いま、欧米と中国との対立が取り沙汰されています。この対立を欧米側が制すれば、それが本当に日本の国益を意味するでしょうか。中国との対立が既定路線であるかのような空気が社会を覆っていますが、これは日本が主体的に選び取った道と言えるでしょうか。パンデミックが始まる直前、日本は中国の習近平主席を国賓として迎えようとしていました。来日が実現していた場合、それがどの程度両国の和解に寄与したのかは、いまだ見極められていません。日本の文化や観光地を高く評価してくれるのも、中国の人たちです。いつの間にか日本は、欧米と中国の対立という流れに絡め取られてしまった。私にはそう見えます。

 

人類は新型コロナウイルスに侵され、多大な犠牲を払いながら生存を懸けて戦ってきました。いがみ合ってみても人類はひとつであり、本質的な部分はみな同じだということを、パンデミックから学ぶことができるはずです。しかし、実際には人類の相互理解の基盤は損なわれ、今年(2022年)の春先にはロシアによるウクライナへの侵略行為さえ発生しています。ウイルスとの戦いに勝ったという実感が持てないのは、パンデミックの間に人類が仲間割れを起こしてしまったからです。

 

以前に酒の席で、中国への敵愾心をあらわにする上司に、こう問うたことがあります。「それだけ愛国心が強くていらっしゃるんだから、日本が外国から侵略を受けて、日本人であり続けることが危機に晒された場合は、当然志願して敵と戦いますよね。」上司の答えは「アメリカに日本防衛の義務がある。」というものでした。私は「アメリカが本気で日本を守るのは、日本人自身が日本を守ろうとしている時だけだと思います。」と言い返しました。上司は答えました。「それは自衛隊がやる。俺らは税金を払ってる側で、彼らはそれを受け取ってる側だ。」日本がこれから先、平和的発展のために整えるべき条件は何でしょうか。それは、中国との友好関係を追求する一方で、外国からの本格的な侵略を受けた場合には、国民自身の手で日本を守り抜く覚悟を固めておくことです。上司の態度は、これとは全く逆行しています。私が見たのは、特殊な例でしょうか。中国との対立を煽り立てながら、いざという時に国を守るのは他人だと考えている人が多くを占めれば、日本の安全は脆弱な状態に陥ります。

 

軍事的技能の習得は、日本を守るために大切な要素です。まずは武器を扱うことへの心理的障壁を除く必要があります。国民全員が拳銃で標的を撃つという経験を、一度はしておくべきだと思います。戦闘機を1機購入しようとすれば、100億円ほどかかります。では、その100億円で小銃が何丁買えるでしょうか。1丁が10万円として10万丁です。1機の戦闘機と10万丁の小銃とを比較した場合、自ら国を守るという国民の熱意を大きなうねりに変えられるのは、どちらでしょうか。防衛予算の使い道にも、再検討の余地があるように思います。

 

昔から中国は、日本にとって重要な隣国でした。唐の都に派遣された留学生は、持ち帰った知識や技術によって、日本の発展に大きく貢献しました。今でも中国の書や絵画の名品が日本で公開されると、人々はそれを一目見るために、2時間もの行列を作ることを厭いません。中国の精神文化は、過去の遺物ではありません。上海の地下鉄に2人の老婦人が乗り込んできた時、数人の若者が一斉に立ち上がったのを見て、その迷いのない行動に驚かされたことがあります。そうした行動が取れるということは、中国の人々の間に道徳的伝統が生き続けていることを証明しています。中国の道徳は、古代の書物に記録された聖人のあり方を学ぶことに、基盤を置いています。一方、私たち日本人は自然との調和を重んじ、人の内なる自然とも言うべき真心によって、他者と関わろうとしてきました。私は日本人として生まれ、自分の国の美しい国柄を心から誇りに思っています。

 

日本は10年余り前まで、アジア第一の経済大国の地位を守り続けてきました。文明開化以来の欧米化の努力が、日本に経済的地位をもたらしたことは疑いのないところでしょう。しかし、欧米に寄り添うだけで日本の地位が保証される時代は、もはや終わろうとしています。ウクライナのゼレンスキー大統領は国会での演説の中で、「日本はアジアのリーダーになった」との表現で支援への感謝を示しました。根拠薄弱となりつつある優越感を刺激する手法に感心すると同時に、そのような形で足元を見られる国になってしまったことに、虚しさを禁じ得ませんでした。東京オリンピックの開会式が小さな出し物を並べたものだったのに対し、北京オリンピックの開会式は冬の中に兆す春の希望という明確なテーマに沿ったものでした。どちらの演出が優れていたのかは、明らかだと思います。私たちが現在の課題を見つめ直すために、中国から学べることは少なくないはずです。

 

自由主義の欧米と専制主義の中国の対決は不可避だという捉え方は、どこで書かれたシナリオでしょうか。こうした分かりやすいシナリオに従えば、割り切った考え方をして心理的な負担を減らすことができます。相手が間違っていて、自分が正しいと言い立てるのにも好都合でしょう。しかし、日本が今後の時代を生きてゆくためには、国民が主体性を取り戻し、本気で中国と向き合うことが必要です。過去の栄光にすがり、G7の一員であることを自己認識の拠り所としようとすれば、日本はいよいよ自ら考える態度を放棄せざるを得なくなります。私たちには、覚悟を持って中国との友好関係を、堂々と追求するという選択肢があるはずです。幾多の世代に渡って中国との交流を続けてきた日本は、人類が反目を乗り越えて一体性を取り戻すために、唯一無二の役割を果たせる国だと思います。そうした日本の姿にこそ、誇りを見出すべきではないでしょうか。

 

私は日本の未来を悲観していません。かりそめではない真の誇りを持ち、新しい時代を迎える覚悟が必要なのです。

 

(この記事では、Vijay HuによるPixabayからの画像を使用しています)