暴走する原発  チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと/広河 隆一

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この本を読み終えた。何とも言えないつらい気持ちになる。自分の無力感を実感してしまう。連日のように、放射性セシウムに汚染された肉牛の話題が流れる。生産者も消費者も、驚いたかのように反応している現状が怖い!

福島の原発の事故が起きて、放射性物質によって汚染された状況は、どんな鈍感な人であっても、深刻な話題として分かっているはずだ。そして、分かっていたはずだ。それをみんなで協力して、大丈夫!と言ってきたのではなかったのか?! もし、あんな流れの中で、本気で、「大丈夫!」と思っていたのなら、その信念を通して欲しい。そうじゃなければ、茶番にすぎないではないか?! 理解に苦しむ。

「歴史は繰り返す」という。この本は見事にそれを物語っている。本当はそうであっては行けないはずだ。「歴史は繰り返す」からこそ、その歴史を反省して、歴史から学び、そして過ちは二度と繰り返さない!という信念の下、生きていかなければならないのではないか?!

広河隆一氏を私は尊敬する。福島の原発事故の直後から汚染地域で取材をして、人々をどうやったら救えるのかということを真剣に考えている。このような誠実な日本人がいるにもかかわらず、「チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと」が本当に起きているというのは、残念で仕方がない。もちろん、健康への被害が顕在化してくるのは数年後かも知れないが、今の状況では、チェルノブイリ同様に汚染が広がって言ってしまう。国民一人ひとりがこの現状に対し、「過ちは二度と繰り返さない!」という決意と共に、最も厳しい状況からの再生を目指さなければいけないのではないか?と思う。

広河氏が「おわりに」で書いているが、「これまで日本がチェルノブイリ事故から何を学んだかというと、何も学ばなかったと言わざるを得ない」というのは悲しい現実のような気がする。そして、「都合の悪いことは隠す」ということは、人は学び、マネをして、繰り返されていく。

残念ながら、今回の福島の原発事故は終わってはいない。さらに、稼働中、停止中の原発の未来、そして、使用済み核燃料の安全なる廃棄の問題を含めると、気の遠くなるほど現在の深刻な問題は継続する。

この問題に対する答えは2つに一つであるように、私は感じている。

一つは、この福島の原発事故が起きなかったかのように、そして、どこも汚染されていないかのように、生きて、生活して、汚染されたものでも何でも気にせずに食べて、幸せに生ききる。この方法をとった場合、放射性セシウムが牛から検出された!という報道があっても、我関せずで、美味しく食べる。たぶん、本当に美味しいはずだ。「ただちには健康に害はない」という繰り返された発言を信じる。それも本当であろう。ただちには・・・だ。「どうせ人間は死ぬんですよ」という論理で納得して生きれば問題ない。

もう一つは、自分の一つひとつの行動、そして人々の一つひとつの行動が「これでいいんだろうか?」と疑問を持ちながら、「やっぱ、違うよなぁ」と思ったら、繰り返さない!という決意をする。そして、そのような決意をする人が一人ずつ徐々に増えていき、「歴史は繰り返す」という一般原理から、さらに発展して、歴史から学び、次の次元の人間社会が形成される「小さな一歩」の一部となる。そうすれば、新たな世代も親、そして、大人を尊敬する。人は背中を見て育つはずだから、説教をせずとも、人をだましたり、欺いたりすることが、「正しくはない」とか、「都合の悪いことは隠す」ことは「恥ずべきこと」で、決して、何かを正当化するために使ってはいけない!ということを自然と分かるようになる。

後者はつらい人生かも知れない。前者は、幸せな人生なのかも知れない。しかし、人はいったん事実を知ってしまったら後戻りはできないのではないか?と思う。だから、一時的に前者を選ぶ人が多くても、最終的には後者に辿り着く運命なのではないか?と思う。そのような人、そして、そのような社会を目指したい...

最後になるが、この本には、広瀬隆氏の「特別寄稿」が付いている。広瀬氏は事故が起こってから何度も、「許してくれ」と心の中で叫んできた、という。そして、「ごめんよ。許してくれ」と、孫にあやまったという。孫は、「ジイジは悪くないよ」と言ってくれた、そうだが、読みながら、涙が溢れてきた。このような人がいれば、時間がかかるけれど、最終的には、いつの日か、望ましい姿の日本が訪れるのではないかと思う。というか、願いたい。