前回「幼少期の英語教育は無駄か」という話を書きまして、

言語学の恩師からは「まずは母国語を正しく習得すること」という話でした。

 

↓こちらの記事です

 

 

言葉への興味が小さい頃から薄く、今だって日本語がへたっぴな息子(小6)に対して、

幼少期から言葉に対する意識が高く、教えてないのに勝手にひらがなを習得し、勝手に本を読み、しりとりとダジャレを愛している娘ちゃん(小2)

同じように育てているどころか 絵本の読み聞かせは圧倒的に息子にしてあげている回数の方が多いはずなのに。個の持つものなのか、女子だからなのか、よく分かりませんがとにかく二人の性質が全然違う。

 

そいうわけで、娘(小2)は、幼少期から英語を習っています。

年長さんの時に何度か行った英語の体験スクールが気に入ったようで、

母の自由時間を確保するべく小学生になってからは英語の学童に行っています。

 

すっごく猫かぶりで人見知りな性格なので、英語スクールでも基本は無言を貫き通しているらしい娘。

いいんです、こっちは彼女の性格は織り込み済み。

幼稚園も、年中さんの途中まで、園内ではまったくしゃべらず、笑顔もほとんど見せず、猫をかぶり続けていましたのでね。

 

そういうわけで、あまり様子は分からないけれどきっとインプットの時期なんだと信じています。

それでも、本人は英語に対して前向きな気持ちなので「私、知ってる!」が自信に繋がればいいなと思います。

 

1年生から丸1年通い、1回3時間程度×週3日。週に9時間、月に36時間を英語の環境で過ごしている娘。

まぁ、3時間のうち2時間はおやつだったり遊びだったりするのですが、毎回1時間の英語の授業があるので、少なく見積もっても週3時間、月に12時間は英語のレッスンに通っているようなもの。

本人は特にやる気があるわけではないのだけれど、なんとなく知っている単語が増えてきた感じ。

 

正直こんなの、息子が中学から本気出せば2か月くらいで抜けると思っている。

個人的には幼少期の英語教育が無駄だ、という話はここからきている面もあると思っていて、やる気をだせば、小さい子が学ぶ量なんて一瞬で抜かせると思うんですよね。

それよりは、どっちつかずになるくらいなら、まずは日本語をしっかりと、というのが恩師の説明だと思うんだけれど、私個人としては、娘を見ていると息子よりも日本語もできるので(笑)結局は幼少期から言葉に対する興味がどれだけあるかということと、親がどれだけ日本語も英語も与えられるか(外国語の習得ばかりに力を注いでいて母国語を疎かにしていないか)ということに尽きるのではないかと思っています。

 

※ここでいう「早期英語教育」は、小学2年生で英検2級を目指すというような高尚なものではなくて、年齢相応のステップでの習得という意味で話してます。最近一部界隈では英語教育加熱しすぎな気がしていますが…そこまで極端な例は、例外として。

 

さて、ここにきて「無駄」とは何を指すのでしょう。

ふっと思い当たるのは、

 

①コストパフォーマンスが合わない・・・幼少期から英語学習にかける費用に対して習得する量が少ない

②タイムパフォーマンスが合わない・・・最近流行りの「タイパ」。先に述べた幼少期1年分は中学生の2か月というところ

 

 

もしも「無駄だ」の中に「コストパフォーマンスが悪い」という理由があるのだとしたら、それはナンセンス。

だって、教育費って、親の娯楽費だと思ってますから。

子育てに見返りを求めてはいけない、というのが私の信念なのですが(愛も同じです。キリスト教の学校出身なので、刷り込まれてます。これですよ!)

コリント信徒への手紙 1 13章4節~7節
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

 

子どもにわざわざお金のかかる早期英語教育を受けさせてあげたい。これは愛以外のなんでしょうか。

自分ができなかったから、子どもには苦労させたくない。これも一種の愛ですよね。

愛なので、お金をかけたからといって過度な期待を寄せたり、見返りを求めてはいけません。

そういう意味で、コストパフォーマンスは「無駄」の理由にならないのです。

 

 

2つめの、タイパについてです。

外国語を習得したかったら、その土地に住んじゃうのが一番!だと思うのですがどうなのでしょうか?

赤ちゃんが、自然と母国語を習得していくのと同じで、環境としてあることが言語習得の強みだという事ははっきりしています。

私もオットも、息子の英語習得について息子の幼少期に考えたときに、「ある程度の年齢で1年くらい留学すればいいんじゃん?」という結論に至りました。(そういうわけで、息子に対しては早期英語教育はしていませんでした)

 

しかし娘には逆のこと…

小1(ちょっとだけ年長)から、英語のスクールに通わせている。まだ始めたばかりですが、最初から長期を見据えてです。

とてもタイパに合わないことをしています。

 

でも、二人目の子育てで、幼少期には自由時間が多いことが分かりました。

その子どもの自由時間を何に使うか。その中で少しずつくらい、英語学習に使っても良いのではないか。

もっと別のことに夢中になっている子にとってはタイパが合わないでしょう。でも、うちの子みたいに「暇さえあればぷりきゅあを観ている」ような子にとって、そのぷりきゅあ観てる時間を少し英語教育に変えたところで、彼女が失うものは少ないはず。

もっと忙しくなってきたらどうなるか分かりませんが、とりあえず現時点では、英語に時間をかけることは特に不利益はないと思っています。

 

そういうわけで、タイパの問題もクリアです。

 

「無駄だ」というのは極論ですが、

「必要か?」という議論も含めて、はっきりいって、論点が意味不明だということです。

 

幼少期からの英語学習は必要か?

といわれたら

「いいえ、別に早く始める必要はありません」が答えなのは確かなのであって

 

でも、

早くから始めることで「好き」「得意」って思えて自己肯定感が上がります

とか、そんな程度なんじゃないかと。

 

正直、なんでもそうじゃないの?

私だって3歳からエレクトーンやってて、中学生くらいまでやってたけど今や全然弾けないし

幼児期は「音が出て楽しい」だったのが、ある時から技術(正確性や表現力)を求められるようになると「楽しい」だけではすまなくなって、それで嫌になっちゃう子もいるし、それでも弾きこなしていくためには努力が必要なわけで。

これは言語の習得でも同じでしょ。

大人になって「それで、エレクトーンやっててなんかの役に立ったの?」って聞かれたら全然だし。

だからって、親はコスパがどうとかタイパがどうとか考えなかったと思う。

エレクトーンを習わせるときだって、ピアニストにしようとかプロにしようと思って始めたわけじゃない。

英語だってそう。バイリンガルにしようと思って始めるのは、ピアニストにしようと思ってピアノ習わせるのと同じ。

 

そんなに見返りを求めちゃいけないと思うんですよね~。

 

だから私の結論としては

「親が自分の自己満足(道楽)としてやらせるんだったら誰も文句言う筋合いないんじゃん。ただし、親自身も、バイリンガルになるだろうとかいう謎の期待とか、お金かけたからできるだろうっていう過度な見返りを求めないようにしないとね」ってことです。

 

最近加熱してる中学受験にも同じことがいえると思うんだけど。

なんせ、煽られがちだよね~。