悲しみは、個人の中だけで完結するものではない。

それは連鎖していく。


今、自分が抱えている悲しみや生きづらさは、

家系の中に突然現れたものではない。

多くの場合、それは代々引き継がれてきた感情や関係性の延長線上にある。


人は、苦しみの中でもがき続け、

誰にも助けられない状態が長く続くと、

やがて「誰にも手がつけられない化け物」のような在り方へと変質していく。


ただし、

悩み、違和感を覚え、

「何かおかしいのではないか」と立ち止まろうとしているうちは、

まだ理性は残っている。


そして忘れてはならないのは、

今「化け物」のように見える親や祖父母にも、

かつては同じように悩み、踏みとどまっていた時代が

あったかもしれないということだ。


人は、どれほど歪んだ環境であっても、

その中に長くいれば慣れてしまう。

異常は日常になり、

毒は当たり前になる。


毒親育ちに「救いがない」と言われがちなのは、

親個人の問題というより、

家系全体の関係性や価値観がすでに腐敗している場合が多いからだ。


その歪んだ「当たり前」は、

無自覚なまま次の世代へ引き継がれていく。


多くの場合、

子どもは親と同じ種類の化け物になるか、

あるいは真逆の形をした別の化け物になる。

いずれにせよ、

連鎖そのものは続いていく。


毒親育ちの人は、

異様なまでに耐久力が高くなる。

我慢強く、責任感があり、

多少の無理なら「普通」として受け入れてしまう。


その結果、

環境に踏みとどまり続け、

本当に壊れるまで倒れない。

だからこそ、事態は水面下で悪化しやすい。


恐ろしいのは、

そうした人たちが自分を

「毒親育ち」だと自覚できないまま生きてしまうことだ。


多くは30代前後になって、

突然の体調不良や精神的な破綻をきっかけに、

ようやく気づき始める。


――あれ?

親よりはマシだと思っていたけれど、

友達や恋人から、かなり酷い扱いを受けていたのではないか。


そうして初めて、

自分の人間関係を振り返り、

ある共通点に行き当たる。


それは、

「自分が頑張り続けられる状況でしか成立しない関係性」

しか持ってこなかった、という事実だ。


それもまた、

連鎖の一部なのだ。