人は、自分の苦しみから目を背けた瞬間、
感情を扱う力を失い始める。
それは、善悪や正しさの問題ではない。
ただ、「壊れたか」、「踏み止まれたか」、
という結果だけを残す。
人は皆、自分以外の地獄を見ることができない。
だから苦しみは、理解されないまま放置されやすい。
毒親の苦しみから本当に解放されるには、
親だけを見ても足りない。
少なくとも祖父母の代まで遡り、
家系の中で何が起き、何が積み重なってきたのかを
見なければならない。
そうすれば、
なぜ親が毒親になったのか、その過程が見えてくる。
親が何を背負わされてきたのかが分かれば、
次に、自分が何を背負わされてきたのかが分かる。
そしてさらに、
このままでは何が我が子へ継承されていくのかも、見えてくる。
だからこそ、目を背けてはいけない。
目を背けたまま放置された傷は、
「過去」で終わらない。
未来で必ずツケとして回ってくる。
感情は、寝かせれば寝かせるほど厄介になる。
時間とともに静まるどころか、
手に負えない形に育っていく。
自分一人でいる時ですら直視できず、
目を背けたくなる感情は、
人との関わりの中では必ず制御不能になる。
一人の時間で扱えないものを、
他者との関係の中で扱えることはない。
自分が何に苦しんでいたのかを、
プライドや怒り、悲しみ、恐怖を越えて直視しなければ、
人はやがて、妄想の中でしか生きられなくなる。
そしてその逃げ場として、
酒、ギャンブル、薬、性、マルチ、スピリチュアル――
そうした世界に居場所を求め続けることになる。
人がそれらに逃げ続けるのは、
一時的に感情を鈍らせ、
「考えなくていい状態」を作ってくれるからだ。
向き合えば崩れてしまう自我を、
壊れない形で麻痺させてくれる。
さらにそれらは、
苦しみの原因を構造ではなく、
運命や前世といった曖昧なものへと
簡単にすり替えてくれる。
だから楽になる。
だから、やめられない。
しかしそれは、
感情を処理したのではない。
感じる力を削っているだけだ。
未処理の感情は消えない。
鈍らせた分だけ、深く沈み、
いずれ必ず、別の形で噴き出す。