Moon Phase ―朔―
ウチには猫がいる。
性別はオスで、名前はコタロー。
毛色は真っ黒で、目はゴールド。
脚を怪我していたところを保護して、完治するまで面倒を見ていたのだが・・・
いつの間にか住み付いてしまった。
ウチはアパートだから、ダメもとで大家さんに聞いてみたところ
案外あっさりOKが出たので、そのまま面倒を見ることにした。
長さは短いが、ツヤツヤとした綺麗な光沢のある毛を纏っている。
野良の中にもこんなに綺麗な毛の猫がいるのか・・・と少しビックリした。
もしかしたら・・・本当は、飼い猫だったのかもしれない。
そう思えるくらい、人懐こいところがある。
人見知りどころか、他の猫や犬にまで臆することなく近づいていく。
それに、すごく甘え上手なのだ。
近所のスーパーに買い物に行くのにもついてくるから、どこに遊びに行っていても4時頃にはウチに帰ってくる。
そこらの子供より“イイコ”と言える。
どちらかと言えば、猫より犬派だったけど。
こんなに懐いてくれるのなら、猫も可愛いな・・・と思う自分は、現金な人間なのだろう。
コタローと一緒に暮らすようになって、もう1年とちょっと。
そんな夏の日・・・あの子に会った。
その日はいつもより特別暑くて・・・窓を全開にして扇風機をかけながら、ユラユラと揺らめく遠くのアスファルトを眺めていた。
何でエアコンにしないの?と思う人もいるだろうが、コタローのお気に入りの場所がバルコニーなのだから仕方がない。
まさか締め出す訳にもいかないし・・・
アイスを頬張りながら、声をかけてみた。
「コタロー、暑くないのー?」
「ニャー」
・・・何て言ってるのかはわからないけど、とりあえず暑くはないらしい。
「黒猫だから、光吸収して暑そうなのに・・・」
ポツリと呟くと、急にコッチに近づいてきた。
「んー?どしたー?」
「ニャーン」
そして、じゃれる様に擦り寄ってくる。
「うわっ!熱っ!」
予想通り・・・太陽の光を目一杯吸収したコタローの身体は、数秒と触っていられないほど熱くなっていた。
「もー・・・ちょっと待ってて。」
器に冷たい水と氷を入れてコタローに差し出すと、美味しそうに飲み始めた。
「ほら、コレも。」
背中に濡らしたタオルをかけてると、気持ちよさそうに身体を擦り付けている。
「あんまり暑い日は外出ちゃダメだよー?熱射病とかになったら困るし・・・」
「ニャァ♪」
「・・・聞いてんの、コタロー?」
「ニャー♪」
ゴロゴロと喉を鳴らしながらの返事は、とても聞いているようには見えなかったけど・・・その可愛さに押し負けてしまうのはいつもの事だった。
「はぁ・・・よしよし。じゃ、買い物の時間まで昼寝でもしよっか!」
「ンニャァ♪」
暑いと言うのにピッタリとくっついてくるコタロー。
それを引き剥がすような事は・・・出来ない。
それをわかっているような余裕の寝顔。
・・・コタローはかなりの策士だ。
4時になると、近くの小学校から音楽が聞こえる。
(♪~♪)
「ん・・・4時か・・・」
隣では、まだコタローが寝息を立てていた。
そろそろ出かける準備でも・・・と思ったが、外の暑さとアスファルトの熱さを考えて、7時頃に家を出る事にした。
「コタロー、買い物行くよー。」
「ニャー」
特にリードをつけなくても、ちゃんと後をついてくるし。
買い物中も、スーパーの前で大人しく待っているので、そのまま出かける。
「今日は月が綺麗だねー。」
「ンニャァ」
何かあるごとにコタローに声をかけるのは、ちゃんと返事をしてくれるから。
言ってる事はわからないけど、なんとなく気持ちはわかるようになった。
「じゃ、コタロー。ココで待っててね?」
「ニャァ」
― 20分後。
買い物を終えて出てきた自分を迎えたコタローは、何か言いたげに鳴き声をあげた。
「ニャッ!ニャッ!」
「・・・どしたの?」
そして、そのまま店の裏手へと入っていく。
「ちょ、ちょっと!コタロー!?」
必死で後を追うと、ゴミ捨て場らしきところについた。
「ニャッ!」
「っは・・・はぁ・・・何?お腹空いたの?だったら早く・・・」
訴えるように鳴き続けるコタローの傍へ行くと・・・1匹の猫がいた。
外灯はついているが、影になっていてよくは見えない。
月明かりを頼りに、猫の様子を窺ってみた。
少し小柄で、黒っぽい毛色のようだ。
触ってみると、痩せ細っていて骨がゴツゴツと浮き出ていた。
「ニャッ!ニャッ!」
「わかったわかった。・・・捨て猫かな?こんなに痩せて・・・って、あ・・・」
コタローが必死に鳴いていた理由をやっと理解した。
その猫は、怪我をしていたのだ。
下手に動かさない方がいいとは思ったが、怪我の程度を見るために、光の届くところまで運んだ。
「なっ!これは・・・」
怪我で済ませられるようなものじゃない。
だって、左目が・・・なくなっている。
「ニャ・・・」
心配そうなコタローの声に、我に返った。
(こんな事してる場合じゃない・・・!)
「コタロー、病院行くよ!」
「ニャッ!」
幸い、そこから病院までは急げば10分とかからない距離だった。
「すいません!急いで診てほしいんですけど!」
何とかギリギリで診察時間に間に合った。
そして、すぐに手術をする事になった。
だが・・・助かる確率は、そう高くない事。
成功したとしても、後遺症が残る可能性がある事を説明された。
それでも、やっぱりこのまま何もしないで命が消えゆくのは嫌だ。
何より、コタローが助けたいと思っているんだ。
「・・・お願いします。」
コタローと2人、待合室の椅子に座りあの子の無事を祈った。
時計を持っていなかったので、どのくらい時間がたったのかはわからない。
外は、通りを歩く人影も、近くの店の明かりも見えなくなっていた。
もうすぐ日付が変わる頃じゃないか・・・と思う。
いつもは擦り寄ってくるコタローも、今は黙って手術室の方を見つめていた。
(もっと早くに見つけてあげられてたら・・・)
そんな想いに胸が締め付けられた。
だけど、今はその事を悔やんでいる場合じゃない。
とにかく助かってくれる事を願うばかりだった。
不安な気持ちに押しつぶされそうになり、コタローの頭を撫でようと手を伸ばした時・・・手術室のドアが開いた。
「・・・どう・・・ですか?」
「まだ油断は出来ませんが、とりあえず一命は取り留めました。」
「ほ、ほんとですか・・・よかった・・・」
コタローを見ると、会話の内容を理解したのか脚に擦り寄ってきた。
「よかったね、コタロー・・・助かったって。」
「ニャァ」
「先生、ありがとうございました!」
お礼を言っているかのように、脚に身体を擦り寄せていたコタローの頭を撫でながら、先生はふと顔を上げた。
「あの・・・少しお話があるんですが、よろしいですか?」
「あ、はい・・・」
そのまま待合室の椅子に座ると、コタローも横に並んで座った。
「あの子の怪我がよくなったら・・・連れて帰るつもりですか?」
「そう・・・ですね。折角コタローが助けたんだし・・・」
「左目、見ましたよね?」
「・・・はい。でも、目が見えなくたってちゃんと育てます。」
「いえ・・・そうじゃないんです。」
「え・・・?」
「あの子の目の怪我・・・人間による虐待です。」
「虐待・・・?」
「飼い猫だったのかはわかりませんが、誰かが故意に刃物で傷つけたようです。」
「・・・・・・」
「身体もかなり衰弱しきっていました。」
「あ・・・」
「きっと餌も与えられず、どこかに繋がれていたんでしょう。首に紐の後が付いていましたから。」
「そんな・・・」
「確実に・・・とは言えませんが、恐らく人間不信になってるんじゃないかと・・・」
「っ・・・」
悔しかった。
そんな事をする人間がいるなんて。
悲しかった。
そんな心無い人間のせいで、あの子が傷ついてしまったなんて。
溢れ出た涙は、止まることなく流れ続けた。
覗き込んでくるコタローの顔が見えないほど・・・
「すいません。こんな話をしてしまって・・・」
「・・・いえ。大事なことですから・・・いいんです・・・」
「しばらくは入院させることになりますから・・・また、顔出してあげてください。何かあったら連絡しますので。」
「ありがとうございました・・・よろしくお願いします。」
帰り道・・・袋の中ですっかり溶けてしまったアイスの事も気にならないほど、何も考えられなかった。
ただ、コタローをギュッと抱きしめながら帰ったことだけは覚えている。
翌日、買い物へ行く前に病院に顔を出してみた。
ケースの中で横たわる小さな身体には、たくさんの管が繋がれている。
それが、すごく痛々しくて目に薄っすらと涙が浮かんだ。
(ごめんね・・・・・・ごめん・・・)
かける言葉が見つからず、心の中で謝る事しか出来ない自分が情けなかった。
それに気付いたのか、腕の中でケースの中を見ていたコタローが振り向いて・・・
頬を伝った涙を、ペロリと舐めあげた。
「コタロー・・・」
「ニャァ」
言わんとしている事がしっかりと伝わってきた。
「ありがと、コタロー。」
「ニャー」
再びケースに視線を戻し、必死に生きようと頑張っている小さな身体に告げた。
「早く元気になって、一緒にウチに帰ろうね!」
その言葉に、少しだけ目を開けてくれたような気がした。
「また、明日も来るから!」
「ニャッ」
明日には、また少しでもよくなっている事を願いながら、コタローと病院を後にした。
~Continued~
高杉くん誕生日記念小説 【Moon Phase ―弦― 】 に続きます。