私がこころの中で、勝手に『恩師』とお呼びしている方がいます。


私が直接『恩師』と呼んだなら、きっと嫌がるでしょう。


その方のプロフィールには、「某福祉大学で非常勤講師をされている」と記されており、まだ何も知らない私がうっかり「先生」と呼んでしまったら、謙遜では無いご様子で「先生だなんて、やめてください」と、きっぱり拒絶したのですから。


大変ご多忙なその方と個人的にお話をする様になって、まだまだ日が浅いのです。


私はお手紙やLINEのやりとりの度に、温かく細やかな気配りとご対応の早さ、そして文化人としての魅力を感じています。

きっと、それは私だけでは無いのでしょう。


たくさんのろう者の方々、手話に関わる方々がその方を敬いお慕いしています。


その方は『人間』として『手話通訳』として、ご自身の心身の重い疾患と向き合いながら、清純と真心を忘れずに生きてこられました。


私は、精神障害を抱えてから『もう死にたい、生きていたくない』と、常々考えています。

故に、体調にも悪影響を受ける苦悩の日々を『手話』を通して命を繋ぎ止めてくれたのが、家族よりも、種類は違えど同じ障害者である ろうの方々なのでした。


苦しい精神障害を抱えていても『私は人に恵まれた人生なんだ』と、生きることへ『手話』を通して前向きになれた、その『幸せの種』をこころに蒔く方いてくださったのが『恩師』です。


精神を患ってずっと曇り続けて、時には猛吹雪になる こころ が初春の優しく温かな晴れになります。

その度に、こころに『幸せの芽』が生まれ、これから育つことを楽しみにしている私がいます。


生きる気づき

幸せの種

手話とろう者を思う気持ち

手話を学び続ける姿勢


その方が与えてくださるものは、いつも貴重な宝物です。




  初めてお会いしたのは、いつだったか、、、。

その頃は、入った理由もよく解らないままの通研会員でした。

まだ、手話通訳者は目指していない、ということは 私はまだ手話奉仕員基礎講座(地元では、中級講座と呼ぶ)受講中ですね。

その際に、ある時ご講演でお会いするきっかけを運良く得られました。

最初の印象は、手話に関わらず、多方面にとても博識、どこか影のある方。

穏やかな口調、そして一番は温かさを感じておりました。


写真は、『恩師』がお好きな黄色のイチョウです。

私は、もうイチョウの落ち葉は踏めないです。笑

その方が愛するイチョウの黄葉を大切にしたくて。


金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

与謝野晶子


意味: まるで金色の小さな鳥が舞うように銀杏の葉が散っています。夕日に照らされて輝く岡に。