「恋愛したいモードになると悲劇のヒロインチックになる」の答えは、
どうして恋愛ドラマや恋愛漫画が、過程を泥沼展開にするかに通じてる。
「泥沼」を「幸福」に昇華させる事に恋愛の価値観とか達成感を見出している
文化に問題があるのかも知れない。
これは文化ではなく、人間の動物としての心理的なものかな?とも
思えるけど
終始平和な恋愛物語なんて作品として見ても、誰も興味を示すはずもないから、
売れなくては意味がない、お金を使ってくれなと意味に至らない事から
そういう極端な展開に作り上げるのは、仕方がない。
ただ・・・
現実を経験する前、あるいは現実にはそうそう経験し得ないであろう
過剰かつ極端な展開を見る事で、心理的に「泥沼」を「幸福」に昇華させる事で
得られる「麻薬的な幸福感」に、小・中学生での初期の恋愛の時点で
あらかじめ麻痺させられている、と言うのがあると思う。
「泥沼」を「幸福」昇華させる事で得られる「達成感」「特別感」
と言う部分に、恋愛で多く求められる「ときめき」と言う「恋愛的高揚感」を
強く感じることができて、
大変な思いをしたことで「好ましい結果」から得られる「幸福感」が
異常な程に膨れ上がる
障害がある恋愛の成就ほど恋愛に執着しやすくなったりもする
これは、一緒に苦労をして乗り越えた相手との間で「絆」や「信頼関係」が
強くなると言う心理的作用から来ているのだろうという点ですが
この「一緒に苦労して・・」という部分
本当にその人と“一緒に”“共に”苦労している分には
それはそれで良い面もあるので、構わないのだけど
“自分だけが彼に振り回されている苦労”を
この人との恋愛で苦労している感、が“この人と一緒に苦労している感”と
錯覚してしまったり
「泥沼」→「幸福」に出来た時の「達成感」「特別感」への期待度 が
“その恋愛への執着度”に変換されてしまったり
と言う様な精神的に認識が狂い“相手の誠実さ”を
正確かつ冷静に判断できない状態に陥って
その恋愛に対して“良い判断できる箇所”にばかり目が行ったり
“良い判断できる箇所”を故意に探して“きっとこれでいいはず”と言う
バイアスが掛かった状態になっている。
“苦労があるから幸福度が上がる”ではなく
“相手に誠実さがあるから幸福度が上がる”であって
“希望的観測”に強く偏らずに“悪い部分”を正確に“悪いと認識”
した上でそれでもその人が“個人的”かつ“社会的”に“誠実である”と
言い切れる、多くの人を納得させられるかどうかで
判断していく事がすごく大事になる。
ランキング応援頂けると、とても励みになります!