今日は平成30年10月27日。まあ、とりあえずいつもどおり話しかけてみて、外人さんを捕まえることができた。コロンビア人だった。年は一緒みたい。まあ、とりあえず、平和の鐘のことを説明した。

平和の鐘(後程詳しく解説します)

 

そのあと、分かったけど、東京から来るときに事前に広島のことを調べることをしてなかったみたいで、探検みたいだったけど君がいてくれて助かるみたいなこと言っていたな。

 

こうやって原爆という歴史を知ってもらうのも大切だけど、ただガイドしていただけでこんな風に困っていた人を助けられたっていうのは人として嬉しい。自然とそういう風にお礼みたいなのを言われて嬉しかった。

 

一緒に原爆資料館に行った。北海道に行くつもりだけど、調子をくずさずにいたいということを言っていた。開かなかったパラシュートや広島の原爆による被害を受けた場所の模型図を見ていた。

聞いたことがあるかもしれませんが、エノラ・ゲイが原爆を投下した時に別の飛行機がパラシュート付きの観測機を4つ投下しました。その内、一つだけは展示されています。

 

原爆資料館から出たときに、福山市に行くみたいなこと言っていた。最後に原爆供養塔に行った。原爆供養塔の背景(約7万人が骨はあるが、身元不明で、813人は身元が分かっているが、引き取り手がいないこと)も伝えといた。

※上記については【第15話】暑いシーズンのボランティアガイド(3ページ目)で書きました。

わりと最近そのうちの一人の遺骨の引き取り手が現れた。相生橋の名前の由来も聞かれた。

相生橋の下にある元安川の下流から撮影した相生橋

相生橋から撮影した原爆ドーム

※相生橋は知っている方も多いと思いますが、原爆投下目標とされました。(理由は相生橋が広島市のほぼ真ん中に位置していただけでなく、T字型であったため、非常に狙いやすかったからです)

相生橋の説明版

平和の時計塔の説明もほんの少しした。メープルバスを探していたみたいだった。原爆ドームの前にバス停があるらしく、行ってみた。確かにあり、とりあえず着くことができた。彼の最終目的を達成することができた。最後に握手してお別れ。

平和の時計塔(後程詳しく解説します)

まあ、今日はガイドできてよかったというよりも人助けできてよかったな。ってかんじだった。

※これで、ちょっと涼しくなってきた頃はのページは終わりです。

To be continued…