今日は平成30年10月22日。自分でも恐ろしくなるくらい平和公園に行っている。原爆資料館で買った本を何回読んだことか。モニュメントの説明の本は何回も読んだね。今日も外人を捕まえられ、どこ出身かと聞いた。メルボルンみたいだ。原爆ドームの近くにいて、話しかけてみた。まあ、とりあえずガイド方法はある程度覚えていた。原爆ドームの近くだったから、原爆の子の像か爆心地かを勧めた。どうも他のベテランの人は爆心地の公式な訳が“hypocenter”だから、それで通じると思っているらしい、俺もそう思って実際その単語を言うが、分からないというから、別の言い方にした。爆心地の説明は”epicenter”とか”where the atomic bomb exploded”とかを使うようにしようと決めた。結局、原爆の子の像を選んだから原爆の子の像に行った。原爆資料館に一緒に行っている時に、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の上の水のことも説明した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の上の噴水の動画(やや分かりにくいです)

噴水の上の時計は8時15分(広島への原爆投下時刻)をさしており、

噴水があるのは原爆犠牲者を追悼するためです。

原爆資料館を出て、それから広電の駅に向かっているときに、じいちゃんの辛い昔話もしといた。徴兵を免れられて、日本におれたことが裏目に出たみたいなことが分かってくれたと思う。広電に一緒に乗り、東京がすごく混んどるみたいなこと言っとった。メルボルン出身でメルボルンはこんなに混んでいないみたいなこと言っていたな。

それから、結局、宮島のフェリーのところでツーショットで写真を撮ってもらってお別れ。俺の心境が口では直接言っていないけど伝わったのかな。同じ人間だから、外人さんとはいっても、分かってくれたってかんじだと思う。おそらくそうだから、こんな些細なことでも鮮明に覚えている

彼が俺との写真を大切にしていることを願う。最後に彼は名刺をくれた。まあ、シンプルなガイドだったけど、広島の歴史を学んでくれてありがとう。

To be continued…