大学3年。アメリカでの生活にもだいぶ慣れてきた。
寮を出た事で、大学のカフェテリアが使用出来なくなり、多少の自炊と外食を余儀なくされる。
夜中に勉強と言う生活からは一向に抜け出せず、結局外食が多くなり、その上朝は授業ギリギリまで寝て、昼食はハンバーガーやサンドイッチと言ったジャンクフードばかり。
私の人生で最悪の食生活を送った1年にもなった・・・。
入学時68キロだった私の体重はマックスで79キロまで膨れ上がった。
(後にダイエットしてちゃんと戻しました。)
さて、ここまで美術専攻の中でもコンテ画、デッサン、水彩画など2次元アートを中心に受講していた私だったが
ここに来て転機が訪れる。
それが溶接との出会い。
火の持っている独特の匂いとその美しさ、鉄の赤く溶けていく様にたまらなく惹かれ
私の興味は2次元から3次元アートへと移って行く。
もともと宝石のデザインを勉強するべく美術専攻で学んで来たものの
絵は得意分野でもあった為、初級レベルの授業ではあまり学べる事が無かったのも事実。
そこへ来て未知の世界からのお誘い。
卒業後までお世話になるプロフェッサー『ロレッタ・バーネット』に支持し溶接を学ぶ事となる。
その後も引き続きコンテ画、水彩画、グラフィックデザイン、版画等々中級、上級と受講はしていったが、
この大学で学んだ中で一番の収穫は溶接であったと思う。
溶接の中でも、私は主にアーク溶接を学び、在学中地元の展覧会などにも頻繁に出展。
予想外に買い手がつく事もしばしば。
鉄板や鉄くずを探しにスクラップ工場を巡り歩いたり、
出展してくれる展示会場を探しにちょっと遠征したりと大学キャンパスを飛び出し活動して行った。
そして大学生活も4年目に突入し、卒業のかかったラスト1年を迎える。
入学から序盤、自らの学の無さ故に
ESL(English as a Second Language)クラスを中心に美術の初級編クラス位しか受講出来なかった。
ここに来て卒業に必須となる科目の単位が足りない・・・。(当然と言えば当然)
その為、この終盤になって凶悪なクラスが立ち並ぶ事となる。
上級美術クラスの数々に加え、
『ドラマリーディング』なる上級の英語クラス、
美術専攻最後の難関である古代~近現代美術史(教科書はB4版で厚さ約10cm)、
そしてその他にも
理解不能な、
今後の人生におそらく全く影響を及ぼさないであろう、
これっぽっちも興味の無い、
どんな物であったか、
何て名前だったかすら思い出せない
ただただ大変だった事だけを良く覚えているw
クラスの数々・・・。
毎晩閉館まで図書館に通い詰め調べもの
スタジオに徹夜で泊まりこんでの卒業制作
今同じ事をしようと思ったら悪夢でしかない生活
でもその当時は意外にもその忙しさ辛さを楽しんでいたのかもしれない。
終わってみれば卒業間際の美術学部主催の展覧会にて
最優秀の賞も受賞。
その賞は大学で私の作品を買い取ってどこかへ展示してくれると言う物。
今でもどこかに飾ってあるのだろうか・・・。
卒業式
皆テレビなどで一度は見たことが有るであろう、真っ黒なガウンに四角い帽子を身にまとう。
学長のありがたくも非常に長~いお言葉を頂いた後
最後は全員で一斉に帽子を
放り投げる
本当に卒業までたどり着けるのか不安でいっぱいだった入学から4年、無事大学を卒業。
そしてここから本格的に宝石修行へ突入していく事になる。