自分に与えられた試練 ~「ソウル・サーファー」より~ | 尋常ならぬ娘のオタクな映画日記

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  ~jeanpaul-cinemaの映画と伊藤英明をこよなく愛するブログ~


 昨日取り上げた「ソウル・サーファー」




この映画の中で私の心にものすごく残るセリフがありました。



片腕を失って、サーフィンもうまくいかず行き詰ってしまったべサニーが


父親と語り合うシーンがあります。



その時に、べサニーが



「今何をすべきか  どうすればわかるの?」



と父親に聞きます。


すると父親は



「わからない。


 時を待つしかない。


 その時まで神に祈り、耳を傾けろ。


 次に何がくるか。」



と答えます。



この映画でべサニー本人に対してもすごく感動しましたが


もう一つ、本当に素晴らしいなと思い、


べサニーは本当に幸せだなと思ったのは


素晴らしい家族に囲まれていることです。



彼女を支える家族も素晴らしいです。



そんな父親の言葉に私も励まされました。



この映画を観て、


自分が日々悩んでいることなんて、


本当にちっぽけでしょうもないことなんだなと思いつつ、


でも、


私が今、置かれている状況というものはこれで、


やはりちっぽけだと思いつつも苦しいものです。


きっと多くの人がそうだと思います。


突然の悲劇に片腕を失ったべサニーに比べて


自分は五体満足なんだ。


片腕を失ったべサニーがあんなにがんばって乗り越えているのに


自分はなんだってできるはずだ。と。


そう反省をしながらも


でも、五体満足でも


やはり逃れられない、どうしようもできない現実というものを


多くの人が抱えているはずです。



多くの人が傍から見てもわからないなにかしらの悩みを抱えて生きています。


私もそんな一人です。



そんな時、


このべサニーの父親の言葉を聞いて励まされました。



そして


やはり人というのは導かれるようになっているのだと。



なので


どんなに苦しい時が続いても


いつかは夜が明けることを信じ、


そして祈り、


次にどうすればいいのか、


その導きのチャンスを見逃さないよう努力を続けることが大事なんだと。



きっと、


今ある現実に絶望し、希望を失っていては


神様がくれるチャンスも、導いてくれている道も


きっと見えずに逃してしまうのだと。



なので、


決して絶望することなく


希望を持って、前を向いて生きていくことが


何より大事なことなんだろうと


私はあらためて感じました。




そして


最後にべサニーが言う言葉があります。



腕を失う前に戻りたいですか?


そう記者から聞かれ



「いいえ。過去は振り返らない。


 今は、両腕で抱くより多くの人を励ますことができるから」



そう答えるのです。




そう思えるべサニーは本当に素晴らしいと思いますが、



べサニーにとってはこの悲劇があったからこそ


見えたものがあったのだと思います。



私もこれはここ数年で思っていることで


といっても私はべサニーのような悲劇に襲われたわけではないので


それほど大きなことをいう資格はないのですが



つらくて、憂鬱で、しんどい状況に置かれ


絶望したとしても


その絶望があったからこそ見えるものが出てくるし


今の自分はそのことがなければ生まれなかったわけで。



私の場合はまだその現実をバネに花を咲かせるところまで


到達できていない途中の段階ですが


日々の悩み多き人生があったからこそ今があると思える人生に


いつか絶対してやるんだと日々思って生きております(笑)




そういう意味で


人生に訪れる試練は意味のあるもので


自分次第で


かけがえのない試練にすることができる


価値あるものなのだと思います。





そして最後のべサニーの言葉



「人生はサーフィンに似ている。


 波にのまれたらまた立て直せばいい。


 次はいい波が来るかも。


 神を信じていればどんなことも乗り越えられる」




この言葉を胸に


明日からまたがんばろうと思います。






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