僕と一緒 -26ページ目

連続アウトプットの余波

 休日。やらなきゃならん事が一杯ある気がするが、今日明日はスルーしたい。休日。仕事や義務に拘束されない時間、つまり暇。そんで急に「グラントリノ」が見たくなってしまったが、DVDは実家にある事を思い出した。あれも持ってこなけりゃならんなァ…。よ!一通りアウトプットしてスッキリ爽やかな皆のブルース野郎ニジムラリョーだ。飯喰ったか?

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 昨日、久しぶりにツタヤに行ったんだが、どうも見たいと思う映画が極端に少ない。借りてまで見たいとか、ましてや買ってまで見たいと思う映画が少ない。そんな時、俺は映画が好きなのかどうか疑問に思える。多分、単純に「映画」が好きな訳じゃないんじゃないかな、と思う。

 そもそも、アレが好きだコレが好きだと言うが、好きって何なのかよくわかんねぇしさ。好きって言うけど、コンプしたり制覇したり全部覚えてる訳じゃねぇし、精々が記憶に残ってるって程度だとも言える。逆に言えば、記憶に残っていないものなんて価値は無いじゃないですか。インプットを繰り返せるから好きな材料な訳で、それ以外は無価値だよね。

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 映像には映像のマジックがある。例えば、「サウダーヂ」のラストシーンの様な演出ってのは、映像独特の手法だ。舞台では出来ないと思う。カットが変わる、一瞬で世界を変える事が出来る、時間も何もかも全てを操作出来るのが映像だ。つまり、完璧な虚構な訳で、そういうものに魅力を感じたりする。

 因みに俺は嘘をつくのが下手である。それがショートタイムな嘘であれ、長いスパンでの嘘であれ、正直者では無いのだが、嘘を吐くのは上手く無い。これは賢く生きるスキルの欠如であると思っている。自分のコントロールの至らなささ。

 それとは別に、嘘を吐いた時の罪悪感とかあるじゃんか。まぁ自分がそうされたくない、と言うのもあるし。罪な嘘であれ、罪の無い嘘であれ、あんまり好きじゃねぇなァ。…と言う大嘘つき。ま、恥ずべき行為だ、とも思うけどね。嘘に関しては、ずっと葛藤しちゃうよねぇ。結局嘘は吐くんだけど、上手く無い。

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 映画とか、テレビもそうだけど、カメラが捉えていない部分ではどんな嘘でもつける。まぁそれがどれくらい自然かって話なんだけど、画面の中で違和感を感じなければ良いレヴェル。違和感を持って、現実に引き戻しちゃったらアウト。
 制作面では、そういう部分で厳しく見ちゃう。現実に戻らせるのは、制作側の罪だよね。その時間で発生するエンターテイメントに金を払っているのだから。

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 逆にメッセージ性とか、テーマとか、そういうのは特に気にしてない。映画なんてのはジャンクフードだ。何の栄養にもならない、瞬間的な快楽を与えるだけの代物だ。ジェットコースターで例えてもいい。乗ってる間は楽しいけど、目的地には到達しない。しかも映画ってのは作る側に飛っきりの基地外が多い。まぁ、それはどの娯楽にも言える事なんだけどね。

 逆に下手なメッセージ性がある作品は嫌いだ。反戦映画は特に嫌いだ。だったらプロパガンダ映画の方が面白い。手法、と言う意味での教材になるからだ。反戦なんぞは日頃からその意思を表明してれば良い事で、わざわざ映画なんていう手法を取る意味がわからない。伝達をしたいのなら非効率的な方法だし、映画と言う娯楽の中に落とし込む意味もわからない。まぁそれは映画に限った話じゃないんだけどね。絵にせよ歌にせよ、下手なメッセージをつめるくらいなら、やらない方がマシだと思う。

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 俺は曖昧な事が許せないんだよね。曖昧さの重要ってのも、わからんでも無いんだけど、大人なんだし、白黒付けるのが当たり前なんじゃねぇの?と思っちゃう。だから定義していたいし、確認しておきたい。不安要素は取り除くべきだと思うし、不安材料は排除するべきだと思うからだ。…この余裕の無さ(笑)

 負けたく無い、怪我したくない、色々と理由はあるけれど。でもまぁ、そういう事な訳ですよ。そう言う意味で、定義は非常に重要で、誤差を修正する為に絶対に必要だ。数字は絶対だ。嘘をつかないし、曖昧さが無い。…数学は嫌いだけどね。ただ、それらから成り立つ論理性は重要でしょ。

 自分だけが勝てるルールを守り抜き、貫き通す為には、そうでなけりゃならない。線を引いて、勝てる喧嘩と勝てない喧嘩を見極めて、そうやって生きていくしか無い。卑怯者だとか、臆病者だと言われようとも、蛮勇で勝ち進める世の中では無いし、それほどの腕力も能力も胆力も無い。

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 っつー事で、何か映画見る気がしねぇ。本を読む気にもなれねぇ。マンガ読む気にもなれねぇ。音楽聞く気にもなれねぇ。どうしたもんかね。疲れてんのか?やれやれ…歳だな、歳。今夜は、お前が俺に愛ってやつを口移しに教えてくれよ。そうしたら、また何か別の答えが見つかるかも知れないし。