【24年6月28日】
京都に行って来た。句会参加のため。何年ぶりのことだろう。コロナ禍は、大きな空白をもたらしたという事を改めて思う。会場へ向かう地下鉄で、かつての職場の同僚にであう。奇遇である。彼もすでに退職。第二の職場で頑張っているとのこと。句会には1時間半ほど参加。懐かしい方、初めての方。岩城先生が、サプライズ参加ということにしよう、ということで、すでに始まっている句会に途中参加。進行上、ちょっとご迷惑をおかけしたようだった。帰りの時間の関係上、途中退席。車中では、であえなかった人にメールを送る。夏至直後の日で、車窓からいつまでも沈まない太陽の姿が、妙に印象的だった。京都は、さすがに世界的な観光地で、人ごみにもまれるような状態だった。たまに出掛けたい街という感じではもうなくなっていた。
その翌日から、梅雨も本格的になったようだ。今日は、終日雨のの予報。散歩に出られない犬は、所在ない表情で時折こちらを見上げながら、ごろりと横になっている。朝食もとらない。
新聞をよんでいると、この国の政治家は自分たちのこと以外は、本当にやる気がないとしか思われなくなる。都知事選における片山氏に対する熱狂的な支持者の姿などは、明らかにその反動なのだろう。おそらく、その熱量の高さは、多くの保守政治家と保守層の人々、あるいは一般の人々ににとっても奇異な異物でしかない(あるいは、念頭にもない、問題外かもかもしれないが……)ものなのだろうか。その懈怠のありさまは、総理大臣の鈍感と無知、その上に立脚した自画自賛(どこかのマスコミが卓越した「鈍感力」と評していたようだが)のすがたに象徴されているようだ……。