【24年6月7日】
「ムジナ三兄弟」はしょせんムジナでしかない。それにしても、この呼び名は「自民・公明・維新」とわざわざ呼び分けないでも、一括して使える巧みな呼称かもしれない。これが広く一般に通用すれば、省力化、簡便化に役立つかもしれない。そうなれば恐らく今後、この新呼称がしばしば登場することになるだろう……。特に、維新の代表は、連立関係で政権に入る気満々(衆院選で、自・公が過半数割れをした場合、喜んで連立与党の一つに名乗りを上げる絶好の機会であることは、誰が見ても明らかだろう。人数足しの一翼を担う『第二公明党』というより、議員数の関係から言えば自ら『公明党』にとって代わり、自民に恩を売りつつ、発言力や影響力を増す立場に立つ、という計算が当然あるのだろうし、そのためなら手段を択ばない的なことを公言してはばからないようだけれど。国民の意識からかけはなれたところで、党利党略のために姑息とも思われる政治手法で打算的な行動に走る維新など、自民並みに信用するに足りない政党だと、つくづく思うけれど。公明も公明だけれど、まだ維新より「マシ」かもしれない。とは言え、今回のごたごたで、大きな影響を受けるのは、実は自民ではなく公明ではないか、とも思われる。恥知らずの自民や維新より、多少は恥を知る公明の方が、風当たりは一層強まるというのは、世の中にごくありがちなことだ。中途半端に誠実な人ほど、不正や不正等のあおりをくらってより致命傷を蒙るということは、打たれ弱さということも含めてありそうなことだ。支持母体の学会が、単なる政治団体ではなく、一応宗教団体であることが、こんな時には弱点と化することもあるのかもしれない。言い換えれば、恥知らずの方が、この世界(政治の世界を筆頭にして)ではより強いという事なのだろう。
雑食性の「ムジナ」連中に、何が食い散らかされることになるのだろうか……。