【23年9月2日】
「汚染処理水」を「処理水」と言わず、「汚染水」とうっかり口をすべらしたせいで、辞任までいわれた高齢の大臣がいたけれど、風評被害に苦しむ人たちに対する配慮として為政者たちが言葉に配慮することはもっともなことだろうけれど、しかし、その実態は文字通り「汚染処理水」の排出であることはかわらない、と個人的には思う。地元の人たちが苦しんでいることのひとつは、「風評被害」によって生業である漁業に大きな支障がきたすことにあるということがあるのだろうけれど、しかし同時にその流された水がやはり一度は放射能に汚染された鵙であり、それを魚たちがくらす環境の中に希釈して科学的には無害であると言われているとはいえ流し出すことが、頭での理解と、感覚・感情面での受容との間に齟齬をもたらしているということが、排水反対の声や「風評被害」の解決を難しくしている大きな要因のように思われる。その背景にあるものは、ネット上で「ドラえもん」によくにた呼称のひとが、「汚染処理水」排出を反対する者は左翼であると決めつけたり、科学的知見を理解・了解できない馬鹿者あつかいをする姿勢であり、それは問題解決をややこしくするもののように思われる。そのやり方は、上から目線の押し付けであり、政府がおこなっている慇懃無礼なやりかたと同質なものなのだろう。あるテレビ番組で報道していたけれど、おなじような「汚染水」の処理について、処理する側と受け止める側とが10年近く、腹を割った話し合いを続け、その結果汚染物質の空中放散を決めたというようなことがいわれてあった。もちろん、熱処理をして空中に散らそうが、薄めて海水に拡散しようが、放射能それ自体が消えるわけではなく、根本的な問題解決にはなっていないという点では、両者ともに大きな違いはきっとないのだろう。ただし、当事者同士が、「丁寧な説明」的な一方通行のやりかたではなく(一方通行だから、それを理解しないのは馬鹿だ、という傲慢な考えも生まれるのだろうが)、双方向的な議論のやり取りが根本的な解決には結びつかなかったけれど、両者の覚悟とそれなりの信頼関係をもたらし、それがより双方納得づくのよりスムーズな問題処理につながったようにも思われる。「急がば回れ」という言葉があるけれど、それは一つの智慧を語っているようで、今回の「汚染処理水」問題についても、「急がば回る」ための数年間の時間的猶予はそれなりにあったのではないか、などと思う。少なくとも、相手の理解の上に立って処理作業をを行いますなどと言いつつ、厳然と反対の声が上がる中で、「汚染処理水」の排出をおこない、そのうえで引き続き理解を求めるという本末転倒的なやり方をおこなうのは、相手の信頼を損なったうえで、マイナスの地点から再スタートをきるという、より厄介な状況をもたらしてしまったように個人的には思われる。一度排出を始めた以上は、よっぽど大事故が起こりでもしない限りは絶対にそれをストップしないのが、伝統的な日本の行政のやり方であるし、そうなると例えば漁業者の人たちは、現状を追認するほかに取るべき道はなく、そのために補助金という「金目」での解決に進んで行くしか、この先の見通しもない、ということになるのだろう。しっかり働き、その労働に見合う収入を得て、生きがいとやりがいと日々の暮らしを保つ家業としての漁業について、漁師の方が口にしておられた、将来の後継者の育成につながる家業についての見通しを立てることが、おぼつかなくなる、そんな危惧の思いがつのるということが、とても気になることだった 。
当事者からはほど遠いところに立つ者の、勝手な言い草なのかもしれないけれど。人の心や思いを踏み倒して進む、そんな政治のやりかたや、それを手ばなしに称賛する姿勢などを、個人的には嫌だな、と思う。
余計なことだけれど、国会討論の中で、「仮定の質問にはお答えできない」という発言をしばしば聞く。確かに政治は現実に起こっている諸問題についてどう見通し、どう解決・処理していくかということが肝要なのだろうとは思うけれど、その過程のなかで、いくつか想定できそうな重要な課題や危惧と、それが現実化した場合の対応や対処法について、まったく何の検討も準備していない、ということは常識的にないだろうと思う。でなければ、問題の処理は常に起こった事柄に対するその場しのぎの対応で終わってしまいかねない。そんな知見や見識に欠けるような人物は、きっと官僚にも政治家にもいないことだろう。とすると、言質をとられることを危惧するあまりなのか、「仮定には答えられない」というにべもない発言は、それを聴くものにとっては、その話者が有能なのか、あるいは想像力や構想力に欠ける残念な人なのか、ほとんど判断がつかないことになる。結果、中国がこんな対応に出るとは想定外だった、みたいな発言がぽろっと出たりもすることになるのだろうか、などと思ったりする。ともかく、何かの問題に対して、それを解決に導こうとする時、「何とかします」的な政治向きな発言だけではなく、想定部分も含めてより具体的に詳細に対応策を知らせてほしいような気がすることだ。これもまた、勝手な言い草であるかもしれないけれど……。