【23年5月2日】
ゴールデンウイーク中日。個人的には、毎日が日曜日ではあるけれど、快晴のもと、来客中の人と出かけることにした。実は、これで連日外出が続くこと三日で、家籠りが基本の生活としては珍しいことだった。車を走らせて、新緑の某寺院へ出かける。吟行で出かけたこともあるところで、地方の寺としては、なかなか寺域も広くて、立派なところであった。山域全体の雰囲気も良く、立派な塔は、山の中腹、壮大な石組みの上に建てられたもので、まるで城郭の天守閣を思わせるような立派なもので、最上部まで登ることができて、広く周辺の山々や麓の地勢、さらに遠くにかすむ海まで見通せて、爽快な気分を味わうことができた。週前半は引き続き良い天気が続くようなので、もう一日どこかへ近場へでも出かけてみたいようなうかれた気分になる。

そんな浮かれ気分のあおりを受けて、読書のほうは滞り気味。ただ、ドナルド・キーン関係の評論を読んで、興味を感じ、図書館で彼の執筆した評伝『正岡子規』を読み始める。けっこう大部な一冊ではあるけれど、読み始めると面白い。筆者の子規に対する共感が、その人物像の描出に生き生きとした感じをもたらしていて、それが魅力的だ。

庭のつつじが、今年は例年以上に「咲き誇る」という状態だ。町中のツツジ類も、はっと目をひかれるほどに盛大に美しい。気候の関係なのかもしれないけれど、ちょっと異様な感じを持つ瞬間もあるほどだ。あまりに美しすぎるということは、どこか異常な感じをこちらにもたらすようだ。気楽に、ああきれいだ、きれいだ、と浮かれているばかりでは、なにかしら済まないようなところを感じている。これは一体何なんだろうか……。