昨日退院。2週間あまりの入院だった。長いような、短いような入院生活であった。これから、長い予後の生活に入る。
入院生活は、術後数日の点滴と痛みの時期を除き、ずいぶん快適?なものであった。親切な医師、細やかな看護師さん達(本当にこの病院の看護師さんたちはすごいとつくづく感心しているのだ)、準個室と言うことでゆったりとした療養空間。病室のある6階の窓からは、京都市内や西山の風景が遠く眺められた。病室前の廊下の突き当たりの硝子張りのドアからは、自分のマンションが遠望出来る。夜になると、そこが綺麗な光の飾り窓のようになって、トイレの帰りなどちょっとその景色を眺めやるような瞬間もあった。
ちょっと驚いたのは、手術の翌日から「歩け」という事だった。朝のうちに尿の管を抜いて、以後トイレは自力で行くことになる。最初は、目眩とふらつきが酷かったけれど、何とか一人で歩いて用を足す。トイレの往復が回復の訓練にもなっている。寝たままでいるよりも、上体を起こしている方が回復につながるということで、ベットの背もたれを立てて、それに凭れるようにして、一日を過ごす。本を読むつもりで、準備をしてきたのだが、とても読書などできる状態ではなく、その代わり漫画ばかり読んでいた(入院後半になって、なんとか少しずつ活字が読めるようになるのだが)。インターネットも使える液晶テレビが各ベットに備え付けになっているので、たまにネットで『週刊俳句』を見たり(ちょうど、「角川俳句賞・落選展」をやっていたので)、あとはほとんどテレビはつけっぱなしにした状態であった。退屈というのとはちょっと違う、病院の一日が過ぎていく。5時前には目が覚めているのだが、病室に明かりがつくのは6時からで、消灯時間の21時半までが病室の一日ということになるのだろうか(もっとも、21時半になったら眠られるというわけでなく、結局夜中くらいまでベットの上で転々として、日にちが変わるぐらいから細切れに眠るというような状態だった。眠れにない時には「古今亭志ん生」のCDを聞いていた。楽しんで聞いているうちに不思議と眠ることが出来るのだ。目が覚めると、また聞いて眠り、また目が覚めると聞いているうちに朝になるのだった。
退院した日は、タクシーで帰宅し、その後訓練を兼ねて、近所のスーパーへ買い物に出掛けてみたが、やはり少々無理で、途中から母が買い物を終えるのを店内のベンチで待つことになる。午後は、室内で過ごす。横になるより椅子に座っている方が回復が早く、他の病気の予防にもなるということなので、リビングのソファーに座って過ごす。夕方近く、2時間ほどベットに横になり、入院中にTさんから贈られた『飯田龍太の時代』を読んで過ごす。夜は比較的安らかに眠られた。夜中に目を覚まし、傷が痛むのでベットに腰掛けてしばらくやり過ごす(座っている方が、傷は痛まなくなっている)。その後は「志ん生」氏のお世話にはなって眠る。