夜明け前の星空を眺める。今日で、3日連続。月が出ていないおかげで、まだ星空が見やすい。どこからか、小さく歌声らしきものが聞こえる。近所にカラオケを売りにする飲み屋が2軒あるので、そこで夜っぴいて歌い騒いでいるのだろうか、と思う。
昨日は、結局一日自宅に籠もる。美柑みつはる氏の句集『亥子餅』をきちんと読んで、お礼の手紙を書く。「草餅を搗きてよき色生まれけり」「隣り田の湿りもらひて大根蒔く」「初詣七星は柄をのばしをり」「蓼の露赤大山となりゐたり」「小鳥来る蓮浄院の丸窓に」「春耕や鍬が知りをる父の癖」「春耕のはじめの石を拾ひけり」「交配の筆踊りけり梨の花」「木枯に飛ばせて撒けりお礼肥」「八月大名瓜坊に芸仕込みをり」「生きている土を叩きて畦塗れり」「梨食へと袋裂きしてくれにけり」「猪垣に体当たりして逃げしあと」「春子藪細かき雨の来てゐたり」「水浚ふ土管に声を通しけり」「大山の裏に廻りし雪起し」「木偶まはしして種薯の芽を探す」「牡丹雪牛のにほひは吾がにほひ」などの句を感銘句として手紙に書き付けた。ただ、この3倍くらい良いなと思った句があり、特に父母の句、減反の句などにも感銘を受けた。読み応えのある句集であった。
昼過ぎ、近所の大型スーパーに買い物に出かける。途中、大粒の雨が降り出し、半分濡れながら店舗に駆け込む。一通り買い物を終えて外に出ると、すでに雨は通り過ぎていた。北の方を眺めると、巨大な雲の柱が立ち上がっているのが見えた。しばらくすれば、さらに一雨くるかもしれないと思い、急いで帰宅する。ベランダに干していた洗濯物のうち、一番外側に干していたハンカチがびしょぬれになっていた。そのおかげで、他の洗濯物が濡れるのは免れた。かなりきつい降りだったようだ。
『眩』短歌会編『瓦礫の街から 阪神大震災のうた』を読む。震災後、すでに10年以上経過し、個人的にはその後実家が別の大きな地震の被害に遭うなどということもあり、神戸の街自体も立派に復興を果たし、すでに一昔前の大きな出来事のようになってはいるけれど、その短歌を読むと、京都にいてさえ驚くほど大きく揺れたその時の感覚が鮮明に甦ってくるほど、生々しい感触であの日の事が思い出される。職場の事務室で見た、戦場とまがう業火に包まれた神戸長田地区の中継画面がくっきりと思い出される。通勤の駅頭での余震の大きさに驚いた事も思い出す。ましてや、活断層直上の神戸地域であの大震災を経験した多くの歌人達の驚愕や悲痛は想像を超えるものと思われ、その瞬間、その思いが刻まれた一首一首は胸に迫ってくるものだった。
夜、就寝まで、角田光代の小説を読む。『東京ゲスト・ハウス』。旅と日常の狭間、境界領域小説とでもいう内容のお話であった。