親子旅2日目 ② | 三温糖のブログ

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夢への 道のり

すっかり 親子旅の最後をアップするのを忘れて


ました(ㅇㅁㅇ;;)…すみません。


たかが一泊2日の旅を長ーーーーく書き綴りました


別に私の過去を誰かに知って欲しくて書いた訳で


無くて この旅は私が僕を育てる過程でまず最初


に考えた事のひとつの終着点だった気がします


だから キチンと書き残しておきたく書き綴り


ました、長〜いのに最後まで読んで下さいまして


ありがとうございます。




さてさて 兵庫区から須磨区へ移動しました


息子 僕は昔の⬆︎の写真を元に場所の特定をした


最初は航空写真からだった 航空写真は過去に


遡る事が出来るので僕は好きで様々な場所の昔の


航空写真をよく見ていましたよ。


けど航空写真だけでは母の過去を特定出来ない


と思った僕はGoogleマップを活用するように


なり ストリートビューを活用しまくって特定


までに至りました 3年以上かけて特定した僕




右端の壁にへばりつき私達が住んでいた部屋を見よ


うとする僕(*≧m≦*)プププ


この後 その部屋の前まで行っちゃいました!


僕は部屋の中まで見て見たかったと思いますよ


よく我慢した事です


何故我慢出来るのか?


人の気持ちを想像することが出来るように


なったからと 自分の振る舞いが他人にどう見られ


どう思われるかが分かるようになったからだと思う


僕がへばりついている壁とそのマンションは私達


が住んでいた時には無く 古い長屋がありました


マンションから鷹取駅までの道を近くまで僕と


散歩しながら 当時の思い出を話しましたよ。


さて最後は 姉が亡くなったマンションです


が、僕もう行かなくていいと言いましたよ


助かりました!いくらでも連れて行くけど


その場所で僕に語ってやれる思い出は何一つ


楽しい思い出が無いからです。


旅の終わりを出来ればアソコで終わらせたくなか


ったので助かりました( ˊᵕˋ ;)


帰る道沿いにあるのでチラッとは見ましたよ


私も自分の心がどう反応するか分からなかった


のですが 全く問題ありません穏やかなまま


次来る時は花を持って行こうと思います。




帰りの高速道路は一つで休憩しただけで


すっ飛ばして帰宅しましたよ


商店街で買ったお土産で夕食にする予定だったから


ばあちゃんの夕食に間に合うように頑張った


行きと違い雨が降ってなかったので助かりました


僕は満足したのか 帰りの車の中で爆睡して


いましたよ爆笑ꉂ(ˊᗜˋ*)ʬʬʬ


無事 親子2人旅 楽しかったね!で終われました。




今回の私の旅の目的は充分達成出来たと思う


伝えられた 伝えきれたと思います


普通の子なら…定型発達の子なら


親に親の過去を聞き 忘れた 覚えていない


話したく無い と言われたなら諦めるでしょう


なんとな〜くそれ以上は聞いちゃいけない空気


を感じたりして知りたいけど我慢する…けどね


僕は自閉症です そんな空気なんか分からない


僕が小さな頃 まだ自閉症だと私も知らなかった


頃 小さな僕はお友達と関わりたくて知らない子


にもガンガン突撃してゆく子でした。


いきなり絡まれてビックリする子供達は優しく


僕を受け入れてくれる子は少なく


殆どの子は逃げます 僕を変なモノを見るような


目を向けて避けます


小さな僕は何故逃げられるのか分からず


嫌がられるかが分からず 泣きながら追いかける


分からないんだ この子には分からない


他人が何を感じ 何を考えるのかが分からない


のだと感じで発狂して哭き叫ぶ僕を抱きしめながら


私は心が張り裂けそうでした。


3歳児検診でADHDの疑いから病院の紹介状が


出されていたのに私はそれを見なかったフリを


しました、でもそうしながらも調べてはいました


自閉症スペクトラム症だと内心確信していました


そう確信した時 僕をどう育てたらいいのか?


何を第一に教えたらいいのか?悩みました


小さな僕をみながら私が思ったのは


たくさんある僕の分からないを


分かるに変えてやらなきゃいけないって事でした


そうしてやらないと 余りにも僕は辛いから…


自閉症である僕は 人が何を感じ何を考えるか


が想像出来ません 自分が感じ考えている事を


皆んな同じく感じ考えてると思っていました。


例えば…僕はかくれんぼして遊びたい!と思うと


まわりに居る人間 大人も子供も全ての人間は


今かくれんぼしたいと思っていると僕は考えます


他人が違う事を思い考えてるとは全く考えません


想像が出来ません 何度それを経験しても僕には


理解が出来ません だから かくれんぼを拒否


されると僕は意味が分からず 何故かが分からず


傷つき哭き叫びます。


想像力の欠如 他者との境界線の無さ


障害特性は緩和することは出来ますが無くならない


社会で僕が生きるにはどうすれば良いのか?


私は僕に様々な事を経験させることが大切だと


考えました。


人間は歳を重ね 歳を取れば身体は不自由になる


介護が必要な人間は何を感じ考えるのだろう?


その内面を僕が経験すること無く育てば介護が


必要な人に対して 僕は恐らく悪気なく感じる事


をストレートに表現するでしょう


だからそれを防ぐために私は実母を引き取り


介護する姿を見せる事にしました。


私がする事に基本的に反対しない旦那さんが


この時だけは反対しました 自分の負担がどうこう


で反対したんじゃない私の過去を知っているから


母を引き取り介護する事は私が耐えられない


更に傷つくのではないかと心配したからでした


人間は誰かの為になら強くなれるものです


自分の私利私欲だけの為にできる努力などなかが


知れてるし強くなどなれやしない


私は僕の為になら いくらでも強くなれます


僕に人間が老いるとは?を教えられるなら


私はどんな事も乗り越えられます


僕が知りたがるから その都度その発達段階に


合わせて私の過去を開示してきたのも同じ理由


人間は一人一人違う過去があり生き方をするもの


どんな人間にも過去があり その生きてきた時間


は君とは違うもの 人間とはどうゆう生き物か?


僕の母の過去への飽くなき興味 関心を利用して


私は教える事としていました。


僕が自閉症だから私は全ての傷を曝け出した


僕が普通の子なら 定型発達するのであれば


自分の人生で学ぶことだから私は曝け出すこと


など絶対にしなかったと思います


何となく分かる 何となく理解出来る


空気が読める子なら 私はこんな育て方しない


分からない子だから 想像出来ない子だから


それは障害で僕にはどうしようも無い事だから


その所為で僕が傷つくことがないように


僕が望む人との関係性が築けるようになるように


人間が大好きな僕の長所がそのまんま育つように


僕を産み育てる母親として母の過去を追体験させ


る事によって様々な事を教えたい


手を離す18歳迄にはキチンと教えておかなきゃ


いけない 僕の未来がより良くなる為にと


人が何故そう反応するのか分からず傷つき泣き


絶叫する小さな僕の声を聴きながら 


怒りと絶望に力の限り暴れる僕を抱きしめながら


私は考え心に決めていました。


我が子だったから 僕が自閉症だったからこそ


私は全ての過去を僕に曝け出し その副作用にも


耐え切ることが出来ました。


その目的の一つの終着点にこの旅はなったと思う


僕の為に始めたことでした


けど終わってみれば私の為だった気がします


良い旅でした(о´∀`о)