江戸摩呂日記 ~メディア千本ノック~ -2ページ目

「美しい日本」の担い手を育てるのは誰や

読売新聞(夕刊) 2006年(平成18年)1129日(4面)

「トイレに身隠し 恐怖と飢え体重20キロ代 ルワンダ大虐殺 肉親失った女性来日」

1129日夕、港区の慶應義塾大学で、ルワンダ生まれのイマキュレー・イリバギザさん(36)(米ニューヨーク州在住)が、講演を行った。イマキュレーさんは、1994年アフリカのルワンダで起きた民族抗争による紛争で両親、兄、弟を亡くしており、大虐殺の実態や、家族愛、希望を持ち続けることの大切さを訴えるために初来日した。 

まろは、映画「ホテルルワンダ」を観てからというもの、この大虐殺に対して様々な想いを抱いており、イマキュレーさんの来日に関する記事についてもとても興味を持った。講演内容は、記事によるとこーである。

「大学生の時、民族対立による、多数派のフツ族によって少数派のツチ族が大量殺害される事件が起きた。自分自身も、大なたを手にしたかつての隣人、友人に追われた。牧師の家のトイレに女性8人で身を隠し、『神様、助けて』と祈りながら、恐怖や空腹に耐えて約3ヶ月間過ごした。シャワーや着替えもなく、体重は20キロ台に落ちた。フランス軍のキャンプに移り、両親、次兄、弟の死を知らされた。刑務所で家族を殺した男と会い、それが知人だと知って、ひたすら泣いた。そして『あなたを許します』と静かに語った。『怒りを手放し、新しい人生を送るために出た言葉だったのかも』98年、米国に移住し、国連で働いた後、今年3月にルワンダの孤児らを支援するための基金を設立。世界を駆け巡って講演を続けている。

(中略)

講演に向け、イマキュレーさんは『家族は永遠には存在しない。家族への尊敬の念や感謝の気持は、率直に伝えたほうがいいということを、日本の若者に伝えたい』と語る。」

最近、両親や祖父母等、肉親を殺害したという悲惨な事件が多発しているように思う。日本人は、いつから自分を育ててきてくれた人たちに対する感謝や尊敬の気持ちを忘れてしまったんやろう。安部政権は、政策目標の目玉として教育再生を掲げているが、果たして、教職員の資質の改善や、教育カリキュラムの見直しといった体制に関わる改善だけで、「美しい日本」を担う人材育成ができるんやろか。その効果は、限られてると思う。やはり、人格面の教育は、家庭教育による部分が大きい。人を敬う気持ち、人を思いやる気持ちを持ち続けることの大切さは、親が子供に家庭で教えるべき基本的な事や。職員が、保護者のクレームに怯えている学校で教育なんてできるわけがない。日本の全ての親は、イマキュレーさんの、「家族は永遠には存在しない。家族への尊敬の念や感謝の気持は、率直に伝えたほうがいいということを、日本の若者に伝えたい」という想いを理解できる若者を、自分の手で育てていく「義務」がある。そーせんかったら、子供たちからの素直な言葉を生涯耳にすることはないやろう。


「ゆとり教育」は早すぎたのかも・・・

AERA 2006(平成18)年1120日号

「寺脇研『さらば文科省』」

 日本の学生の学力低下はなぜ起こったか。この問いの答えとして、まず出てくるのが「90年代前半から文部省が推進した『ゆとり教育』で、詰め込み型教育を辞めてしまったからだ」というコメントやろう。

 「ミスターゆとり教育」としてゆとり教育を推進し、メディア等でも積極的に発言してきた文部科学省の異色官僚、寺脇研はんが「学力低下」の責を背負い込む形で辞めはることになった。今回は、この寺脇はんが文科省を去るにあたって、ゆとり教育を振り返って語ったインタビュー記事をとりあげたい。

 寺脇はんは、ゆとり教育を推進するにあたった経緯をこうゆーとる。

「人を育てる目標をどこに置くのか。教育行政の軸が定まらない理由のひとつがここにある。

戦前は、旧制高校など社会を牽引するエリートの育成に重点が置かれた。高度成長期は、勤勉で正確な労働者・中間管理職の育成に力点が移った。成長が一服すると『期待される人間像』は霞んだ。今さら『いい製品を安く大量に』ではない産業界も、暗記詰め込みの学力重視では満足せず、個性・独創性を求める。

『教育内容を政府が決め一律に配給する、というのが従来のやり方だった。だが配給では個性が育たない。そこでゆとり教育が登場した。配給は最小限に留め、好みと能力に応じて選択するのが成熟時代の教育だ』」

 ゆとり教育は、成長の時代が終わり、目標を見失った時点で出てきた必然的な結果・・・ゆーとるように思う。まあ、そうやろなというのがまろの率直な感想で、寺脇はんに同情するところがある。日本人には、教育を、寺脇はんいわくところの「好みと能力に応じて選択する」能力が欠けていたんやないかと思う。自分で考えて選ぶゆーのはなかなか難しいことやから、番人向けの義務教育の過程では上手くいかんかったんやろう。そーゆー意味では、ゆとり教育は、政策として実施されるのが早すぎたんかもしれん。

 因みに、寺脇はんは同記事によると、「金八先生」の脚本家・小山内美江子はんが塾長を務めるNPO国際ボランティア・カレッジや、地域の教育力を高める活動を続けている特定非営利法人教育支援協会を手伝うことで、今後も教育の世界に関わっていかれるゆーことや。一民間人として、教育でいい仕事をしてくれることに期待したい。


日本は真の「再チャレンジ支援国」になれるか

朝日新聞(夕刊) 2006年(平成18年)1113日(2面)窓 論説委員室から

「ホワイトハウスの職人」

 米国在住の韓国人ジャーナリストである、マイケル・ユー氏の近著「ホワイトハウスの職人たち」(新潮新書) には、ホワイトハウスの表玄関から入らない人々の様々な人生が描かれている。記事にはこー書いてある。

「ホワイトハウスのドラマに世界は注目するが、そこに住み込んだり、出入している職人たちにもドラマがある。(中略)なかでも、レーガン大統領や現ブッシュ大統領の理髪師がアフガニスタンの外交官夫人だったのは驚いた。彼女はソ連の侵攻によって、米国で理容師として働くことになった。縁あってレーガン大統領のもとに行ったら、『スティンガーミサイルをアフガニスタン人に与えるのはいいことだと思うか』と尋ねられた。彼女の答えはイエスで、その半年後、アフガンにミサイルは渡ったのだという。ジョンソン時代からの仕立屋はフランス出身で、米国に来たものの仕事がなく、公園でホームレスをしていた。それが洋服屋の下働きから始めて、いまではスーツが最低でも四千ドルという成功ぶりだ。著者が来日した際に話を聞いたら、『天国と地獄を体験した人たちが大統領の周りに居ることは、米国のダイナミズムとパワー感じさせる』と語っていた。」

安倍首相は、「再チャレンジ支援策」を政策の目玉のひとつとして打ち出している。「再チャレンジ支援策」が、ホワイトハウスの理髪師や仕立屋の様な劇的なドラマを創り出せる仕組みとなるには、本人の努力が必要であると同時に、本人の過去に関係なく、努力した人、成果を上げた人を素直に認める社会作りも必要や。人が生きていく上で、修羅場をくぐることは大切やし、痛みを経験しているからこそ他人のチャレンジを応援したくなるもんやろう。「再チャレンジ支援策」が、うわべだけの支援に留まらないことを期待したい。

1日刑務官やなくて、「1日受刑者」やってみい!

朝日新聞 2006(平成18)年1110日(金曜日)39

谷津憲郎「塀の中市民の目 『1日刑務官』・刑場を視察」

 名古屋刑務所での刑務官による暴行事件をきっかけに、受刑者の人権に関して議論が始まり、監獄法が「刑事施設受刑者処遇法」に全面改正された。同法に設置が盛り込まれた「刑事施設視察委員会」を中心に、同委員会の委員が1日刑務官となって八王子医療刑務所の看守業務を体験したとゆー。それを紹介した記事の出だしはこうや。

「全国の刑務所や拘置所で、新たな試みが始まっている。仕掛け人は各施設に今春つくられた『刑事施設視察委員会』。委員である弁護士や市民らが『1日刑務官』となったり、受刑者向けのニュースを発行したり。国家機密並みのブラックボックスだった死刑執行の刑場を見た委員会もある。世間から閉ざされてきた塀の中に、風が吹き始めた。

(中略)

(以下、小見出し)

知ることに意味 物見遊山は困る

『累犯障害者』などの著書のある元衆議院議員の山本譲司さんの話 刑務官の過酷な労働などはあまりに知られてこなかった。塀の中の実情を市民が知ることには意味がある。ただし、単なる物見遊山は受刑者の劣等感をあおるだけ。委員は生半可な気持ちでは困る。今は試行錯誤の段階だろうが、服役後の社会でも出所者がきちんと生活できる処遇をつくっていってほしい。それが受刑者の人権救済につながり、社会にもプラスになる。」

医療刑務所の受刑者の実態や職員の過酷な勤務状況などを見て、受刑者の人権保護や刑務所の労働環境改善に資するとのことやろう。しかし、1日刑務官とゆーのはおかしくないか。まろは、過酷な状況に置かれている受刑者や刑務官を、生半可な気持ちで上から見下して物見遊山に行ってるよーに思えてならん。本気で刑務所を視察する気があるんであれば、1日受刑者として、入ってみたらえーんやないか。


小泉危険認定できんかった日本のメディアは危険!

日本経済新聞 2006年(平成18年)114日(土曜日)4

「ブッシュ氏、金正日氏より危険」

 イラク戦争の泥沼化により、中間選挙で歴史的な敗北を喫しそうなブッシュ米国大統領やが、その不人気の原因はイラク戦争の収拾に失敗したからというんは米国の見方らしい。米国の同盟国、英国ではともにイラク戦争を戦った同盟国のリーダーに「世界で2番目に危険」という評価が下されたようや。英国ガーディアン紙の「危険な人物は誰だ」という世論調査の内容は、以下の内容だったらしい。

「ブッシュ米大統領は、核実験をした北朝鮮の金正日総書記よりも、核開発疑惑がもたれるイランのアフマディネジャド大統領よりも、世界の平和を脅かす危険な存在だと、英国人の多くが考えている―3日付の英ガーディアン紙は、そんな内容の世論調査結果を報じた。

(中略)

報道によると、英国では、アルカイダを率いるオサマ・ビンラディン容疑者について『危険な人物』とみる人が87%にのぼった。

ブッシュ大統領については75%の人が危険だと感じ、金正日総書記の69%、イスラム教シーア派過激派のヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師の65%、アフマディネジャド大統領の62%を上回った。」

この世論調査の舞台となった英国のブレア首相も、イラク戦争への参戦と収拾の失敗によって人気が急落、来年9月までに退任することが決まっている。米国も中間選挙での民主党の圧勝で、流石のブッシュ大統領も世論の厳しさが分かったとゆーところやろう。

一方、日本はどうか。イラク戦争を承認し、戦後サマーワに自衛隊を送った小泉前首相は2005年の郵政解散・選挙で圧勝し、今年9月に足掛け5年に渡る首相の座を安倍ちゃんに禅譲して、悠々と退任した。米英のリーダーとは雲泥の差や。この差は一体何やろか。

イラク戦争で直接血を流した米英と日本との差など、理由は色々あるやろうが、まろは、メディアのあり方がこの差を招いたんやないかと思っている。非は非であると容赦なく批判して掲載記事のような皮肉な世論調査を打てる米英のメディアと、劇場政治にのっかってお祭り気分にひたる日本のメディアとの差が出たというところやろう。政治家になるんなら、メディアの弱い日本に限るゆーことか。


参加することで生活と政治がよくなる!?

日本経済新聞 2006年(平成18年)1030日(月曜日)5面 インタビュー領空侵犯

神野直彦(東京大学教授)「観客主義から抜け出せ スポーツも政治も『する』を」

 スウェーデン人はスポーツを「する」が、日本人は「見る」だけ。自ら参加することがオリンピックやワールドカップなどの世界レベルでのスポーツの結果や個人が実感できる経済的豊かさを生み出す原因となっているのではないかと主張する、神野教授のインタビューをとりあげたい。

「――日本人のスポーツや音楽の楽しみ方を歯がゆく感じておられるとか。

  『専門の財政学の研究でスウェーデンを何度か訪れて、“する”文化と“見る”文化の差を感じるようになりました。あちらでスポーツを楽しむと言えば自分たちですることです。見るプロスポーツは皆無に近く、プロ選手は北米や欧州諸国で活躍します。五輪メダル数で冬季は別格に多いし、夏季も人口比で日本を上回るのは、すそ野の広さと関係していると思います。』

(中略)

 ――『見る』文化も一概に悪いとは言えないのでは。

『日本とスウェーデンの一人当たり国民所得は同じような水準ですが、生活実感ではスウェーデンがはるかに豊かです。なぜなのか。日本では“見る”や“買う”が経済統計を膨らませているのです。スウェーデンでは、統計数値に出にくい“する”“組み立てる”の成果が生活を豊かにしています。』

『スポーツや大工仕事、音楽ならまだしも、“見る”文化と“する”文化の差が決定的に出てくるのが政治です。テレビ映りの受けがいいかどうかで、日本人は観客として政治に接しがちなのに対して、スウェーデンは二十歳前後の若者たちも地方議員としてコミュニティーの中でリーダーシップを発揮した人しか国会議員になれません』

『日本ではあてがいぶちの受け身の消費態度が観客民主主義の政治にも反映しているのではないでしょうか』」

観客として見ているだけでは、何事においても成果や達成感を得られないというのは、まろの経験からも同感できる。ただ、インタビューの語り口から推察するに、神野教授は、最近は観客なれし過ぎて自分に迫る危機的な状況すらわからんなってきている日本人に苦言を呈したいんやないかと思ってしまう。

参加することで生活や政治がホントによくなるかどうかはわからんが、少なくともやってみた結果に対する納得感は得られるんやないやろか。特に戦後の日本人の場合は、この納得感がなかなか持てなかったんやないかとまろは思う。

安倍「リメイク」政権?

夕刊フジ 2006年(平成18年)1027日(金曜日)13面 オヤジの細道

重松清「リメイクの時代」

音楽、テレビ、政界と最近は何でもかんでもリメイクされてるゆー、おもろい指摘がある。今日は、そーゆーてる作家の重松清はんのエッセイを紹介したい。

「(中略)レトロブームなんて、もう『ブーム』と呼べないほどあたりまえの感覚になってしまった今日この頃だが、ここに来てのリメイク攻勢は、ちょっともう、ハンパではない。安室奈美恵はNOKKOの『人魚』をカバーするし、倖田來未はEXILEとのコラボでバブルガムブラザーズの『WON‘T BE LOKG』を歌い・・・ついには御大・和田アキ子までカバーアルバム『今日までそして明日から』をリリースした。

(中略)

 テレビドラマや映画だって、『白い巨塔』に始まったリメイクの流れは、『砂の器』『日本沈没』と大ヒットのバトンをリレーして、ついにキムタク主演でリメイクされるのだという。

(中略)

 ここまで来ると、なんというか、平成の時代に『新作』をせっせと書く気も失せてしまいそうなのだが・・・考えてみれば、政治家の二世議員だってリメイクみたいなものである。安倍晋三首相なんて、親父さんどころか祖父の岸信介のリメイク―それも、かなり『本家』に忠実なリメイクを狙っているのではないかとさえ勘ぐりたくなる。

 さらにコジツケを続ければ、小泉政権のキーワードは『改革』だったが、安倍政権では、目玉の教育再生会議や再チャレンジ支援などのように、なにかミョーに『再』が目立つ。どうもニッポン全体がリメイク・モードに入っているようではないか。」

安倍政権自体を「リメイク政権」とゆー重松はんの解釈はなかなかおもろい。

安倍ちゃんといえば、「美しい国」とゆースローガンやが、この「美しい国」のモデルは結局過去の日本ゆーことなんやろか。重松はんのコラムに書いてあるテレビドラマや映画のリメイクだって、現代の視聴者の琴線に触れる新解釈や工夫などの創造的な仕事が結構盛り込まれとる。安倍ちゃんの「美しい国」や政策に、現代を捉えた新解釈や工夫があればええんやが、それがないんなら、創意工夫も新鮮味も何にもない、単なる回顧主義政権に堕してしまうやろうなあ。


国連の再生のカギを握るのは『ミドルパワー』だ

朝日新聞 2006年(平成18年)8月17日(11面)虐殺なぜ防げなかった ルワンダ撤収から10年 国連支援団元司令官ダレール氏に聞く


対北朝鮮の制裁で、国連の動きについての報道が多くなっとる。今日は、1990年に勃発したルワンダ内戦で、1993年より停戦監視活動を行っとった国連ルワンダ支援団司令官のロメオ・ダレール氏が、失墜した国連の権威について語っとる。


始めに、ダレール氏とはどへんな人物であるかを簡単に説明したい。そもそもルワンダ紛争とゆーのは、部族間の民族抗争が激化し、100日間で80万人ともいわはる大量の犠牲者を出した内戦のことだ。その、内戦を停戦するために国連平和維持活動を行っとったのがダレール氏やったとゆーわけだ。ほやけど、支援団かて被害が出て、約2年半で撤収を余儀なくされたんや。ダレール氏は退役後、虐殺を防げへなんだ自責の念や悲惨な戦争体験から、強度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症してしもた。たびたび自殺願望にとらわれ、2000年6月には、アルコールと薬物の混用から、オタワの公園のベンチでこん睡状態となっとるところを発見されたそーだ。その後、体調を回復。03年にルワンダでの体験を記録した著書、「Shake Hands with the Devil」を発表し、国際的なベストセラーとならはった人だ。


その、ダレール氏は、ルワンダの大量虐殺をこう振り返っていまんねん。「私が見たものは敵国の兵士同士が戦う古典的な戦争ではない。隣人が隣人を手や斧や鎌で襲い、少年が少年を殺す。人道も国際法もない、おぞましい狂気と蛮行が支配する世界だ。(中略)93年、ソマリア紛争への国連多国籍軍の武力介入で多くの米兵が殺され、当時のクリントン政権は撤退を命じた。米国は人間の価値は同じではなく、救うべき人たちの命よりも自国兵士の命が尊い、という心理をつくりあげた。(中略)自国の国益や安全保障のためではなく、純粋に人道目的のための介入で、なぜ自国の兵士が血を流さなければならないのか。それは重苦しい問いだ。しかし、例えばスーダンのダルフールですでに20万人以上が犠牲になっている事実を、黙殺すべきだろうか。(中略)―誰が、人道的強制介入を判断し、武力行使の正当性を主張しうるのが適切であるか-「判断の透明性と正当性を担保できる機関は国連以外にない。一国主導の有志連合は信頼性を欠く。米国が国連の総意を経ずにイラクに侵攻したのは誤りだった。(中略)米国はイラクにはとどまらず、治安回復と国家再建を国際社会の手にゆだねるべきだった。(中略)今後の国連再生のカギを握るのは、ドイツや日本、カナダ、北欧諸国など、知的資産があり、技術力の高い『ミドルパワー』の国々だろう。」と語っていまんねん。


9.11の同時多発テロ以降、米国の単独行動ともいえるイラク侵攻を契機に、国連の権威が失墜したのは事実であろう。ダレール氏がしゃべるように、今の国際社会は米国抜きで成り立たへん。せやけど、そやさかいにといって米国の思惑で世界が回る様では困るわけだ。小泉元首相は、ブッシュ大統領との親交を深め、かつてない程、良好な日米の関係を築き上げた。国際社会の平和と安全を維持すべく透明性と公平性を有する国連機関を尊重し、国際社会の一員であるとゆー認識を強く持つように米国を導くのは、『ミドルパワー』である日本が最も適任なのかもしれへんなぁ。

北朝鮮核実験で試される安倍外交と日本の役割

朝日新聞 2006年(平成18年)102日(月曜日)10

寺島実郎((財)日本総合研究所会長)「『時代の空気』について」

 「アジア外交」「中韓との関係改善」に一歩踏み出したかに見える安倍ちゃんの訪中・訪韓の最中に、北朝鮮核実験の報を受けたのは、何とも皮肉なもんや。面子を潰されて厳しい立場に立たされた中国・韓国もおかんむりで、今回ばかりは日中韓も足並みをあわせて国連での対北朝鮮制裁決議に踏み切りそうな気配である。

 寺島実郎はんは、かねてから「自国中心主義に陥っている米国と中国を国際秩序の中に引き戻すのが日本の役割」と主張されとったが、いみじいくも今回の北朝鮮核実験を受けて、日本は核武装した北朝鮮に対する地域安全保障というフィールドにおいて、米中を協力させざるをえない役回りとなった。

 そこで、今回は、北朝鮮に対する日本の役割にも当てはまる、寺島はんのこの論考をとりあげたい。

「『主張する外交』を掲げた安倍内閣がスタートした。誰に対して何を主張するのかが眼目である。自分の国の利害については声高に主張するが、世界秩序の在り方には沈黙するというのであれば、その主張は世界の敬愛を集めるものとはならない。政治指導者に二一世紀の世界秩序の中での日本の役割についての経綸が問われている。

明らかに、二一世紀の日本の国際的役割は二つに凝縮できる。一つは同盟国アメリカをアジアから孤立させない役割であり、多様な価値を許容する国際社会の建設的関係者になるように米国を支援することである。二つは、中国を国際社会の責任ある参画者に引き入れる役割であり、環境問題から知的財産権問題までこの国を国際ルールやシステムに責任を持って関与する国になることを支援することである。そのためには、多くの国を納得させうる『政策理念』が不可欠であり、改めて国際協調主義と平和主義を貫く意思と構想が必要であろう。」

「自国中心主義」の極地たる北朝鮮の今回の愚行がきっかけとなって、寺島はんが主張する2つの役割を日本が早急に担わなあかんようになったのはホンマに皮肉な話や。特に今回は、中国をいかに引き込んで北朝鮮を説得(最終的に説得で終わればええと思うが・・・)するかがポイントになると思う。

今回の訪中・訪韓が外交レッスンの第一歩たる安倍ちゃんにとっては荷が重いと思う。状況は、第二次大戦下、ナチスドイツに対して、当時敵視しあっていた米国とソ連を連合させた英国のチャーチル首相の課題と同等以上に難しいやろう。とはいえ、米中韓としっかりした関係を築いて事にあたっていかんと、今度はホンマに危ないことになりそうな気がしてならん。


ホンマの国際貢献の担い手は誰や?

朝日新聞 2006年(平成18年)103日(木曜日)2面 窓 論説委員室から

大矢雅弘「武力によらない安全保障」

実質内戦下にあるアフガニスタンで、市民団体が丸腰で行っているボランティア活動が成果と信頼と安全を勝ち取っているとゆー。今日はその話を紹介した朝日新聞のコラムから、ホンマの国際貢献の担い手は誰やということを考えたい。

「アフガニスタンやパキスタンで、中村哲医師とともに医療や農業支援活動を続ける市民団体『ペシャワール会 (福岡市)

の日本人ワーカーらの現地報告が出版された。『丸腰のボランティア』(石風社)。

会は現地の文化や価値観を徹底して尊重する。その折々で、最も必要とされるものを最も必要とする人々に届けてきた。

中村医師が84年に着任して以来の医療活動では、ハンセン病などの治療で年間約10万人を診療する。00年からはアフガニスタンの砂漠化した大地で水源確保事業にも着手した。1400本を越す井戸を掘り、全長13キロの灌漑用水路の建設にも取り組む。

内戦や混乱の中で積み重ねてきた実践は、地元の長老をして『私たちはあなたたち日本人だけは信じることができる』と言わしめた。

用水路の建設現場では700人前後の住民が土木作業員として働く。払われる日当約240円は1家族5~10人が1日暮らせる金額だ。仕事のおかげで、住民は軍閥の雇い兵になったり、難民になったりすることもなく、治安の安定につながるという。

会の事務局を務める福元満治さんによると、用水路に並行して米国援助による道路建設が行われている。完全武装の民兵に護衛されて作業しているが、これまで数回、襲撃され、拉致・殺害されたという。

『私たちは非武装・丸腰で作業を続けてきたが、一度も襲われたことはない』。福元さんの言葉は、『信頼』がもたらす安全保障の確かさを物語る。」

この話を「安全保障」と結びつけるのは大矢はんの言い過ぎやと思うが、国際貢献の担い手として誰が相応しいかを考えるには大いに参考になる。

「ペシャワール会」のアフガニスタンでの活動が地元の人にとても評価されて、かつ安全を保てているのは、国家を背負わず、地元の人の役にたつことを、自力で自発的にコツコツやってきたからやと思う。日本では国際貢献と来れば国家が国連に人と金を持ち込んでする仕事ゆーイメージがまだ強いが、国家がやらんで民間有志がやったほうが個々の日本人の顔も見えるし、安全やし、効果も評判も上がるゆーことを証明しているようや。

安倍首相になってからも日本は国連の常任理事国入りを目指すということやが、そんなことにかまけている時間と金があるんなら、こーゆー活動をもっと積極的に支援すべきやと思うのは、まろだけやろか。