気球がゆらりと高度を下げていく。眼下に広がるは伝説の島――アトランチス。海原から突き出す翡翠色の大地。遠くの山脈には七色の蒸気が立ち昇り、中央には水晶でできた城塞都市がキラキラと陽光を弾いている。俺は荷台から乗り出し、歓声をあげた……わけではなかった。
「おい、なんだあれ」
水平線近くに黒い影が数羽。翼を畳んで急降下してきた。鳥にしては角ばっていて、目つきが鋭い。次の瞬間、そいつは俺の肩を掠め、甲高い金切り声を残して消えた。
「コウモリじゃねぇか!」
まさか海の上で。いや待てよ、ここはアトランチスなんだから、あり得なくはない。地上に降りた俺を出迎えたのは静寂だった。空気に混ざる潮の匂いと、どこからか響く鐘の音。振り向けば気球はもういない。あんな高度から、よく無事に降りられたものだ。これがゲームなら――そう考えかけて首を振った。今は現実だ。
[ゾーン1]
鳥がコウモリに見えた時点で嫌な予感はしたが、案の定、この旅は過酷だった。
[ゾーン2]
海岸沿いの地下洞窟へ踏み込むと、濡れた岩肌が苔で滑りやすくなっている。松明の灯りがちらちら揺れるせいで影も踊る。問題は、前方の水面だ。ぴちゃ、と波紋が広がった途端、水中から鯉の大群が跳ね上がってきた。
「なんで魚!? 生態系壊れてるぞ!」
反射的に飛び退いた足が石ころを蹴散らし、俺は背中から岩壁に激突した。当然の帰結として「GAME OVER」が青白い光を放ちながら浮かぶ。……またやり直しか。セーブポイントまで戻れば巻き戻せるのが救いか。
[ゾーン3]
三回ほど死に戻ってから漸く鯛のタイミングを見切った。今度は鍾乳洞らしき場所へ出た。天井からは滴り落ちる水音と、時折落下する氷柱状の尖塔。頭上を見上げているうちに、真正面の薄灰色の「物体」に気づくのが遅れた。
「うおッ!」
咄嗟に跳躍すると、それは壁にくくりつけられたただの飾りトゲだった。触れていないのに胸がキュっと痛んだ。罠かと身構えたが、全く動かない。罠ではない。単純に“背景”なのだ。俺は溜息まじりに呟いた。
「どういうセンスなんだよ!」
[ゾーン7]
更に二つばかり洞窟を抜けると、唐突に出口の門が開き、外気の冷たさと共に眩しい陽射しが差し込んだ。解放感に駆られて駆け寄った矢先、空中を高速で旋回する黒い羽虫が視界に入る。
「蜂!?」
小さくて早い。しかも群れている。一匹でも喰らえば体力ゲージはゼロだ。左右へ身を捩り、掻い潜るようにして門を飛び出した時にはすでに疲労困憊だった。
[ゾーン8]
川幅いっぱいに横たわる丸太橋が目前にある。不安定に揺れるその表面を歩けば、僅かな重心移動でぐらりと傾ぐ。足裏に圧を感じるたび、胃がヒヤリとした。
「これ……絶対落ちるやつだ」
十数回チャレンジして気付いたのは、“沈みかけた時に軽く膝を曲げておく”という原始的なテクニックだった。俺はこの技を“生存反復動作”と命名し、以後、似たシチュエーションで活用することになる。
[ゾーン9]
次の平原では巨大な樹木が並んでいて、幹は複雑に絡み合い枝は螺旋を描いて伸びていた。一見美しく神秘的だが、上へ這い上がる道筋を探すうち、根本の死角からゴロリと転がってくる大石の存在に気づかず足元が崩れた。
「痛ぇ!!」
また戻される。それでも文句は言わない。そういうルールなのだから。
[ゾーン16]
毒沼の畔を行く。踏み抜くたび靴裏から黒い煙が噴き出す。沼を回避しようと迂回すれば、空中には巨大な骸骨竜が滑空していて、尾の一振りで吹き飛ばされた。
「どっち行ってもダメじゃねぇか!」
試行錯誤の末、両方を紙一重で抜けたとき、ふと気がついた。“完全な無策より、少しだけ工夫してやられる方が納得できる”。
[ゾーン23]
紫紺の夕暮れ。空は燃え、雲は渦巻き、大気が痺れている。未知の磁場が働いているのか、前方の空間がぐにゃりと歪んでいた。吸い込まれてしまわないよう慎重に進めば、奥の広間に巨大な鉄製の扉。期待を込め把手を引いた。その瞬間――轟音と共に金属板が上方へスライドし始めた。
「熱っ!?」
灼熱の奔流が溢れ出し、視界が紅蓮に染まる。高温ガスに押されて俺は後方に弾き飛ばされた。炎に包まれた扉はゆっくり閉まり、再び固く閉ざされる。残されたのは煤けた壁面だけ。……罠扉だ。俺は立ち尽くし、ため息を吐いた。
[ゾーン27]
次に辿り着いたのは円筒形の塔。内部はらせん階段となっており、頂上へ至るには幾つもの階層をクリアしなければならない。一歩を踏み出す度に背後から迫る圧力を感じた。振り向けば、壁面から滲み出す粘液状の物体。
「逃げるしかない!」
必死に駆け上がる。脚は悲鳴を上げるが止まれない。最上段で待ち受けていたのは透明なガラスケースに入った古代装置。スイッチを押すと同時に塔全体が激震した。崩壊が始まったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
階段は次々に砕け散り、俺は宙吊りになった。千切れかける刹那、反射的に装置にしがみつき――突如訪れた静寂。見上げれば塔は消失しており、空にぽっかり孔が開いていた。
「脱出口が無いんかい!」
[ゾーン36]
幾多の犠牲と引き換えに学んだことは“運任せは敗北への近道”。故に計画と忍耐が必要不可欠だ。洞窟内の狭隘な通路を進む際も、壁際の燭台が灯る順番に合わせて、正確にステップを刻む。わずかでもズレれば岩雪崩の餌食となる。
「焦らず、冷静に……」
自分に言い聞かせながら最後の蝋燭を灯した。背後の通路が崩れ去る轟音を背負い、眼前に広がったのは星空だった。
[ゾーン44]
ここまで来ればゴールも間近、そう思う都合の良い脳みそを粉砕するのが、この世界の神だ。
黒曜石で覆われた迷路。左右前後に同型の通路が延々と続き、出口が見えない。しかも一定時間ごとに床が斜めに傾き始め、制御不能のまま押し流される。何度死んだかわからない。
「クソッ、覚えきれねぇ!」
怒りと焦燥に駆られながら、唯一の突破口を探る俺は、ふと気がつく。迷路の壁際、ごく一部が鏡面になっていることに。斜めに滑り落ちるたびに映る自分の姿を追えば、少なくとも進行方向だけは保証できる。
「ほら見ろ、こういう些細なヒントこそ命綱なんだよ」
最後の角を曲がったとき、壁の隙間に小さな出口が見えた。そこを通れば外郭へ抜けられる。希望が生まれた。が、次の瞬間――。
「……マジか」
出口の前に鎮座するのは、俺の背丈の倍はあるであろう黒鉄巨人。無表情な瞳がゆっくりとこちらを捕捉した。
「来る……!」
回避不可能の大剣が振り下ろされる。衝撃波だけで身体は粉微塵だ。結果はもちろん。
[ゾーン58]
何度目かわからない再起動。今度こそはと意気込み、敢えて逆方向へ向かってみる。行き止まりと思われる通路の奥。そこに設置されていたのは廃棄された旧式の信号装置。赤・黄・青が周期的に点滅している。試しに青のタイミングで通ろうとして――即死。
「赤も黄もアウト……?」
ならば一度も使っていない“無色”か。点滅の合間、三秒の空白を狙って飛び込んだ。予想通りの成功だった。しかし抜けた先に巨人の姿は既になく、代わりに待っていたのは巨大なシャッター。触れてもびくともしない。
「やっぱり無理ゲーなのか?」
ふと装置の周囲を見回すと、古びた看板に文字が刻まれていた。
「【通行料:五芒星】……何処で拾えと!?」
途方に暮れて辺りを探せば、崩れた瓦礫の陰から光る破片が出てきた。まさに五芒星。拾い上げた瞬間、シャッターが低い唸りを上げながら持ち上がった。通過。その先は外界――広がる大地と、輝く黄金色の夕陽。
「……やった」
[ゾーン72]
遠目に古城が聳えている。そこを目指せば目的は完遂されると本能が告げていた。ただしその間には荒涼とした砂漠が横たわり、昼は干からび、夜は寒気が骨まで沁みる。備えもなく突入すれば自滅するのみ。
「まずは情報収集だ」
町へ入り酒場に向かえば噂話が飛び交っていた。
「東の祠に精霊が棲んでいるらしい」
興味半分、警戒半分で赴いた祠で出会ったのは老婆だった。手渡された護符は体温を持つように柔らかく、触れた箇所から穏やかな波紋が拡がっていく。
「これさえあれば砂嵐にも負けませんよ」
礼を述べ、いよいよ砂海へ。
[ゾーン75]
案の定、強烈な風と砂粒が全身を打ち据える。視界は黄色一色に塗り潰され、方向感覚さえ失いかけた。それでも老婆の言葉を思い出しながら護符を掲げ続ける。徐々に暴風は弱まり、やがて目の前に一条の光が差した。
「蜃気楼……ではないな」
光源の方向へ足を進める。巨大な影が立ち塞がり、そして――。
「門だ!」
朱色の双璧が両側に開く。中央に佇むのは老人。白髭に杖を持ち、こちらを静かに見据える。
「ようこそ、若人よ。此処まで辿り着く者は久方ぶりだ」
彼の口から語られたのは世界の秘密だった。
[ゾーン85]
話を聞き終わった途端、天空が割れ、闇の奔流が噴き出した。それは災厄であり、世界を飲み込もうとする大いなる呪いであった。対抗すべく必要なのは三つの秘宝。一つはこの老人が預かる聖杯、もう一つは北極の永久凍土に埋もれ、最後の一つは海底火山の中心で守られていると言う。
「全てを集めなければ滅亡するのか」
老人は頷いた。「猶予は七日の月巡り。お主に行き着く力があれば」
「行きます」迷うことなく答えた。
[ゾーン92]
旅路は苛酷を極めた。極寒では皮膚が裂け、灼熱では臓腑が焼ける。怪物は牙を剥き、瘴気は脳を腐らせる。それでも前に進むほか無かった。仲間を得ることもあり、裏切られることもあり、常に孤独と向き合わざるを得なかった。六日目、最後の秘宝を手に入れ、王都へ凱旋する。人々の喝采の中、老人と聖杯が待ち構えていた。儀式が始まる――。
「我が血を持って、世界を浄化せん」
老人の腕から流れ出した鮮血が聖杯を満たし、それを掲げて闇を睨む。膨大なエネルギーが放出され、天を覆う黒雲が震えた。一閃の雷鳴と共に呪いが晴れていく。世界は本来の色彩を取り戻し、空は澄み渡り、大地は花々で彩られた。
「成し遂げた……」
安堵に膝が折れる。老人は微笑んだ。「ありがとう」
―――