勉強をした。
この時期になると図書館は大盛り上がりだ。いつも本なんて見向きもしない学生がわんさか来る。それはまだいい。しかし大声でべちゃくちゃと話されるのはいただけない。外のベンチで雨に打たれてくれないだろうか。
今回勉強したのは難民についてだ。
3限にゲスト講師が来て難民について話してくれた。聞く前はとても楽しみにしていたのに、口を開いた瞬間幻滅した。あまりに聞きづらいのだ。
「あー」「まあ」「そのー」が多すぎる。なぜ豊富な知識を持っていながら、そんなしゃべり方しかできないのか。生意気にも思ってしまう。
学ぶことと伝えることはセットではないのか。憤りさえ感じてしまった。
しかしこの先生のレジュメはとても分かりやすかった。細かく丁寧に書かれていたため、理解を深めるのに役にたった。
1951年に難民条約ができたこと
しかし難民の定義に当てはまらない人が多数いること
たとえば、自然災害で逃れてきた人や同性愛者など
反対に、冷戦などの影響でアメリカに逃れてきた人はフリーパスのように難民認定されたこと
(イデオロギー的に歓迎された)
日本が難民の受け入れが少なく批判の的になっていること
途上国が10万以上受け入れているのにも関わらず、ヨーロッパはその10分の1しか受け入れてないこと
飛行機などの避難ができないため、船で避難する人が増えていること
しかし超過人数が乗っているため転覆して死亡する人もいる
無国籍の問題。国籍が取りづらい現状と、無国籍のつらさ
学校も行けず、保険も入れず、定職にも就けない
「死亡証明書を発行してほしい」というカンボジア難民の言葉が印象的だった
とりあえず知識だけを詰め込んだ
まだまだ断片的で、つながりが持てない
もう少し確固な知識にしなくては・・・
勉強して思ったのは「なぜ日本は難民について関心がうすいのか」
ずばり、海に囲まれているから
天然の囲いがあるおかげ(せい?)で、日本は外国との交流が薄かった
陸続きの他国と比べて遥かに薄かった
そのため難民というのは異質すぎる存在である
はっきり言って、難民=ホームレスと捉えている人もいると思う
なんか困っている人、みたいな弱い認識な気がする
難民の背景には、虐殺や独裁などのむごい現実があるにもかかわらずだ
私たちは平和に暮らしてきた
政治的に見たら、財政的に見たら、そりゃ平和じゃない部分もあるかもしれない
しかし豊富な食料と、あたたかな寝床と、十分な教育が用意されていた
つまり日本人は共感が全くできない
想像でしか難民の背景を理解できない
そして想像する人さえもいない
そんな辛いものを想像するくらいなら、明日のデートについて考えたほうがよっぽど楽しい
そうやってどんどん難民への関心は希薄になり、来なくていいのにとさえ思ってしまうのではないだろうか
私はどうこう言うつもりはないです
自分だって難民について考えたことなんか、人生の中でのほんのちっぽけな時間だけです
でも、今からでも遅くはないのかなと思います
こうやって苦しむ人たちがいることに気づけて良かった
まったく勉強しない 少しでも勉強した
この二つは全く違うものだと教授は言ってました
後者であれば、広がる可能性があるのだと
まだ細い細い糸だけれど、少しずつ紡いでいきたい
太くしなやかな糸にしていきたい
その糸を握ったときを人は成長と呼ぶと思うのです
明日もがんばります。