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逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

日本人の大半は仏教徒(※創価学会を含めれば)なんですが、


意外と仏教の宗教概念に疎いところがあります。


何と言っても、ご先祖様の霊が毎年現世に還ってくる(=成仏していない)


という土地柄ですから、無理もありませんね。



ということで、今日は「業(カルマ )」についてお勉強してみましょう。


あ、ちなみに「カルマ」という言葉が一般に流布されているけど、


お釈迦様が生きてた当時は「カンマ(Kamma)」って呼ばれてました。


その意味は「行為」です。とりあえず、これだけは覚えておいてください。



さて、カルマについてお話ししようと思うんですが、


皆さんはカルマって聞くとどんなイメージを抱きますか?


え、何かイヤらしい感じ?


まあ、官能小説とかで目にすることもあるかもだけど 汗



あくまで一般論ですが、カルマとか業という言葉を聞くと


前世からの借金のようなものだと考えてる人は多いんじゃないでしょうか。


例えば、「あの人が病気になったのは、前世で悪いことをしたからだよ」


みたいなことを言う迷信深い人もいますよね。



こういった「前世で○○だから、今××である」


といった考え方の背景にあるのは、間違ったカルマの理解にあります。


正確に言えば、仏教が誕生する以前のカルマの考え方なのです。


すなわち、人間は死んだら生まれ変わるものだけど、


前世で悪いことをすると来世で報いを受けちゃうんですよー! 因果応報ッ!


・・・ってな具合です。



この考え方を押し広げていくと、


現世において裕福だったり、健康だったり、幸運だったり、


逆に貧乏だったり、虚弱だったり、不運だったりするのも


すべて前世の行いのお蔭であって、それはもうどうしようもないものだ


という考え方になりますね。


生まれる前に決まった運命には逆らえないってわけです。



実際、インドでは仏教が廃れてしまい、


古いカルマ観を受け継ぐヒンドゥー教が盛んですから、


このような考え方を元に非常に厳格な階級社会(※カースト制 )となっています。


運命を受け入れる以外に生きる術がないというわけです。



しかし、お釈迦様が説いたカルマの教えは、そういうものではありません


仏教が説くカルマとは、非線形かつ複合的なものです。


これはどういうことでしょうか。



仏教が生まれる以前のインドでは、


魂を「現世から来世へと直接受け継がれていくもの」と考えていました。


今の日本人も何となく「私の前世はマリー・アントワネット だったの」といった感じで


魂が次から次へとバトンタッチしていくイメージを持っていますね。



しかし、お釈迦様は、こういった線形(=真っ直ぐ繋がっている)なカルマ観を批判しました。


確かに前世の行いが現世に影響を与えることはあるだろうけど、


それは現世で起こるすべてをコントロールしているわけではなく、


その影響は自分の行い次第で変えられる、というものです。



格好付けた言い方をすれば、魂は完全に自由の身というわけではないが、


牢獄に入れられているというわけでもない、といった感じでしょうか。


つまり、人間が影響を受けるカルマには、前世からのカルマ(生まれる前の行い)と、


現世のカルマ(生まれてからの行い)という二通りがあるわけです。



しかも、行いによる影響は、


良いことをすれば、必ず良い結果が現れるというほど単純ではなく、


良い習慣を維持していれば少しずつ良い方向に向かっていくけれど、


前世の影響を一足飛びに消し去ることも出来ない、という複合的なものです。



更に仏教では、カルマの影響を寄せる波のように


強いときもあれば、大して強くないときもある、と説きます。


すなわち、抵抗できないほどの物凄い力で押し流そうとするときもあれば、


意識的に行動すれば簡単に勢いを殺せる程度のときもあるわけです。



古いカルマ観では、前世から現世、来世へと一直線に受け継がれ、


常に一定の影響力を保っていると考えられていましたから、


お釈迦様の発想は随分と大胆なものです。



ところで、こういった革新的なカルマ観に基づくと、どういった結論に達するでしょうか。


分かりやすく言えば、次のようなことになります。



前世の影響は間違いなく受けるけど、


現世で良いことを続けていけば、必ず人生は幸福な方向に向かう。


しかも、限定的とはいえ、カルマが来世へと受け継がれることには違いないから、


現世で良い行いを続けて幸福になれば、来世でも幸福になれる。



どうですか? 借金とは随分違った印象ですよね。


雰囲気としては、お店のポイントカードに近い考えでしょうか。



たくさん良いことをすれば、幸福になれるポイントが溜まっていく。


そして、ポイントが溜まるごとに人生は良い調子になっていくし、


ポイントカードが満タンになれば、「悟り」というかたちで永遠の幸せが訪れる。


また、生きている間に満タンになれなくとも、ポイントを引き継ぐかたちで


来世で生まれ変わることが出来る。



そう考えると、仏教は何とも「お得」な宗教なのです 笑


最後にお釈迦様本人の言葉を引用して結びとしましょう。



人の貴賎は家柄によって決まるのではない。


日々の行いによって決まるのだ。


(※『スッタニパータ 』 第 1 章 136 節)

東日本大震災による影響で、


原発問題が起こり、電力不足が起こり、


被災者は改善されない現状に怒り、


国民は不甲斐ない政治家たちに懲り懲りである。



今、一被災者として日本の政治に望むことは一つ。


仲川遥香 を次の選抜選挙で 20 位以上にしてください m(_ _)m

AKB48 とサブプライムローン は似ているかもしれない。


といったことを思い付く凡庸な人(※自己言及的)は、恒河 の砂粒のごとく存在している らしい。



しかし、仮に AKB48 がバブル景気の様相を呈しているとすれば、


この泡沫が弾けるのは「バブル崩壊」を宣告する人々が限りなくいなくなったときに違いない。




もともと、AKB48 には結成時から一定の否定的評価が付き纏っていた。


個人的に地下アイドルに関心があった時代(※ゼロ年代後半)には、


「AKB48 劇場に集う連中はアイドルヲタの最下層」といった酷評をしばしば耳にしたものだ。



こうした否定的評価は、AKB48 が市民権を得た 2010 年以降も変わらず、


「AKB48 ブームの終焉」を高らかに予言する言説があちらこちらで聞かれた。


恐らく毎日どこかで「終焉が始まった」といった文章が量産され続けていることだろう。



とはいえ、問題はアンチ発言の有無ではない。


「このブームはいずれ終わる」と自覚されているかどうか、なのだ。



実際、「このブームは終わらないのかもしれない」


と人々が思い始めたとき、バブル崩壊は目前に迫っている。


逆に言えば、一般人の多くが「このバブルは弾けるぞ」


と大騒ぎしている限り、バブルの崩壊は訪れない。



サブプライム問題でも同様だ。


高リスク債権を優良債権と巧み混ぜて販売する手法は、


その誕生時から一定の否定的評価が存在した。



しかし、ある時期から急に「これは現代の錬金術」とか


「貧困層に対して温情的な金融商品」といった肯定的評価が目立つようになり、


成熟期には「サブプライムローンがあれば、世界経済は落ち込むことなく無限に成長できる」


といった意見まで主張されるようになった。


すなわち、関係者の多くが「この仕組みは破綻しない」と信じ始めたわけだ。



しかし、そういった評価が目立ち始めて数年もしないうちに、


この「現代の錬金術」は残酷なまでに跡形も無く崩壊した。



つまり、バブルやブームといった社会現象は、


その存在を疑う者が多数存在する限りは潰えることはなく、


逆にその存在を疑う者が圧倒的な少数派に転じたときに破綻し始める。



それはちょうど恋愛の顛末に似ている。


付き合い始めたばかりで、お互いの気持ちに自信が持てない頃の方が


却って関係は安定するもので、逆に確信を持ち始めた頃から倦怠期が始まる。


倦怠期とは、言い換えれば「心理的飽和」ということであり、


「特別な配慮をしなくとも関係が永続する」と思い込んでいる状態でもある。



関係が無条件に永続すると思えば、その関係に積極的に関与しようとする気が起きなくなり、


結果として関係は破綻し始めるわけだ。流行の顛末と見事なほど相似的である。



大多数の消費者が「AKB48 の人気は不動のものだ」と思い始めれば、


積極的に応援しようという自我関与が減退していく。


また、今まで AKB48 に費やしてきた関心を


別の事物(※多くのは別のアイドルグループ)にあてがい始めるだろう。



こうした個人の心理的現象が同時多発かつ加速度的に蔓延していった結果として、


AKB48 ブームは本当の意味で終わりを迎えることととなる。


恐らくその頃には、「AKB48 ブームの終焉」を高らかに宣言する言説も


すっかり鳴りを潜めていることだろう。


あらゆるブームは、人々が「まだ終わらない」と思い始めた瞬間から終わり始めるのだ。




ところで、ファンには叱られるかもしれないが、


SKE48 が登場した頃、「これでブームはオワリだな」と思っていた。


何と言っても、名古屋=尾張(おわり)を本拠地にしているわけで。

やあ、よい子のみんな元気にしてたかな?


今日も日曜恒例の人生相談の時間だよッ!


それじゃ早速、アグレッシヴに逝ってみようかなー



Q. 夫の不倫が判明しました。どうしたら良いか悩んでいます from アラサー主婦 さん


A. うーん、旦那さんを殺害してみては?



Q. 息子が大学受験に失敗してからずっと引き篭もっています from ニコン党 さん


A. うーん、息子さんを殺害してみては?



Q. 好きな人に告白したら断られました。忘れられなくて辛いです from 嵐LOVE さん


A. うーん、その人を殺害してみては?



Q. アイドルの追っかけがやめられなくて困っています from ヲタ芸職人 さん


A. うーん、推しメンを殺害してみては?



Q. 今から秋葉原で大量殺人をするつもりです。何か助言を from ナイフマニア さん


A. うーん、先に自分を殺害してみては?



Q. 何でもかんでも殺害に結び付けるのは良くないと思います from 善良な一市民 さん


A. てめぇ、殺害するぞッ!

ソクラテスは言った。


とにかく彼女を作れ。

カワイイ女の子だったら、君は幸せになるだろう。

あんまり可愛くない子だったら、君は哲学者になれるだろう。


というわけで、以下の内容は既に彼女がいる男性向けに説く

哲学的な「カワイイ彼女を作る方法」っぽい何か。


最終的には「天使のようにカワイイ彼女は針の先に何人乗ることが出来るか」

という中世スコラ哲学の難問に挑戦してみよう。


彼女がいない人は、まず作ること。



1. 自分自身が持つ「カワイイ」の基準を実際の彼女に適合するように変える


2. 「カワイイ」という言葉の意味を「オレの彼女ような女性」という定義に変える


3. 「カワイイ女の子以外はオレの彼女になり得ない」と大前提を置いた上で、「ところで、オレには彼女がいる」という前提を置くと、「よって、オレの彼女はカワイイ」という結論を得る


4. 言葉の意味とは、その文脈(使われ方)であるから、あたかも彼女が自分好みのカワイイ女の子であるかのように振舞うことによって、あなたの彼女は文脈上、カワイイ彼女という意味が付加される


5. 宇宙が無限であるとすれば、宇宙のどこかには地球とまったく同じ惑星が存在し、自分とまったく同じ生命体が存在しているが、その地球に住む自分の生き写しにはカワイイ彼女いる、という点だけが現実世界の自分と異なっている


6. 知的生命体が究極の精神的進化を遂げ、シェルダンのオメガ点に到達すれば、宇宙の崩壊速度を越える演算力を持つ包括的宇宙仮想システム、すなわち世界シミュレータ「キリスト」が誕生し、その内部世界ではありとあらゆる奇跡が実現され得るため、自分にもカワイイ彼女を持つことができる


7. 一切の本質は「空」であるため、「カワイイ」あるいは「可愛くない」という性質も実体が存在せず、「カワイイ」と「可愛くない」という形容は本質的に等価であり、言い換えれば、どんな女の子であってもカワイイ彼女である


8. 天使は霊的な存在であり、霊的であるとは肉体、すなわち外延を持たず、それは質量がないことを意味するから、空間を占有することもないため、ごく微小な針の先の空間とはいえ、無限に存在することが出来る


9. 語りえぬことには沈黙するしかない