福島差別の本質と非現実的な対策について | 逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

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A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

福島差別の本質は、原発立地県の偏在にある。



すなわち、原発があらゆる都道府県に存在していれば、


福島で起きている大惨事は、どんな地域の人々にとっても


「明日は我が身」と深刻に受け取ってもらえるだろう。



そもそも、原発は「安全でコストが安い」とされる一方で、


限られた地方公共団体にしか置かれていない。


しかも、そのいずれもが人口希薄地に置かれている。



原発を推進する論理が「安全で低コスト」であるのだとすれば、


僻地の寂れた漁村にばかりを用地として確保するのではなく、


大都市の中枢部、例えば、都庁の裏側や大阪城の敷地内にも建造するべきだ。



そうすることで、初めて福島で起きた原発事故の深刻さを


国民全員が理解できるようになるのだろう。



…といったようなことを 天馬都知事 が言ってたんだけどね。