今、思い付いたんだけどさ。
「心 (mind)」には、有機体に通時的な存在論的同一性を調達する機能
という定義を与えることが可能かもしれない。
まず、生命体の諸部分を形成する肉体というものは、
外見的な同一性を保ちながら、時間軸に沿って不断に変化していく(※動的平衡 )。
つまり、有機的個体を構成する諸細胞は、一定期間を経ると完全に入れ替わってしまうわけだ。
であれば、それら諸細胞の同一性を基準に考えると、
数ヶ月後の個体は、当初の個体とは別個の存在ということになるだろう。
でも、その有機的個体に絶えず通時的な連続性を再確認させる機能、
すなわち「貫時間同定(trans-time identify)」の能力が備わっていたとすれば、
その有機体は、(少なくとも意識において)存在論的な同一性を維持することが出来る。
(※それが人間であれば、人格同一性 と呼ばれることになる)
以上を踏まえると、「心 (mind)」とは、貫時間同定機能のことではないのかな、と思う。
で、その生命体における貫時間同定の機能を担っているのが
他ならぬ「脳」なのだとしたら、やはり心身問題も物理主義的に解決出来そうな気がする。
あるいは、さにあらずということであれば、
何が人格の通時的同一性を担保しているのか、という面倒な問題が生じてしまう。
でも、高次脳機能障害 によって患者が通時的な同一性を失ったり、
解離性障害 のように同一性に不安定さを生じさせる精神障害が存在することを鑑みるに
脳の機能が少なからず貫時間同定に寄与していることは間違いないだろう。
そう考えれば、感覚質(qualia)に関しても、
「貫時間同定を強化する自己言及的認識」と翻訳することが出来るわけで、
これはなかなか悪くない線じゃないか、と思ったりしなくもなかったり。
ようするに、「赤」を同じ「赤」と認識し続けることが
自分を同一的な存在として認識する意識の強化に繋がるわけですよ。
ちょっとだけ「ダイナミック・コア仮説」に似てる感じもするけどね 笑