ポパーの認識論入門 - 渡り廊下走り隊を奇貨として | 逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

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A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

哲学者カール・ポパー は、人間の物の見方について


バケツとサーチライトという二つの類型を用いて説明している。



バケツ型とは、人間は環境から情報をありのまま受け取るのであり、


同じ事物から受容される情報は万人共通である、という考え方。


サーチライト型とは、人間は環境から情報を


各人の偏見や思想といった色メガネを通して受け取るため、


同じ事物であったとしても情報の中身は異なる、という考え方。



ポパーは前者の考え方は間違いであり、後者が実態に即していると考えた。


では、ポパーの考えは正しいだろうか。考察してみよう。



例えば、「渡り廊下走り隊 」を例に挙げてみる。


このアイドルグループの中で「一番カワイイ女の子」は誰だと訊かれれば、


ある人は「まゆゆだろ常考」と答え、別の人は「わさみんハァハァ」と答えるかもしれない。



しかし、この名指し(メンバー名)と内容(一番カワイイ)には必然的な関係はない。


ある人物にとって最も愛らしいと思える人物でも、別の人物にとってはそう思えない。


こういうことは良くあることで、不思議なことでも何でもない。



仮にバケツ型が正しいとすれば、ある人と別の人が各々異なったメンバーを


最も萌えるメンバーとして名指しすることはあり得ない。


そして、それが まゆゆ や わさみん であるわけがない。 ← サーチライト型思考



つまり、ポパーが言った通り、私たち人間は環境から受け取った刺激に対して


各人の好みや信念といった「味付け」をした上で受容=認識していることが分かる。


同じ事物であったとしても、各人にとって受け取り方は異なる。


極論を言えば、ある対象についての認識内容は、人の数だけ異なるというわけだ。



ただし、ポパーならば更にこう付け加えただろう。


はるごん激萌え、と。