まずは、今回の一連のテーマ 「 火事 」とさらに前回の 「ドイツ観念論哲学 vs 一般因果律を超える至高の哲学」に「いいね」をくれた

はまだヨコ さんをはじめとする方々にはほんと感謝だ こういう時期だからこそとくにこれらの人達には励まされる

ありがとうございますm(__)m

 

昨日~今日にかけて、それら前回までにあげた記事とは別に 今自分の思考や胸の内は完全に混沌と複雑性の中に埋没している

 

いゃ~人間とは ほんといろいろ いる! これだけは疑いようのない真実だ たまにリアル世界の営業の友達と話すのは

「人間ってほんとに次元も違えば拘りも全く違う それはそれは次元的に別世界でかつ多次元的にいろいろいるもんだよな~」

と話したりするけど 今もそれを痛切に感じている

ほんと笑ってしまうくらい いろいろいる もちろん だからこそ 人生どんな時でも捨てたもんじゃないのかもしれない

やはりなんといっても 「変わり者」 とは 圧倒的に男性に多い いくら個性豊かな女性もいるといっても

究極的な変わり者の女性とはあまりみたことがなかったが でも中にはいるもんだ いつみてもおもろいのが🤣 (^^;)馬鹿にしているわけではないのであしからず

 

今自分の頭を占めているのは 次の話題だ

  • 主張や一文の真偽においての 表と裏 二面性 ある1方の理を強調すればするほどそれは非真に近づくという真理
     
  • 経験や思慮の深さによる判断 vs シンプルな直観
     
  • 嫌われる人の特徴 とかいう動画で またも! マウントをとる とか エネルギーを吸う などといい歳こいたおっさんがいっていた
    これをみて思うこと
     
  • スピリチュアル性と倫理観
     
  • 鼠男による完全丸ごとコピペで品質劣化するスピリチュアル 人からスピリチャル的要素の神髄を丸ごとコピペしてまるで自分が発見したかのように振る舞う 鼠やゴキブリも驚きの精神性の低さをもつ 愚かな野郎 の実態
     
  • 占術が最後に導いてくるお芝居 = おそらく占術世界一の 諸葛亮孔明 の最後の誤算 の中にみる 実在からの啓示
    要約するなら 優れた占術になればなるほど 最後の最後にそれは崩壊する
     
  • 宗教も悟りも哲学も さらに瞑想さえ 結局何も解決することができない社会的側面 ・・・ 少なくとも社会では、結局何もかわからないままになるという側面 これは何を意味しているか?
     
  • 人はどこまで自分の内面に殉じることができるか? でもその内面も深度があり果たしてこの問に意味があるのか?
    今まで自分に正直に生きるとは簡単だと思っていたが そんなに簡単ではないことがわかってきた
     
  • 保守系チャンネル桜の複雑怪奇 な我那覇問題 カオスはいつも突然思いもかけない個所に現れる
    が これを考えるとき みえてくるのが「理」の存在だ
     
  • 究極の実在 カントのいう 意識がとらえることが絶対できない究極の英知領域=超越論的領域は
    無限大のカオスと無限大の合理性をまるで蝶々の羽のように噴出させる

そして 「今自分はこれらが頭をもたげ これら仮題から一発明瞭な閃きをえることはできないか?」

に思考をめぐらしながら動画など見聞しているが もし仮にこれらの複雑性を人に話した場合に当然のごとく返ってくる言葉は

 

「考えすぎ」  「それが貴方に何の関係があるの?」  「それはただ単なる思考にすぎない」 などなど100%予測できる

自分は昔から哲学者していた 周りの友達からよくいわれるセリフはお見通しだ

 

ここでまずいえるのは なぜか今日は上の全ての項目が気になるというのは 今日の自分とは混沌に埋没しているということだ

というか 自分などというものは存在しないわけで 胸や頭をめぐる そのような複雑怪奇な想念は細胞分裂のため沸き起こっている

意識には、激しく細胞分裂するブラフマンの形状流動が現れている

 

なぜなら 上にあげたような問題は結局のところ永遠につづく人類の葛藤であり 何も解決されず野放しで永遠に続いているからおこるといえる よって 自分にとっては決して雑念ではない

 

いままでもこのような 混沌の中の究極的複雑性をみて自分は哲学してきた すぐには解答がでなくても

これらをないがしろにできない自分があることだけは確かだ そしてやがて必ずこれらに解答はもたらされる

 

密接にからみあう 内在する人の思惑や思いは 今新たな進化をしようとしている それがわかるからないがしろにできないし社会とは面白い

上にあげた項目も 個人的な出来事も全て あるものの現在の姿にすぎない

 

どうもこれら疑問の代表例をあげると 今回は 我那覇問題といえるだろう これはちょっとやそっとで割り切れる問題ではなさそうだ

 

もちろん 我那覇雅子のみの個的な成熟度という点とは別にして 全体としては どっちに健善性があるか は難しいところだが

やはり 重要な決め手になるのは 「理」ということになる 感だけでは絶対駄目という証みたいなものだ

そう! 「感」や「存在していることが全て」だけでは駄目という確定的証拠が今 目の前で起きている

 

もしかすると政治的には結構早く収束していくかもしれないが 自分がいっているのはどこまでも本質的それらを構成しようとするエネルギーの問題だ

 

話はまた全項目に戻り 大方感じ取れるのは、次の問のようにも思われる

 

⇒ 経験や思慮の深さによる判断 vs シンプルな直観   この部分は最近の自分の脳理をかすめている ある種究極の問だ

 

言いたい事はどっちも! 表面だけの薄っぺらい領域の解答なら簡単にでる しかしそれを構成する深い領域でのそれとなると話は別だ

 

これは 言葉をかえれば 経験豊富な成熟した大人の判断 vs 純粋無垢な子供の邪念のない判断 ・・・・・ ①

 

これは 大方 スピリチャリストと名乗る人種は 意図も簡単にこれに、即座に後者の解答をだして そして 人をマウントをとる輩だとか

 

エネルギーバンバイアとかレッテルを張り 皮肉にも対面に位置する変わることのないエネルギーを超活性化させている事実に気づいていない そして事態はさらに悪化していく

 

いい歳こいた 精神科医のおっさんがこんなことをいっているのを聞いて唖然とした

 

なぜなら そのようにみえる現象はあっても誰も故意にマウントをとろうとするものなどいないからだ もちろん意地きたない馬鹿はいるが そんなものはマウントがどうこう言う以前の問題だ

 

そして おおよそ人間が人に対して吐く 「言葉」 なるものは 全てがマウントだ 偉大なる心理学者という馬鹿な連中が流行りを引き起こし 一切れの部分現象が独り歩きをはじめ このような言葉が流行っているが非常にナンセンスなことで これが意味するものとは まだまだ我々は仏教でいうところの 縁起の法則を認識していないため起きる流行り言葉といえる 

 

さて いずれにしても ①は昔からある大きな 社会的葛藤のポイントでありこれが故に人類はドラマを演出するともいえる部分だ

 

本当の理想は こういう部分こそ 日本人全員が真剣に考えなければいけない問いのはずがそうはならず 局在化した要所要所が

 

それぞれ個別に認識共有体の範囲のみで認識しているところにますますもっておかしな現象が引き起こされていくとなる

 

< 結論 >

 

まずは どんなに「思いの純粋性」を力んで叫んでも やはりこの存在世界には 「理」というものもあるという事実だ

 

理と直感! これらは決してそもそも分離できないことをしらなければいけないとなるだろう ついつい我々は あまりにも強い思いに囚われると 直観や純粋性の強い「思い」のみにとらわれがちだ

 

しかし それらは 世の在り方をみれば一発でわかるように 理の本体が内観世界のどこにあるのか? これを真面目に考えたとき

 

実は 直観の中にすでに「理」が働いていることがみてとれる

 

したがって 最近は何かと人は 「・・・に囚われるな 解放解放」 というが、理と感 は切っても切れなく そもそも2つでひとつなのだ
 

もちろんここに 真言密教でいわれるところの 大日如来の働きは 胎蔵界曼荼羅(女性原理) と 金剛界曼荼羅(男性原理)両者に

満遍なくいきわたっている

 

それは現象宇宙の発生源から展開されうる 閃きや直観は、おのずとこの両者を内包していることがみてとれる

 

つまり 理とは 実在が奏でる 蝶々の羽の片方である混沌に 形を与える力であり それの行きつく先は 完全な統合に向けての柱といわざるおえない

 

もちろん これは 女性よりも 男性の本能こそがその役目はでかい よって我々男性は 時として自分に鞭を打って社会的に巻き起こる

「感」の暴走に対して断固とした態度でむかうことも必要となる

 

https://twitter.com/hermitregion

 

今回は前回までと違い これから言い現わしていこうとする 主流の流れとは違う内容を書いた 実際カントやヘーゲル、その他 それに続く フッサール現象学の研究は、適当にネットからの知識整理ではなく もっと本格的にやりたいがため時間がかかる

でもあまりに長くブログを空けるわけにもいかないため 最近の社会考察の一つを書いたにすぎない

 

https://youtu.be/AAVr9-lZRPA