昨日のニュースで 北朝鮮とトランプ陣営の対立激化が報じられている 誰もが戦争の予感さえ感じる中において 瞑想世界 を語るは お花畑もいいところである
しかし 前回ブログで バーソロミュー を通した 瞑想世界 の新たな捉え方を提示し 「 続き 」 を期待して読んでほしい と言っておきながら何もしないというわけには いかないのだ
カント的 カテゴリー 区分け主義 は もうすでに 現在において何の意味もない といえだろう もはやそんなものが通じる時代ではない また解脱を目指す者にとって 本音の部分の 内面の哲学に これは政治、これはスピリチュアル などといった 「 ジャンル 」が存在しているのは 完全な偽物である
でもだかといってこのブログで訴えたい核心に 現在の政治的内容を織り込んで語るのは懸命ではないといえる よって 政治関連のブログは 別にUPすることとした
現代においては、表現の場として これはこれ 政治は政治 ということだ よって前回とは寸分も変わらない 心意気 でこの バーソロミュー ① ② は完成させることにした
前置きはこれくらいにして 当然 この記事は 自然知性体 バーソロミュー ① の続きである
意識空間 情報場 量子場 アカーシャ エーテル 虚空 などなど 古来から人の 意識情報 を伝搬する 媒介領域 は様々な呼び名で語られてきた
ここでは 苫米地の 「 情報場 」 を参考に、これら全てを総称して 意識情報場 という名称で統一しておくものとする
前ブログで自分は バーソロミュー との出会い(空の情報場において)=アクセス を体験し 「 バーソロミュー 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ 」 を読み どのようなものか?という 大体の把握と 再度自分のクンダリニー体験を思い起こさせる独特の感想をえて スピリチュアル系 でこの本は 自分の中でトップクラスではないまでも なんとなく胸につかえていた そういった 一冊だったことを語った 前回忘れたので ちょっと追記しておくと 1冊目において バーソロミュー は 「 微妙な嘘 」についても手厳しい指摘をしている
また別視点から エハン・デラヴィ エハン塾 の動画 「 進化論その2:モルフォジェネティク・フィールド仮説 」 を 自分のクンダリニー・ヨーガ 体験 を元に その予感される
意識形態伝搬 の仕組みが 意識情報場 の 奥の院 たるどこかしこかの 場 に内在していて 自分は クンダリニー 体験により その 究極の実態 を垣間みたことを話した
この 意識形態伝搬 を司っている究極の 奥の院 をこのブログでは仮に 「 幾何学的合理性創造 の場 」 としておくものとする
⇒ これが前ブログの内容だが あらすじが今いち不明確な場合 是非 前ブログを読んで頂きたい 決して 「いいね」 中毒ではなく(*^^*) そうしないとまずこの記事を読む意味は半減するからだ
続きを話すと なぜ前回の最後に 「やっとここにきて バーソロミュー が 如何にすごい存在か?」 と かつぎあげたかというと それは メアリーマーガレット・ムーア の著作
『 バーソロミュー 2 夢から目覚める 』 を読むに至ったからだ 実はこの2冊目の本は 2ヶ月程前に買ってそのままにしていたのを つい先日からまた読みはじめた
この2冊目は 1冊目とは少し違い 内容が濃く 最初からその 哲学的色彩 をよりもちあわせた表現になったと言っていいのではないだろうか もちろんだからといって読み難
いわけでは決してなくて 誰もが読める単純さは決して失われていない
今回の2冊目 バーソロミュー2 は、まずとっかかりから 人の 潜在化している創造性 を一発で開花させる事例を引き合いにだしている
それは鳥の カッコウ の卵創造力の話だ 鳥であるカッコウは 卵に色をつける道具などはもちあわせていない それにもかかわらず 違う種類の鳥の卵とそっくりの卵を産み
落とすわけだ
もちろんこの場合、他の鳥に自分の子供を育てさせ 他の鳥の子供はそのカッコウの雛のえさになってしまうという 自然界の残忍な知恵を含んだ 弱肉強食 の世界があるわけだが
この本で バーソロミュー がいっているのは そんな部分を訴えているのではなく なぜに カッコウは 五感情報だけで 様々な卵を産めるのか? という部分にこの 物質世界 と 意識の真相 を話しているわけだ
つまり カッコウ は 目や触覚 といった情報だけで 自分とは全く違う種類の 鳥の卵 をつくりあげるわけである バーソロミュー がいわんとしているのは 当然この場合 意識 がダイレクト に創造している事例をあげているわけである つまりこの事例1個あげただけでも 現代科学の崩壊 を意味している と自分はおもうのだがどうだろう?
そもそも カッコウ だけでなく よくよく 自然界 を観察すると まず 進化論 などは完全に説得性を失う現象は多数あるし この カッコウの事例 と似たようなことはたくさんある
おそらく これらは意識が 量子空間のメカニズム をつかい ダイレクトに 創造活動 をしているとしかいいようがないのではないか? ということだ
次にバーソロミュー は 人がまず最も失望し 惰性を抱きはじめる ポイントに 強力な特効薬 をなげる
それは 『 人生は完璧である 』 とし 人それぞれの 複雑ななんの意味もないような 平凡な出来事 は、 失敗の連続 のような体験にいたるまで 完璧なタイミング のもと起こるべくしておこった出来事であり そこには 完全な意味 があったととらえよと導いている
つまりそれは 人それぞれの日常で そんな大それた 善悪ハッキリわかるようなことではないごくごく平凡な出来事や さまにならない 失敗や失態 の連続 つまり恥ずかしてく
とても人にはなせないような さまにならない行為なども ささいな部分まで それは 完璧なタイミング で起こっているのであり 無駄なものは何ひとつなく 全てに意味があるとし
ている
この部分は意外に大きいと自分はおもうのだ それは 大方の人の 人生に対する 失望や惰性 というのは だいたいにおいてそんなに 極端な善や悪 に基いて発生しているとは おもえないからだ たいがいは 意外なところにあり 様にならない 失敗や失態 こういったことがあげられるだろう
それは バーソロミュー が前著作で いっているところの 「 微妙な嘘 」というものにも 複雑に絡んでいると思われる もちろんこの 「 微妙な嘘 」 というのは 誰にだってあるだ
ろう しかし バーソロミュー のすごいところは この部分にさえ メスをいれる のである (あくまで個人個人の人生観において)
※ 自分はこの 微妙な嘘 というものは こういった スピ系のみ 問いただすことだと認識している 現実世界でいちいちこの 微妙な嘘 や 言い回し などに拘っていたら 現在
の世の中では何事もならんやである 今我々が全体として問わなければいけないのは でかい嘘 であることは 言うに及ばずだ
話しは元にもどり そして自分がこの2冊目で 最初に
ぐっぐっ!
ときたのは
『 時間や空間という幻想 』
という章での次の文章だ
『 ・・・ この 惑星のエネルギー の 振動レベル を乗り越えて、それ以上のレベルに達すると そこでは全てのことが 瞬間的に起こるのがわかります ・・・・
・・・「 進歩 」などという存在を信じる限り、人は 時間の存在 を信じ続けます ・・・・・ 人間の頭脳 は、時間と空間 の 直線的進行 が、人間にとっての現実であるように
デザインされているからです 』
そしてこれは 「 実際に体験するまでは、この現象を完全に理解することはできない 」 といっている
さて この 一昔前 までは 完全オカルト認定 された このような文を読んで 自分が最も目に止まった部分は 同時進行 という言葉だ
もちろんこれは 時間は 今! この瞬間に 過去も未来 も 同時に創造されている としている視点である この観点こそ 自分は最近 瞑想世界探求 において切に感じている
予感であるからだ
前ブログにおいて 記憶力 を テーマ に 認知症 などを引き合いにだし 記憶の重要性を説いている癖に申し訳ないが 自分は 瞑想中 静慮 の段階において この 記憶力
が低下してしまうが故に この 時間の 過去未来 の その瞬間を 記憶しておくことができないでいる どうしても静慮における 360度拡散していく 内面における全ての 想念 を覚えておくことはできない しかし ところどころの 欠片 と 予感的直観 だけは覚えている
最近は、瞑想中のその 『 今 』 という瞬間に 未来や過去 が展開している様をみている予感がある もはやその瞬間は、あまりにもの高速のため 後で 記憶再生 ができないが
『 私とは何か? 』 というテーマで成される静慮には たかだか1秒程度の間にも 得体の知れない 様々な 想念ベクトル がうごめいて、 意識空間で 自分と自分が、自分と他人 が高速対話を実現していることがある なぜそれがわかるか? というと それを眺めている意識があるからである もちろん 思考も意識も自分だ
ただ 半端だがこれら静慮により なんとなくした 直観 で 過去 も 未来 も、今この瞬間に作り出している といううっすらとした 直観がひらめくときがある
とにかく 最近はもっぱら この 同時進行 で 現象世界 が創造されている という観点は 最近最も気になる点だ これは 時間の過去未来 だけでなく 人の 情報空間 においても世界レベルで 意識の伝搬 が加速度的にはやくなっていると感じるのは自分だけだろうか? もちろんこの場合はネット空間が一役かっていることは言うに及ばないが 決してそれだけではないとおもうのである
さて次が 前回からのブログで訴えたかった 山場となる箇所だ それは『 息を吸う、息を吐く 』 という章にある 創造 に関する説明で 宇宙スパイ バーソロミュー は
「 自分で想像できるものならば 実現できます 」 とした上で
『 この物質界の 「上」には、幾何学的完璧性 の世界とも呼ぶべき 別の世界が存在します。 あなたが何かを 想像 するときは、精神と意志を使って、この幾何学的世界 を活性化しているわけです。 イメージに心を集中することによって、その イメージ に充分なパワーを注ぐと、幾何学的世界から 物質界 へと、「下」に向かってイメージが投射されます。 幾何学的完璧性 の世界は 道徳的判断をくだしません。・・・・・ このパワーも、それを使って何が創造されるかについてはとやかく言いません。
・・・ ・・・ ・・・
あなたが今日生み出した 自己像 は今、 幾何学的世界のどこかに存在し、 あなたがそれにパワーを与える度合いに従って、 形をとりつつあります。
それに意識を向ければ向けるほど、 その次元の存在法則を 発動させることになります。 』
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と述べているのだ もし前回のブログから 読んで頂いている人で 少しでも自分を信頼している人であるなら もう一発で自分がいいたいことがわかるだろう
まさに 自分が前ブログのクンダリニー・ヨーガ で垣間みた 頭頂以上の 幾何学的合理性創造 の場 の指摘だ
そして バーソロミューは 「 ・・・ 何かの考えを持つたびに、あなたはどこかで何かの パターン を 活性化している のです 」 と締めくくっている
ここにきて いえることは もうおわかりだとおもわれる 実は 我々人間は ある思想をもっただけでも すでに 民族 はもちろんのこと 全人類的 によりその思想や心情 を 活性化 している ということになるのである
また よくいわれるところの 願望実現 なども この原理をもってしてなされているといえるのだろう それはまるで ピラミッド の頂点に この幾何学構造 があり 上に 思念 を送ると 到達点は この 微細界 にある 幾何学的完璧性構造体 に送り処理され その結果が下方に位置する 微細界 からやがては 現実現象界 に形をなしてくるというのが 願望実現 のメカニズムなのかもしれない もちろんこの場合 下方にいけばいくほど 幾何学性は複雑さをましてくることは言うに及ばずだが 大方このような仕組みが予想されるとみてとれる
自分が ここでいいたいのは 何も 幾何学などという 無機質 で 人間的温かみ に欠けるものを過大評価したいわけではない これらの 事象 をあげて訴えているのは
人が発している 霊性 あるいは 気分的モード というものの 発生の仕組み と 物質の変容 や 変化 また 環境 の変化 である
宇宙スパイ バーソロミュー は、この仕組を説明した後 後半において 「 内面の風景 」 というテーマで 人それぞれが如何にして 自己実現を果たしていくか?の方法論を 細
かく述べている
その前に バーソロミュー は 時折 インドの大聖者である ラマナ・マハルシ の言葉を述べて 持論を補足している箇所がある
※ ラマナ・マハルシ の詳細は このブログでは避けるが 自分の知る限りにおいて サイババ を初め 現代の 聖者 や 解脱を得た とされるマスター達は このラマナ・マハル
シ にどこかで 享受をうけていることが こと自分の中では最近明らかになってきた
しかし ラマナ・マハルシ は、 「 私 」 という 自我が生み出す 創造世界 = 3次元物質現象世界 に拘ることを厳しく諌めている にも関わらず バーソロミュー は
この世界で創造することに生き甲斐を見い出せ と説くのである もちろんこの場合の 創造とは、趣味の園芸 や カルチャー またワーク から 社会活動 社会奉仕 ベンチャー など、できうる限りの創造活動を意味している
自分は前回の1冊目から このあたりの矛盾を どう考えるべきか? とおもっていた 言葉だけをとればこれは完全な矛盾である
読者の中には 「 おいおい 半世紀以上前の インド聖者 のいったことと 現代人の解釈を一緒にしちゃ駄目だろ? 」 とおもうことだろう しかし それは 両者とも一般人の社交の場でならそういえるが、真我実現を果たしている聖者 というものの場合は それは成り立たないのである
それは 聖者と認められる所以は その目指す究極のものが 宇宙の最初から未来にわたり 永遠に存在し続ける 「 実在 」 それそのものでなければならず ラマナ・マハルシ
が達成した 「 それ 」 は まさにそのような 真我 であり 身体があろうがなかろうが 存在し続ける 魂のバックボーンである 真我 だからである
ラマナ・マハルシ はその 究極の実在 に到達するためには この心が生み出す世界である かわりゆく物質現象界 どころか 微細界 = 霊界 にすら囚われてはいけない と説い
ているわけだ ところが 宇宙スパイ バーソロミュー は その 真我実現 の邪魔をする 心 が喜ぶ 創造活動 を多いに奨励しているのだ
その 相矛盾した思想 は 後半においての 「 内面の風景 」 を読んでいくと だんだんとその 宇宙スパイ の目的が 明らかになってきた
まず第一に 宇宙スパイ バーソロミュー は この2冊目を 大体において目を閉じたら すぐ 画像が浮かんでくる 読者むけに書かれているというのがある
つまり トランス意識 に入りやすい読者むけといえるだろう
そして 「 内面の風景 がもたらす導きや助けを利用しながら、外界での旅にその知恵を最大限に使って生きていくには、どうしたらいいのか 」 これをテーマとしている
実は この 内面の風景 がもたらす恩恵については、ラマナ・マハルシ は 自分が主張する 「 私とは誰か? 」 という消却的論法以外の 少しでも他の神秘密教的な趣が感じら
れる説は 即座に否定するのが通常だが その ラマナ・マハルシ さえ この 内面の風景 について現象を考察している箇所が、動画であるのだ
バーソロミューは、今までの 瞑想法 ではなく ただただ じっと 内面の風景 を観察する瞑想を勧めていて 意識情報場 をうろつく 不調和 = 心の歪み をとっていくという手法を
奨励するのである そのプロセス上内面世界を通して 様々な 他人 と出会うことをいっている
そこで
内面の風景 スクリーン がもたらす映像には はるか超太古から続いている 内面の 様々なネットワーク相 から 人それぞれに必要な 知識を運んでくることを説いているのだ まさに アカシック・レコード の開放に近いことを軽く述べている
それは 何も ヨガの哲人 ではない ごくごく普通の 一般人もちょっと呼吸を整え 黙想 に毛の生えた程度の瞑想をするだけで できることだといっているのである
この 内面の風景 別な言い方をすれば 内面のスクリーン とその広大な幾層にも渡るネットワーク相について バーソロミュー は語っている
『 あなたの内面にあるこの 完全無欠性 は、 あなたのために今まで集めてきた 膨大な量の情報 - 現在の人生 だけでなく 何十世紀 にも渡る情報 、しかもそれ自身の体験から集めたものだけでなく、 外に出ていって、 人類全体から知識を集める ことを通して得られた情報 を教えてあげたい と切に願っています 』
これが 貴方が目をつむり 少しばかり呼吸を整えて現れてくる あの” 映像 ”の送り手の心意気だといっているわけである ここで 西洋の妄想が作り出した 馬鹿唯物精神医
学の知識を持ち出す必要など どこにもないのだ なぜかというと どこまでもみている主体は ”物質” ではなく 非物質的な『 私 』である
バーソロミュー という まだ マイナー かもしれないが 世界的に有名な 意識体 がそう宣言することの意味わかるだろうか?
それは 同じくこの本の中で バーソロミュー が説いている キリスト という存在が 4次元 への 経路 を敷設して それを目指すならば 誰もがこの経路を使えるようにしたことの恩恵は大きい と語っている その バーソロミュー が 内面の風景 スクリーン を力説しているのだ それは 同じく 経路強化 を意味していると思われる 非常に心強い指摘である
また 馬鹿唯物科学者 の妄想 をあてにしなくても この 内面の風景 をどこまでも観察していけば その風景が 今生の生だけでは絶対割り切れない 物性を超えた仕組み により 投影されていることがやがてわかるはずだ バーソロミュー もそれを指摘しているのである
ちょっと道はそれるが だからといって 瞑想 という作業は 一般生活者にとっては 必ずしも旨くいくものではない 実は 自分はこれを書くまえに ちょっと1時間ばかり瞑想したが 一昨日とは違い全くもってうまくいかなかった ただ 思ったようにうまくいかなくても 確実にその 意識状態 は変容する手応えはある よってそれがまた次に繋がり 新たな発見に繋がっていくといえるだろう 粘り強くやることが肝心なことで 少なくとも 3回に一度は 確実な手応えがあるといえる
ただ 自分は 一般にいわれているような 短い瞑想はお勧めしない 少なくともどんなに短くとも 1時間はかける必要がある
面白いもので自分が今まで リアル世界で人に瞑想を勧めた場合、必ずほとんどの人が 瞑想を怖い というのが現状だ それに気づいている人はどれだけいるだろうか?
自分の内面の奥に入っていくのが 怖い というのである 全く馬鹿げた話であり どうりで記憶力といい 哲学力といい どんどん退化していくのがわかるだろう
こんなに気持ちがよく ある意味 食欲や性欲より その状態たるやはるかに心地が良い 瞑想たる所作を 怖いなどというのだから 呆れるばかりである
スマフォ や ネットで 言葉遊び や 画像集めに没頭するガキの遊びに比べたら はるかに面白いといえる そこでは必ずビックリするような 何かを得ることができるし 精神にも健康にいいときている そんな 堅物真面目なことを言う前に! 面白いからやるのだ! それだけだ
一度でいいから 静慮を体験するまで とにかくやってみることをお勧めするまでだ 自分という 存在状態 のこれほど充実した心地よさはないとわかるだろう
それにしても バーソロミュー がいわんとしていることは 何かに似ていることがわかるだろう そう ネット上のネットサーフィンや ビッグデータ といった仕組みだ
バーソロミュー がいわんとしている 内面の 何十世紀にも渡る 情報検索 や ネットサーフィン また アバター との接触は 3Dゲーム のそれとは規模と質においてレベルが違うし また リアル世界でその効果がある という点で 全てを上回るといえるだろう
ただ この世界の探索のマナーとして バーソロミューがあげているのが
『 ・・・ あることがもう1つのことより重要だということはないのだ、ということを忘れないようにすることです ・・・ 』
と述べている これは、瞑想世界 の鉄則だ これは 現象それ自体 を差別せずに 厳密にとらえる姿勢を意味しているのである これを怠らない以上 必ず目指すべきゴールは 達成されるだろうとおもわれる そう 貴方も 真我実現など簡単に成し遂げてやるぞ! と遊び心でやればいいのである 遊び心で! これほど ワンダフル でおもろいことはないのだから
そういうと 宗教の高僧などはいうだろう 「 なんと不届き者が 」 と しかし 遊び心でやって何が悪い くだらない 言葉遊びやパズルごっこに没頭するより よっぽど その人の智慧を発達させ しいては 道徳心 さえ! 本質的なところから改善されると知れ その結果社会にどのようなことが起こるか? 実にくさい虐めなどというものはなくなるのである 何をはき違えている 馬鹿者! と自分は宣言する! そもそも 瞑想世界 を厳格なベールの中へ 封じ込めた者は 恥を知れ である
それこそ 瞑想 を極め トリップして原始時代にいけば 瞑想 はおそらく誰もが行う 日常行動の1つだったはずだ
この 瞑想 において 今までいろいろいわれてきたが 方法論を投げ捨ててしまえ! というのが自分の持論だ ただただ 心落ち着けて 自分の『 意識 』 を徹底的に状態観察していく ただそれだけのことだ もちろん 静まるように 状態観察していけばいいだけだ そう! 意識の状態観察 瞑想 は これにつきる
ダイナミック に 意識 の状態観察をすれば やがて 意識は変容していき やがては ついに その中に沸き起こっている 想念さえ はがれ落ちていき それをみている意識が 確実にある! ということを体感することになるのだ 我思うゆえに我有り が全く違っていた! ということを体感していくのである ただひたすら 意識を観察するべし
そして 最期に 宇宙スパイ バーソロミュー が なぜに 今新たに もう一度 瞑想世界の真実を 本にまとめているのか? チラッともらしている部分が非常に気になるところ
だ つまりそれは これら 内面のネットワークの階層の間で 大いなる存在の担い手=神 をはじめ エネルギーの行き来が激しくなってきていると語っている
そして、 実際にそのイメージを「見て」ください と語るのである
つまり これは 物質現象世界 の背後でうごめく 今まで言葉により構築されてきた ワンネス の エネルギーの統制 が限界に達して もはや 新しい成り立ち を求めようと 外的エネルギー にその智慧をもとめる様であり 同じようにみえて違うもの 違うようにみえて同じもの こういった 存在の基盤にあるエネルギーの動きの現れを示していると思われる
それは 例えば 現実の世界では 裏の裏を探れば実は同じものであったり 右に進んだはずの行き着く先が実は左であったりと いままで 言葉により覆い隠されてきた 実相の世界が いよいよ 現実に立ち現れようとしいることへの 宇宙スパイ からの ちょっとした 「 おもてなし 」 なのかもしれない
もしかすると バーソロミューが 盛んに 人々へ創造活動への意欲を奨励しているのは これからはじまろうとしている変化への気付きを促すためなのかもしれない
もし そうなら フリーメーソンイルミナティ とかそれと提携した グレイ とか レプティリアン といった存在ではなく またヒューマノイドと言われる ノルディック や プレアデス人 とも違ったもっとも自然的で 高度な宇宙的存在が 我々 一般庶民を誘っているのかもしれないというほんのりとした予感がある
もしそうなら それは 創造主義社会到来への予兆かもしれない
※バーソロミューを 「 宇宙スパイ 」といっているのは 著者の メアリーマーガレット・ムーア のワークに参加する 愉快な賛同者が ジョークでメアリーマーガレット・ムーアに名付けた呼び名みたいで メアリーマーガレット・ムーア 自身がワークやセミナーで 「 みんな私のことを宇宙スパイというが ・・・ 」と語っている つまり スパイが真相を暴き出すほどバーソロミュー( メアリーマーガレット・ムーア )は、自分を頼ってくる賛同者の 深層心理を暴いてしまうことへの賛同者のちょっとした ジョークみたいである P226
※後 メアリーマーガレット・ムーアは、スピ系では知る人も多いハワイ生まれの女性だが バーソロミューという意識体 は 女性原理ではなく男性原理みたいである
こういったところも なんともおもろい 霊体 といえるだろう (参考) Yacco /内藤康子 さんブログ わたしとチャネリングとの出会い
自分は前ブログで語ったとおりこの バーソロミュー という意識体を 空 に感じたところから 本を読むにあたり いろいろ悟りがもたらされた
またこの2冊目なども 本のカバーは 空である そして バーソロミュー の知識に触れているとき いつも感じるのは この 広大な 空の波動 だ
この 空 を見上げて感じるものは何か? それは 広大無辺なる空間 の広がりを感じられる そこにおいては もしかすると ラマナ・マハルシにみられる 唯一の大いなる実在である真我実現世界 と 欲世界での 創造活動の両立 が成り立つ 何かしらの智慧があるのかもしれないと どうしても感じてならないのである
しかし これができたとき 我々は明らかに 自然主義 と 創造主義 の完璧な 調和社会構造 の思想基盤が完成されると思われるのである
ダイナミック サーフィン 不動 唯一無二 広大さ 芸術 愉快 バーソロミュー を 黙想 するとき 本来相反するこのような概念が沸き起こってくるのである