自然知性体 バーソロミュー ①

今から4.5年ほど前だ 自分はいつものごとく 地元の森の中にある公園にいってまずは体操をして 森を歩き 気持ちが森林に同調してきた頃合いを見計らい 瞑想した

残念かな その時の瞑想は 恐怖のスズメバチのおかげであまり集中できず なかなか三昧境まではいかなかった

それでも1時間ぐらい座り続け トランス意識から徐々に通常に戻り ベンチを後にして 空を見上げながら 立ち上がろうとした瞬間

「ミュー・・・」 という綺麗な音とともに [ u ] の字が緑の6角型の紋章のようなものの中にある虚空の物体のようなものが見えた おそらく3秒程の出来事だが

即この世のものではないと気づいた また自分の過去のイメージがつくりあげたものではなく 自分には全く覚えのない「何か」であり その緑の物体は空に浮かんでみえた

全く不可解な現象だが ひとついえることは決して自分にとってそれはマイナスなものではなく 心地よいものだということはハッキリわかった


※まずここでいっておかなければいけないことは なんでもかんでもすぐオカルトだ 妄想だ!と思う人は 到底信じられないだろう よってそういう人はどれだけ丁寧に説明しても何の意味もないとなる ただただ 自分は 自分が体験した現象を素直に記すまでである それ以上でもなければそれ以下でもない 断言する

その出来事が忘れられず しばらくその余韻に浸っていた 特にその時の音は印象的なものだった その後 その現象が何なのか? といったことを深く追及しようなどとは別段思わず その余囲に浸っているも 意識せず その後なんとなく気分的に本屋に向かった

ここまでは 確かに自分もその緑の物体は自分の中の何かの象徴が心像に現れたのだろうという程度におもっていた(それにしては自分の潜在意識はその覚えはないという声を発していた)

そしてサブカルチャーの棚で 即!圧倒的インパクトで飛び込んできたのが これだ

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この本はweb上でみるより実物は はるかに 緑のイメージが濃く 即 自分は 先程の瞑想終了時の出来事の結実だと直覚したことはいうまでもない

手にとり読んでみると なるほど! とわかり 即購入だ もちろん! それまで自分はバーソロミューなどというものは一切知らなかった

もちろん その本のカバーをみただけで 先程の空に浮かぶ虚空の緑の物体による誘い だとわかったが 読んでみてさらに驚いた

それは著者の Mary Margaret Moore のプロフィールだった その自分にとって これは!と確信したのは

『 ・・・ハワイで育ち 幼い頃からハワイの様々な宗教の”異なる概念”に触れた。・・・ 』 という部分が そのとき自分の頭には 自分と同じように子供の頃から様々な異なる教義を吸収しながらも その矛盾に疑問を感じる著者の心意気が感じられた この点がまず何より気にいった

 つまり メアリーマーガレット・ムーア はハワイのサモア系?の土着的教えや日本の禅またキリスト系など 様々な宗教団体に揉まれながら育ったことを瞬間的に感じとった

この部分が この部分こそが! 自分にとっては 他のスピ系のマスターなどとは大きく違い 非常に重要なファクターなのである 当然次の瞬間レジに向かったことはいうまでもないことである

 その日家に帰り この「 バーソロミュー ― 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ 」 を後で読んでみて 最初におもったのは この Mary Margaret Moore はなんといっても 女性であるため この系統=スピ系でも あまり自分が関心の薄い「愛」 だとか「癒やし」 というテーマに偏っていた

つまり自分は 正直バシャールみたいな またインド哲学みたいな語りを期待していたのだが 最初の最初は 期待はずれかな? と一瞬おもったのだが でも1ページ目のチャネラーとしての説明から 「うんっ これは!」 というみどころがあり やがて 最初の項 「愛ではないもの」 から説明の仕方が並外れているというか 少なくとも 自分には非常によくわかる説明であり 拘っているポイントがマッチしていた つまり相性がいいというやつだ

それで 大体この系統の本ではよく語られているような内容が続いたが 途中 クンダリニー・ヨーガは師につくべきだが エネルギーは自然に適正に動く特性をもっているので 個人によっては内なる声に耳を傾けながら 自分でエネルギーを調整しながらやるも良し と諭している点が異常に気になった

それは ヨーガを追及している人なら誰だって知ることとなった クンダリニー・ヨーガは内観の世界では最も危険なものであり 自己流でやるな というのが通説だからである

自分は若い頃(20代後半)そんなことはあるはずがない! と本に書いてあることや人の忠告を無視して 自己流でやってしまったのだ おかげで 脳天ぶち抜きが終わった後 とてつもない恐ろしい状態を経験した その後少なくみて3日間は 意識が揺らいでいた この説明はまた後でやるが

メアリーことバーソロミューは エネルギーの自然性は宇宙の摂理に基いているので その流れに身を任せてやるのも 悪くは無い といっているのである

良きにつけ悪きにつけ クンダリニー・ヨーガに関してこのような評価ははじめて聞いたのだ でも よくよく考えてみると この点に関しては これが最も適切な助言ではないのか? とそう感じた

なぜかというと いくら師についてやったほうがいい とはいうものの この現象がおきるのは突発的であり 師について・・・ という意味がないといえばないし またやったものしかわからないが この現象は いざ起こりはじめると 制御不能だ 自分で道を切り開くしかない

話しは 元にもどり この 1冊目は だいたいにおいて 途中いくつか これはすごい!ためになった と思う点は多々あったが 全体的に女性向けに書かれているようで 自分にしてみれば そんな 10年に一度出会うかどうかの名著 というほどではなかった

それでも 相性がいいのか 自分は 普通は趣味じゃない部分でも このバーソロミューの1冊目は まぁ読んで心が澄み渡る 広大なものを感じさせる1冊だった

後で考えてみると これほど不思議なスピ系の本もないな~と感じたのは 最初あげたように このバーソロミューは インド哲学ではないが その要素満載だし キリスト系でもないが なんとなくそのようなものも感じるし また仏教や禅でもないが ダイレクトに悟りに誘うという点においてその心意気が感じられ それでも 他のいかなる宗教にも一切囚われていないのである だからといって ヨーガか? というと方法としては使っているけど そうでもない わけだ

ここが後でわかってくる重要なポイントが隠れているところで 普通そのような 「ソース」 がない場合 つまり全く無からの創造? という場合 自分は非常に軽薄でライトなものを感じるのだが これは そのようなライトで軽薄なものは、『全く』 感じなかった それどこか 後でこれがいかに偉大で荘厳なものか わかることになる

それでも やはり 1冊目は どうしても女性向け? とおもう部分が相まって 読んだ後は 特に意識するでもなくしないでもなく というそんな感じが続いていた

この1冊目を読んだのは もう2年ほど前だ

 最近自分は バーソロミューは一切関係なく Ameba Ownd で 『 Holism in life 』  というサイトを作り エハン・デラヴィ エハン塾 の動画でも 自分にとって最も感動の多かった動画 「 進化論その2:モルフォジェネティク・フィールド仮説 」 をUpした

<span style="color:#7fd7ff;">https://holism.amebaownd.com/posts/2915994</span>

自分がなぜに この動画が超重要でかつ 価値の高いものとしているかは

 

1,記憶の所在 

2,意識の伝搬の本質

 

これを司っている本質的メカニズムを形而上学レベルでほぼ解明しているとみえるからだ

それは 自分が 「 全ては空間にある 」 というタイトルをつけてだしているこの動画をみてもらえばわかるだろう ここでは細かい説明は割愛する


ちょっと 飛ぶが 自分が今 面倒をみている 2番目の伯母は かなり認知症が進み 5分も記憶がもたない時があるし 少なくとも 一日のうちに何十回も同じことをいうに至っている それはどういうことか?
そこで この認知症の伯母が一日のうちに口にする話題をあげてみると
例えば
テーマ1;自分(jcurrent)の友達の誰々君は今東京に住んでいるのか?, テーマ2;伯母の年齢がいくつだったか?, テーマ3;いつになったら北陸新幹線が通るのか?,
テーマ4;まさかうちの街がこのように客が誰一人いない状態になるとはおもわなかった, テーマ5;私の財布はどこにいった?, テーマ6;・・・・・,

このような 大体のテーマというか分野が7~10ぐらい存在して 一日中それをいったりきたりしているのである わかるだろうか?

新しい内容は テレビをみていてもでてこないのだ この7~10ぐらいを 今はじめて口にするといった具合に何回でも何回でも繰り返すのである そしてそれをちょっとでも批判されようものなら しゃにむに 馬鹿にするな!嘘つくな! と怒るわけだ 財布は1時間おきになくなるし(実際近くにある) 周りにいる者はたまったものではないのである
その他 困ったことはそれ以外にもあるのだが この今日のブログとは関係ないため省略するが 最近はもちろんまともに相手などしていれなく 「そうかそうか そうだね」
といった具合に かわしているのだが 最近伯母をみていて あるとき ぽつりおもった

それは 人間なんて つまり人の思考や感情なんて 結局この程度のものではないのか? ということである

もちろん この2番めの伯母は 認知症のため それがより濃密により極限的になっているだけで ひろ~い視点でみれば 誰しも 人間とは このような自分で気づいていない 思考感情アルゴリズムに基いて お決まりのパターンを繰り返しているだけなんじゃないだろうか?・・・・ そのように思う 今日この頃だ



 後 最近勉強した もうひとつは 前ブログで書いたが つい1ヶ月ほど前に 35年ぶりの懐かしい 中学時代のクラス会にいってきた

詳細は 省くが 誰もかれも 男も女も! 超~! 記憶力が低下しているのだ 全く話しにならなかった! まずみんな昔のことを詳細には話すことができないのだ!

自分は ありとあらゆる場面やその時の心境まで覚えている よってコントをするかのごとく 昔話しに花を咲かせたいのだが 誰もかれも あらすじは覚えているが その時の 
空気観や 想いを忘れているのである それどころか 『歴史捏造』(*^^*) まであった!!!

ひどい奴になると 楽しかった中学時代の 面白い痴話喧嘩や 人間関係において とんでも解釈している奴がいるのである!! 

いやいや まさに! 上念司がでかい目をあけてロケットで飛んできて抗議しだすほどの 「とんでも」 がいるのだ!

いゃ もちろんそれは 読者がこの自分を信用できなければ 説得性は無いとなる

しかし その記憶力の無さには 呆気に囚われた まるで おじいさんや おばあさんだ! みんな 事のあらすじというか 内容は覚えているときがあっても 情観を覚えていないのである!!


自分は 後に考えた なぜにこのようになるのだろうか?と それであることがおぼろげながらわかってきた それはおそらく みんなは その大体において 言葉や感情だけを記憶しているのではないか? ということだ

 自分の場合は?というと 中学時代自分は 一言でいうならクラスでも学年でも独裁者みたいなものだった しかしクラスがいつも面白く 活気に溢れたものになるように
 いつもいつも 『 全体 』 をみていた いや もっと厳密にいうなら 『 空間 』 をみていたのだ 人によっては 『空気観』 といったほうがいいだろう

そう 例えば ビートたけし はこの我々が中学時代 いつも話題にのぼっていた お笑いタレントだが 多分 たけしは いつも 人の言葉や感情もさることながら その場に漂う 空気や人と人の 反応パターン その他含めて 全体をくまなく観察していると思われるが まさに そういった 『 空気観 』 それに結びつけ 人が言ったことや 人それぞれの感情も記憶するだろうとおもわれる

この点において 話しは飛ぶが 例えば チャンネル桜の 水嶋社長 は映画監督だ また行動する保守運動 日本第一党の 桜井誠氏は 映画監督ではないが 彼のオレンジラジオを聞けば誰だってわかるとおり 人の特徴を細かく説明したり 演歌が好きであったり つまり演劇的な「ノリ」がある

つまり これらおのおのに共通する要素として 空気観や情観を読み取る本能が際立っていることが読み取れるといえる

そこには 流れがあり 広がりがある つまり それは 究極的に 何を 『 記憶 』 しているのか? という次の問がでてくるといえるだろう

ちょっと前に戻るが このクラス会で 最も 記憶力の低下を感じたのが IT系システムエンジニアをしている友達だった 記憶が無いどころか 全く異質の歪んだ記憶をしているのに驚いた ほんとこれは皮肉でもなんでもなく 事実そうであったから驚きだった

そろそろ みなさんは このブログで自分が訴えたいことの要点がまとまってきたのがわかるだろうか? そう! だから https://holism.amebaownd.com/posts/2915994 であげた エハンの動画は貴重なのである そして 自分は、現実的体験によって これが痛いほどよくわかったのである

つまり 記憶というのは 西洋唯物科学かぶれの心理学者やクソッタレ唯物脳学者がなんといおうが! 自分は断言する! 記憶とは空間にあると!

よって 本をめくるお勉強はいざしらず 人間模様が関わる出来事の記憶は その言葉や感情単体記憶では 退化するのが早いと思われる

そういった一連の出来事が起こった その空気観の流れというプロセスを記憶するように心がけることが重要であると 理屈をいえば それこそ人間の記憶のクラウドサーバーが 無の空間=量子真空にあるのだから 記憶の仕方も 空間全体を記憶するほうがいいにきまっているのではないか? と思えるわけである

もう一度いうならば こういった記憶は そこに漂う雰囲気や人々の空気観 人の表情や感情 それら様々な様相と風景そういった演劇を記憶するに限る 一番馬鹿な記憶の仕方は 言葉だけを記憶する あるいは 感情だけを記憶することだ そういった単体だけを記憶する仕方が 後で とんでもない記憶の歪曲を生み出すのである!

これは何も 今自分が このブログでいきりたたなくても わかる人は自然にそうしているのだと思われる そういう人にとっては こいつ何をいっているの? とおもうことだろう

しかしだ 意外にそれをやっている人は少ないのではないだろうか?

情観や風情の記憶が如何に大事か? 身にしみてわかってくる部分がある 実は うちの2番目の伯母もそれができていないのである それがゆえに父の兄弟でも例外的に認知症がひどいといえるのだ

さて 実は 自分が訴えたい内容は これしきではおわらないのである その前に 上であげた 過去の自分のクンダリニー・ヨーガ体験を話しておく必要がある

このクンダリニー・ヨーガを実践する前に 自分は この当時(20代後半) 約半年間ヨーガ道場に通いハタヨガに没頭していた 詳細は省くが そうとうやりまくった ヨーガだけでなくて この当時は運動もかなりやっていた しかし それだけでは飽き足らず ある日 本山博士などのクンダリニー・ヨーガの本を読みあさり 瞑想で心地よくなったとき
本に書いてあったことを自己流でまとめあげ おもいきり実践してみた じつは それまでも2、3回はやったのだが 別段何もおきなかった

その日は 体が軟体動物になるほど ハタヨガをやりまくり 心地よい疲れと同時に瞑想に入り 集中がうまくいき 非常に澄み渡る意識になったこともあって
もう一度おもいきり 『完全自己流クンダリニーヨーガ』をやってみた結果 いわゆる それはおきた

 尾てい骨のあたりが 何やらもぞもぞしたかとおもうと 急に下半身の気がぬけるような感覚が走り それと同時に尾てい骨から丹田あたりにかけ 強烈な感覚が ほんとそれは 蒸気機関車のごとく シュポシュポと舞い上がりはじめた このあたりで 詳細に記述すればするほど 疑わしく映るだろうと予測されるので この後のクンダリーニ上昇のプロセス説明は 胆略化することにする(おまけでいえば この初体験時は もうこの丹田あたりにこのエネルギーがあるときには 内観の世界では雷がたくさん落ちていたのを覚えている)

 その上昇してきた エネルギーは 次々とチャクラを回転開花させるように上昇した それぞれのチャクラごとに 特徴的な現象がおきた そのエネルギーが胸のチャクラを通過した時点では 非常に神秘的な体験をしたが 省略する そして 胸のチャクラにきたときに 今までは その上昇エネルギーを上から観察するような感覚だったのが 今度はその上昇エネルギーの中に自分がいるのである 説明に困るが 自分の本体は5色?に輝くような光の球体だった とにかく光の球体がその時の自分の本体だったというところはハッキリ覚えている 当然中の当然として もう身体感覚は 一切ないのだ もうこの時点をもってして いってはいけない世界にいってしまった予感をもっていた そういった予感は 脳をもってしてされているなど 到底おもえない だって これからアジュナーやサハスラーラという脳部位に向かうわけだから わかるだろうか?

 そして 眉間へと向かい ついに頭頂に達する そのとき 垣間みた世界は 以前 幽体離脱でみたような世界とは全く違う


 芸術の極限値のような世界だった もう詳細に言うことはできないが それは 色とりどりの幾何学が幾重にも折り重なり 全体として均等がとれた それはもう想像を絶する美の極限値としか いいようのない世界だった

 

  その時の体感的状態というのが超高電圧高周波? というか その空間圧がすさまじい なんというのか 自分はそのうちの小さい光球でしかないのだ なんというのか上昇する速度がどんどん速くなっていき 得たいの知れない領域へ飛んでいってしまった その時 えっ? この世とお別れ?

という恐怖が芽生え 後はしきりに 全身全霊をもって 肉体に戻ることを願った すると 音がだんだん下降するような低い音になっていきやがて肉体に戻るのだが 光のシャワーなどというようなしろものは 起きたどころか 得たいの知れないエネルギーがあちこちに飛びかう? とうてい言葉で説明できるような状態ではない!

 肉体にもどっても約20分ほどは肉体が正常に機能していなかった やっとのことで健全な肉体状態になり 目を開けることができたが 部屋の壁から光やら音やらでてくるわ 
その他 空間がぐらついて 得たいの知れない恐怖がおそってきたり 後悔したが遅かった その日は 少しでも気をぬくと空間が揺れていた 得たいの知れない音もたくさん聞いた 心に少しでも邪念が湧くと それがイメージとなりおそってきた それから少しずつ収まっていったが 少なくも3日間はひどかった
その影響で生活に支障が出ない状態に完全に至ったのは 約4、5日後になるだろうか?


しかし それは 完全には治らないのだ 実は今もある 最も今は 夜寝るときだけだ 未だに当時の現象が再現されるようなことが就寝時におきるのである
つい数年前は 毎日 夜寝る時 青白い強烈な勢いの発光体が 突然頭頂から入ってくるのである それでビックリして飛び起きたりすることもあった

以上が ざぁーっとあげた 自分のクンダリニー・ヨーガ体験である 今も瞑想すると クンダリーニが上昇してしまうことがあるため もっぱら この体験後の瞑想は 皮肉にも クンダリーニが上昇しないようにするにはどうしたらいいか? が自分の瞑想のテーマである

しかし このブログでいいたかったのは クンダリニー体験ではなくて そのサハスラーラ以上でみた光景である

 

 上にいけばいくほど統合が進む完全無欠の究極の美の世界であり 幾何学的合理性の折り重なりといえばいいだろうか? もうこれが表現の限界だ


ここまで話せば 自分が エハンの動画に なぜにそこまで拘るか? わかるだろう

そう! まさしく エハンがいっているところの モルフォジェネティク・フィールドという量子場の中枢連結センターを クンダリニーヨーガは垣間をみせるのではないだろうか?

それを自分は、この動画のこの部分, 44m7s

 をみたとき 以前の体験を思い出したわけだ

※この動画は「開始位置」を入れてあるがなぜかうまくそこから起動しない


この動画でエハンの説明では この図はそういった量子場の働きを数学の幾何学に置き換えて説明している抽象的な図だといっているが

意外に 実際の量子場でも 量子的に立体的な構造として 無の空間の高エネルギーの上位相に神の宇宙設計図は配置されていると自分は思っている

自分がみた究極的に合理的な幾何学美の世界はそれが果たして 人の量子場と外界の間にあるものなのか 現象宇宙の量子空間の究極の最奥にあたるのか?

それがどうなのか?はわからない とにかく この自分が垣間みた空間に生物的な何かは感じなかったのだ それまではやまほど感じた しかしこの空間は合理性の象徴だった

※ この合理性空間に至るまでには 上昇過程の様々プロセスで 音や映像として 霊や生命らしきものの信号を感じた 実は瞬間的に霊らしきものを認識しているのだが ハッキリ覚えていない

この時点までは このエハンがいうところの量子場における神聖幾何学的な仕組み もしくは 自分が体験した合理性の象徴は おぼろげながら 人の記憶や 意識伝達に一役かっている 苫米地がいうところの情報場 もしくは量子場の意識信号伝達における何か?だろう ここまでが おぼろげながら 予感してきた内容だ

もちろん これとて この動画をみてピン!ときたときは 自分にとっては感動ものだった

しかし やっとここにきて バーソロミューが 如何にすごい存在か? 今まで上にあげた1冊目だけを読んで 軽くみていた自分を恥じることがおきた

しかしブログが毎度のことながら長くなったので 続きは次回にする

※ここまで読んで頂きありがとうございます 実はこの記事と次は いままでのブログで最も読んで頂きたい内容です ここまで読んで頂いた方は 出来る限り 是非とも②もみてください m(_ _)m そうすると よりハッキリとしたものがみえてくると思われます

自然知性体 バーソロミュー ② へと続く

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