ナルドの香油なる、高価な香油。
今でも、アロマオイルは結構なお値段がします。
いえ、これは多分に、香水と呼ぶに相応しいものでしょう。
 
ある女が、
イエスの頭に香油をたっぷりとかけ、
自分の髪で拭ったというのです。
 
福音書により、この女の描き方が若干異なりますが、
自分の罪に悲しむ女であるとも言われています。
 
そして、この何百万円もの価値がありそうな
香油を無駄に使った、と憤慨したのが、
あの、イスカリオテのユダであった、とも記されています。
 
それだけの金があるのだったら
 ○○のために使えばいいのに」
私たちも、自分を正義であるかのように考えて、
そんな言葉を呟くことがあるように、思いませんか。

エルサレムで目立つというのは、
まさに命取りだったことでしょう。
けれどもイエスは、覚悟していました。
教えをなし、論争も辞しません。
だから、逃げも隠れもしませんでした
 
危険なやりとりだったはずです。
命を狙う敵が取り囲む本拠地に乗り込んだのですから。
けれどもそこは、
イエスの父の家でもありました。
 
本来自分の場所
けれども、今そこに入るのは危険極まりない。
そんなことって、ありませんか。
きっとあなたにも
そういう勇気を振り絞った時が、あると思うのです。
いわゆる、宮清め
神殿でイエスが、
商人たちの店を荒らし回ったという日。
 
主の憤りを完全に
私たちが理解することはできないでしょう。
 
どこまでも冷静で
「おとな」だったイエスが、
自分を見失ったみたいに烈火の如く怒るとは。
 
父の家を汚されたことで
あれだけ怒ったイエスであるなら、
現代の私たちを見て
どんな気持ちでいらっしゃることでしょう。
棕櫚の聖日などと呼ばれます。
イエスが、エルサレムで
熱烈な歓迎を受けたというのです。
 
でもそれは、
殺されるために入城しただけでした。
(エルサレムのような町は、城壁で囲まれていました)
 
イエスは、命を狙われていることが分かっていました。
しかし、これが使命の「」であると自覚していました。
 
熱狂的に迎える民衆も
ひとたび為政者に唆されると
自分の命を狙うことさえ望みかねない、と分かっていました。
 
今週、イエスの受難のあとを心でたどりましょう。
金曜日が十字架の日、そして
日曜日が復活の日です。

キリストは、羊飼いであるとも言われます。
その声を、羊たちは知っているのです。
 
迷える小羊、なんて言葉も
人口に膾炙していますものね。
人間は、しょせん、迷える小羊なのです。
 
キリストに従ってさえいれば、安心です
キリストこそ、私たちの正しい飼い主です。
 
羊飼いを「シェパード」ということがあります。
そして、「牧師」という呼び名も、
これに由来していることになります。
 
でも、くれぐれも、
人間の牧師がキリストなのではないのです。
時折、それを勘違いした教会があるかもしれませんが。