マルチプロセッサ社員、VMOSピラミッドの作り方:その1・続(公認メルマガバックナンバー)
■マルチプロセッサ社員、VMOSピラミッドの作り方:その1
私に、あるアメリカの会社からヘッドハンティングの声が掛かりました。
Caltex Oilと言うTexacoとChevronのアジア向けの合弁会社と
インタヴューをしてみなかという誘惑でした。
気軽に受けてしまったのですが、
たった一回の面接で直属の上司となる取締役マーケティング部長と馬が合い、
その日の内に取締役副社長(COO)と代表取締役社長(CEO)まで面接が進みました。
即座に採用したいといわれ、
報酬はそのころの日本の大卒の初任給の3倍は出すというのです。
それでも、大好きで夢を叶えてくれるアメリカを離れる気持ちは動きませんでした。
しかし、姉の結婚式で幸せそうな母の笑顔を見ているうちに、私の心は揺れました。
そして、Caltexに入社を決めてしまったのです。
Californiaの会社は創業以来、
初めてPurdue大学の卒業生を向かいいれることができたと
喜んでいた矢先の私の行動に当惑を隠せないようでした。
私もとてもつらい気持ちがありましたので、
『After learning global marketing, I shall return』
と言った気休めにもならないExcuseを言って
一時去ることを許していただきました。
実は、もうひとつ私の心を動かしてしまった背景に、
私はPurdue 大学の経営工学科を卒業するときに、
Purdue大学院のMBAの修士課程に入学許可が下りていたのでした。
しかし、貧乏学生の4年間からの開放と、
早く実学を試したい、働きながらMBAに相当する仕事、
それも経営工学では足りないMarketing部門を
学習したいという欲望はひそかに燃えていました。
それに、3倍の給料と母の笑顔が私を動かしてしまったのです。
文字どうり、Caltexでは中近東、インドネシアの日本向けの液化ガス開発のProjectや、
世界中にまたがる船舶や航空機の給油手配の仕事等、
本当にGlobalな仕事に従事することが出来ました。
日本の高度成長を支える石油という花形産業の時代です。
しかも、Marketingの仕事です。
今では、とても想像できない大金を使う夜の銀座のClubや
超一流の料亭での外国人の接待や、
箱根まで芸者付ゴルフとマージャンの二日にかかっての接待等、
今では映画の上でしか見られない体験もさせられました。
そんな、貴重な体験を積んでいるさなか、母の願いでもあった、身を固める、
すなわち、大和撫子と結婚すると言う人生の事業も成し遂げてしまいました。
それから、4年の月日が流れようとしていたころ、
米国、それも南California地域では自動車の大気汚染が大きな問題になっていた時代。
Purdue大学を卒業したときに就職したCaliforniaの自動車の大気汚染測定機器を
製造販売するアメリカの会社から、本格的に拡張期に入るので、
帰ってきてくれないかという誘いが入ってきました。
「マークの専門の管理会計を生かして、
工場の生産性を上げてくれないか」というのです。
私に提示されたポストは、製造部の組立課長(アセンブリー・デビジョンのマネージャー)でした。
1970年代の真っ只中、私は20代後半で体力も意欲も一番充実していた時代です。
年商50億円程度、社員300人規模の中堅規模の会社でしたが、
力一杯働こう、そして出来るかぎり上のポジションを目指そうと固く決心して、
アメリカに帰りました。
それは、Purdue大学の学部長の言葉、
『10年以内に執行役員になれ』のVisionを明確にしたときでした。
日本コンサルタント協会理事
マーク・M・ムネヨシ
私に、あるアメリカの会社からヘッドハンティングの声が掛かりました。
Caltex Oilと言うTexacoとChevronのアジア向けの合弁会社と
インタヴューをしてみなかという誘惑でした。
気軽に受けてしまったのですが、
たった一回の面接で直属の上司となる取締役マーケティング部長と馬が合い、
その日の内に取締役副社長(COO)と代表取締役社長(CEO)まで面接が進みました。
即座に採用したいといわれ、
報酬はそのころの日本の大卒の初任給の3倍は出すというのです。
それでも、大好きで夢を叶えてくれるアメリカを離れる気持ちは動きませんでした。
しかし、姉の結婚式で幸せそうな母の笑顔を見ているうちに、私の心は揺れました。
そして、Caltexに入社を決めてしまったのです。
Californiaの会社は創業以来、
初めてPurdue大学の卒業生を向かいいれることができたと
喜んでいた矢先の私の行動に当惑を隠せないようでした。
私もとてもつらい気持ちがありましたので、
『After learning global marketing, I shall return』
と言った気休めにもならないExcuseを言って
一時去ることを許していただきました。
実は、もうひとつ私の心を動かしてしまった背景に、
私はPurdue 大学の経営工学科を卒業するときに、
Purdue大学院のMBAの修士課程に入学許可が下りていたのでした。
しかし、貧乏学生の4年間からの開放と、
早く実学を試したい、働きながらMBAに相当する仕事、
それも経営工学では足りないMarketing部門を
学習したいという欲望はひそかに燃えていました。
それに、3倍の給料と母の笑顔が私を動かしてしまったのです。
文字どうり、Caltexでは中近東、インドネシアの日本向けの液化ガス開発のProjectや、
世界中にまたがる船舶や航空機の給油手配の仕事等、
本当にGlobalな仕事に従事することが出来ました。
日本の高度成長を支える石油という花形産業の時代です。
しかも、Marketingの仕事です。
今では、とても想像できない大金を使う夜の銀座のClubや
超一流の料亭での外国人の接待や、
箱根まで芸者付ゴルフとマージャンの二日にかかっての接待等、
今では映画の上でしか見られない体験もさせられました。
そんな、貴重な体験を積んでいるさなか、母の願いでもあった、身を固める、
すなわち、大和撫子と結婚すると言う人生の事業も成し遂げてしまいました。
それから、4年の月日が流れようとしていたころ、
米国、それも南California地域では自動車の大気汚染が大きな問題になっていた時代。
Purdue大学を卒業したときに就職したCaliforniaの自動車の大気汚染測定機器を
製造販売するアメリカの会社から、本格的に拡張期に入るので、
帰ってきてくれないかという誘いが入ってきました。
「マークの専門の管理会計を生かして、
工場の生産性を上げてくれないか」というのです。
私に提示されたポストは、製造部の組立課長(アセンブリー・デビジョンのマネージャー)でした。
1970年代の真っ只中、私は20代後半で体力も意欲も一番充実していた時代です。
年商50億円程度、社員300人規模の中堅規模の会社でしたが、
力一杯働こう、そして出来るかぎり上のポジションを目指そうと固く決心して、
アメリカに帰りました。
それは、Purdue大学の学部長の言葉、
『10年以内に執行役員になれ』のVisionを明確にしたときでした。
日本コンサルタント協会理事
マーク・M・ムネヨシ
講座開催のご報告!
こんにちは。
日本コンサルタント協会事務局です。
1月15日(土)と1月22日(土)23日(日)に
日本コンサルタント協会認定講師の方がセミナーを開催しました。
1月15日(土)名古屋にて
箱田式話し方講座ベーシックが開催されました。
講師は認定講師の朝比奈史子さん。
受講生全員が大満足!大変な盛り上がりを見せたようです。
アンケートでは
「スピーチが楽しいものになりモチベーションが上がった!
議会のスピーチが楽しみになりました」
「話し方はとても奥が深いと実感。
とても楽しい内容で参加して良かったです!」
などたくさんの喜びの声をいただきました。
1月22日(土)23日(日)は
コンサルタント能力検定マネージャーコースを
パートナー・ビジネス・コンサルタント加藤洋一さんが開催。
こちらも大変な盛り上がりを見せたようです。

↑コンサルタント能力検定マネージャーコースの様子です。
日本コンサルタント協会では今後も講座をどんどん開催していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
◆只今募集中の講座詳細はこちらから
『ライフビジョンの創り方セミナー』
日本コンサルタント協会事務局です。
1月15日(土)と1月22日(土)23日(日)に
日本コンサルタント協会認定講師の方がセミナーを開催しました。
1月15日(土)名古屋にて
箱田式話し方講座ベーシックが開催されました。
講師は認定講師の朝比奈史子さん。
受講生全員が大満足!大変な盛り上がりを見せたようです。
アンケートでは
「スピーチが楽しいものになりモチベーションが上がった!
議会のスピーチが楽しみになりました」
「話し方はとても奥が深いと実感。
とても楽しい内容で参加して良かったです!」
などたくさんの喜びの声をいただきました。
1月22日(土)23日(日)は
コンサルタント能力検定マネージャーコースを
パートナー・ビジネス・コンサルタント加藤洋一さんが開催。
こちらも大変な盛り上がりを見せたようです。

↑コンサルタント能力検定マネージャーコースの様子です。
日本コンサルタント協会では今後も講座をどんどん開催していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
◆只今募集中の講座詳細はこちらから
『ライフビジョンの創り方セミナー』
マルチプロセッサ社員、VMOSピラミッドの作り方:その1(公認メルマガバックナンバー)
さて、あなたは1月に出版された『世界一働きたい会社を創ろう!』を
もうお読みになりましたでしょうか!?
この本の鍵は社員がプロ意識を持つことだと書いてあります。
「マルチプロセッサ社員」と「VMOSピラミッド」というコンセプトを、
主としてリケリケ・ドライブインと玉子屋を例に取って紹介しています。
皆さん、こんにちは。
著者のマーク・M・ムネヨシです。
マルチプロセッサ社員にいたる実例を、
私、マーク・ムネヨシ自身で数回にわたり紹介していきたいと思います。
■マルチプロセッサ社員、VMOSピラミッドの作り方:その1
「まえがき」で紹介したように、Purdue Universityを卒業するときに
(そのころは、天下のGMか、Big Blueといわれていた
IBMの二つの会社がアメリカの代表的な大会社でした)
わざわざ、IBMのNew York にあるWorld Headquarterの日本人人事部長が
Purdue Universityまで出向いて、私を採用する目的で面会に来ました。
私は専攻が経営工学でしたので、その関係の仕事をしたい言ったところ、
人事部長は私のLeadership資質や人間関係の作り方をみて、
World Headquarterに招待する、
適正試験を受けてから部署を決めたいと言いました。
今から、思うと身に余る光栄というか、
飛行機代もNew Yorkでの滞在費もすべて会社で持つので
ぜひ来て欲しいということでした。
しかし、私は断りました。
全米でも有名なPurdue Universityの経営工学を学んだ青年に適正試験で
働く部署を決めるといわれたときに、
『私はPurdue 実学を学習してきました、
それなら、Purdueの学長(時のPresident Havde)に
私の適正をQuestionしてからにしてください』
と突きつけてしまいました。
ノーベル賞受賞者を多く輩出し、
月面着陸を果たしたアームストロング船長や数多くの実業家を生み出してきた
Purdue Universityの教えに絶大なる信頼性と誇りを持っていたのです。
ちなみに、当時の学部長(企業の重役出身)の卒業セミナーでの発言、
『皆さんが、Purdueで学んできたことをこれから試すことになります。
企業に就職される方は、入社して10年で会社役員(執行役員)に成れなかったら、
それは君達の努力が足りないか、またはその会社が経営的によくないか、どちらかである。
いづれにしても、その時点でその会社を退社し、やり直しを試みなさい。』と。
結果、私の経営工学を実行できるCaliforniaにある環境機器を製造販売している中小企業に
経営工学技師として入社を決めました。
(拙著『自分のルール』の創り方:
フォレスト出版にたくさんエピソードを提供してくれた中小企業です。)
余談になりますが、その会社に就職したのにもかかわらず、
入社して1年も経たないときに姉の結婚式に出席するため、
日本に5年ぶりに帰ってきました。
そして、そのとき事件がおきたのです。
日本コンサルタント協会理事
マーク・M・ムネヨシ
もうお読みになりましたでしょうか!?
この本の鍵は社員がプロ意識を持つことだと書いてあります。
「マルチプロセッサ社員」と「VMOSピラミッド」というコンセプトを、
主としてリケリケ・ドライブインと玉子屋を例に取って紹介しています。
皆さん、こんにちは。
著者のマーク・M・ムネヨシです。
マルチプロセッサ社員にいたる実例を、
私、マーク・ムネヨシ自身で数回にわたり紹介していきたいと思います。
■マルチプロセッサ社員、VMOSピラミッドの作り方:その1
「まえがき」で紹介したように、Purdue Universityを卒業するときに
(そのころは、天下のGMか、Big Blueといわれていた
IBMの二つの会社がアメリカの代表的な大会社でした)
わざわざ、IBMのNew York にあるWorld Headquarterの日本人人事部長が
Purdue Universityまで出向いて、私を採用する目的で面会に来ました。
私は専攻が経営工学でしたので、その関係の仕事をしたい言ったところ、
人事部長は私のLeadership資質や人間関係の作り方をみて、
World Headquarterに招待する、
適正試験を受けてから部署を決めたいと言いました。
今から、思うと身に余る光栄というか、
飛行機代もNew Yorkでの滞在費もすべて会社で持つので
ぜひ来て欲しいということでした。
しかし、私は断りました。
全米でも有名なPurdue Universityの経営工学を学んだ青年に適正試験で
働く部署を決めるといわれたときに、
『私はPurdue 実学を学習してきました、
それなら、Purdueの学長(時のPresident Havde)に
私の適正をQuestionしてからにしてください』
と突きつけてしまいました。
ノーベル賞受賞者を多く輩出し、
月面着陸を果たしたアームストロング船長や数多くの実業家を生み出してきた
Purdue Universityの教えに絶大なる信頼性と誇りを持っていたのです。
ちなみに、当時の学部長(企業の重役出身)の卒業セミナーでの発言、
『皆さんが、Purdueで学んできたことをこれから試すことになります。
企業に就職される方は、入社して10年で会社役員(執行役員)に成れなかったら、
それは君達の努力が足りないか、またはその会社が経営的によくないか、どちらかである。
いづれにしても、その時点でその会社を退社し、やり直しを試みなさい。』と。
結果、私の経営工学を実行できるCaliforniaにある環境機器を製造販売している中小企業に
経営工学技師として入社を決めました。
(拙著『自分のルール』の創り方:
フォレスト出版にたくさんエピソードを提供してくれた中小企業です。)
余談になりますが、その会社に就職したのにもかかわらず、
入社して1年も経たないときに姉の結婚式に出席するため、
日本に5年ぶりに帰ってきました。
そして、そのとき事件がおきたのです。
日本コンサルタント協会理事
マーク・M・ムネヨシ