過去の今日の走る投げる捕る打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=) | J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

過去の今日、『太陽にほえろ!』のどのエピソードが放送されたかを後悔なく公開するブログでしたが、
2023(令和五)年2月2日(木)曜日に突然、きまぐれに気が変わってしまい変更しました土佐ヨ(=^◇^=) 
いうことでどうか④⑥③⑨お願いしますm(__)m(__)m

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 ┃今日は何の日?┃
 ┗━━━━━━━┛名称、肩書き、年齢などは当時のものですヨ(=^◇^=)
‡2019(令和元)年05月01日(水) 元号が「令和」に改元 ※2024(令和六)年題号変更?
‡2019(令和元)年05月01日(水) 新天皇即位、令和の幕開け ⇒ 天皇陛下(現上皇さま)が
 2019(平成31)年04月30日(火)に退位され、皇太子だった徳仁親王殿下が新天皇に即位。元号が平成から令和に改まった。即位儀式として、皇居・宮殿「松の間」で皇位の証しとされる剣と勾玉(まがたま)、国の印である国璽、天皇の印である御璽を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」が行われた。写真は、同儀式に続いて行われた「即位後朝見の儀」でお言葉を述べられる新天皇陛下【時事通信社】
‡1994(平成六)年05月01日(日) F1ドライバーのアイルトン・セナがレース中に事故死 ⇒ 自動車レースの最高峰、F1世界選手権シリーズで計3度の総合優勝、通算41勝を挙げたアイルトン・セナ(ブラジル)がシーズン第3戦サンマリノGPの決勝レースでコンクリート壁に激突、死亡した。34歳。抜群の実力と人気を誇った名ドライバーの死は、F1界に大きな打撃となった。写真は、大破したセナのマシン【AFP時事】※2024年説明削除?
‡1931(昭和六)年05月01日(金) エンパイア・ステート・ビルが開館、高さ381メートル
‡1999(平成11)年05月01日(土) エベレストで英登山家ジョージ・マロリーの遺体が発見される ※2021(令和三)年記事削除
‡2000(平成12)年05月01日(月) 海上保安庁への緊急電話番号118番がスタート ※2021(令和三)年記事追加
 https://www.jiji.com/jc/daily?d=0501

 2013(平成25)年10月13日(日)『アンパンマン』の作者、やなせたかしさん死去 ⇒ 東京都生まれ、幼少時を高知県で過ごした。1953年、漫画家として独立。代表作誕生の背景に、自身の従軍体験から「たとえ戦争のまっただ中でも、困っている人には手を差しのべ、飢え死にしそうな人には食べものを分けてあげたいという気持ちはみんな共通のはず」との強い思いがあった。※2025(令和七)年説明追加
‡2013(平成25)年5月1日(水)に東京で開催された展覧会【AFP時事】

 

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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=榎本郁也
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‡2010(平成22)年05月01日(土) 本塁打ビデオ判定“ 黒星第1号”は中日・和田一浩
‡2017(平成29)年05月01日(月) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月1日だ。
 写真◆2017年4月28日のヤクルト-巨人戦(神宮)ではヤクルト・山田哲人の一打がビデオ判定でファウルとなった
 最近ではホームラン、ホームでのアウト、セーフのビデオ判定はすっかりお馴染みとなった。 
 日本球界での導入は2010年だが、中日・和田一浩外野手が記念すべき(?)「国内第1号」の打球を放ったのが、同年5月1日だ。 
 開幕から好調を維持していた和田は、この日の広島戦(マツダ広島)でも3回に小松剛から2ラン、4回には梅津智弘から3ランを、いずれも左翼場外に運んだ。そして6回はベイルとの勝負。変化球をすくった打球は左翼ポール上空を通過した。飛距離は十分。三塁塁審も右手を回した。3打席連発! 
 和田はもちろんダイヤモンドを1周した。だけど……。 
「自分では分らないんですよ。もう走り出していたので。ライン上にそのまま立っていたら、見えたかも分らないけど。自分で決められることじゃない。仕方ないです」 
 微妙な弾道は、広島の抗議の末、ビデオ判定となり、ファウルに。5例目で初の“差し戻し”だった。 
 なお、この年の和田は自己最多の37本塁打を放ち、4年ぶりのリーグ優勝に貢献。MVPにも輝いている。 
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2003(平成15)年05月01日(木) ヤクルト・高井雄平のホロ苦先発デビュー
‡2018(平成30)年05月01日(火) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月1日だ。
 写真◆初先発の記事の見出しは「壁はタカイか?」だった
 若い読者の方は「高井雄平」という投手をご存じだろうか。東北高時代に150キロ超を記録。ダルビッシュ有(現カブス)は2年後輩になる。 
 2003年、ヤクルトに1巡目で入団。高卒新人ながら4月22日にはリリーフで一軍デビューを果たした。同年5月1日は高井の一軍初先発の日だ。 
 神宮での横浜戦に先発したが、制球が甘く立ち上がりから2安打される不安な立ち上がり。2回表には連打を浴び、先制点を奪われた。さらに3回表には4安打4失点。痛かったのが村田修一の8号2ランだ。「あの球をあそこまで持って行かれるなんて……」と高井。当時の記事では公式戦でホームランを打たれたのは、アマ時代も含め、はじめてだったらしい。この日は、結局、3回5失点で降板となった。 
 それでも若松勉監督は「次の先発もあるよ」。実戦で将来のエースを鍛える方針だったようだ。同年は17試合に先発し、5勝6敗。しかしその後、伸び悩み、09年秋季キャンプから打者転向。11年には「雄平」と登録名を変え、野手での一軍デビューを飾った。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 2008(平成20)年6月12日(木) ヤクルト・館山昌平、自身初の6連勝!
 2018(平成30)年6月12日(火) 7:00 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月12日だ。 
 写真◆ファンの声援に応える館山
 今季一軍では3戦3敗と振るわず、二軍生活が続く「松坂世代」の一人、館山昌平。今回は、彼の2008年6月12日の登板をプレーバックしよう。 
 この日、楽天相手(Kスタ宮城)に先発した館山は7回を投げ6安打1失点。毎回のように走者を背負いながら、丁寧に打たせて取るピッチングで、チーム勝ち頭の石川雅規に並ぶ6勝目を手にした。「守備でいいプレーがいっぱいあった。バックを信頼して打たせていきました」。 
 決して順調な幕開けではなかった。
 2008(平成20)年3月16日(日)の楽天とのオープン戦(神宮)では4回を投げ7安打5失点と乱れた直後に右肩違和感を発症。検査では異常は認められなかったが、開幕には間に合わなかった。 
 ファームでの2度の調整登板を経て、一軍に復帰したのは
 2008(平成20)年4月16日(水)の横浜戦(神宮)。
‡2008(平成20)年5月01日(木)の阪神戦(甲子園)で今季初勝利を挙げて波に乗ると、そこから自身初の6連勝と十分に出遅れを取り戻す活躍を見せている。 
「野手が点を取ってリズムをつくってくれている。たまたま僕に勝ちがついているだけですよ」 
 本人は謙遜するが、いい流れは自ら作り出している。前年までより投球間隔を短くし、テンポのいい投球を実践。荒木大輔コーチは「テンポのこともあるけど、直球がしっかりしている。コントロールも球威も」と分析した。 
 これは9年前のニュースではあるが、館山、石川ともいまだ現役。1学年上の石川は、今季3勝2敗をマークしている。世代のリーダー、松坂大輔(中日)も復活。不屈の男・館山にも、もう一花を期待しよう
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④┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2001(平成13)年05月01日(火) 大阪ドームで日本ハムが究極の“スミ1”
‡2019(令和元)年05月01日(水) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2001年5月1日だ。 
 写真◆初回先頭打者初球ホームランを放った井出(左)
 大阪ドームで行われた近鉄対日本ハム戦、1回表、先頭打者で打席に入ったのは井出竜也だった。高村祐が投じた初球、井出は見事にとらえると打球はバックスクリーンに飛び込んだ。その後、日本ハム先発の金村曉と高村の投げ合いが続き、ゼロ行進。終わってみれば、井出の一発が両チーム通じて唯一の得点だった。 
 初回、先頭打者の本塁打による1対0の勝利は1959年4月15日国鉄戦での町田行彦(国鉄)、69年5月29日中日戦での重松省三(大洋)、76年9月22日ロッテ戦での藤原満(南海)、99年8月14日日本ハム戦での大友進(西武)に続いてプロ野球史上5度目。ただ、藤原、大友は5球目、藤原は4球目、重松は3球目。初球を本塁打したのは井出が初めてであった。 
 井出は「エッ? 史上初なんですか」と驚きの表情を見せていた。
 https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170501-02
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180501-11
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180611-01
④https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190501-10
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.164 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
 1961(昭和36)年5月22日(月)号 プロ野球長者番付
 2018(平成30)年4月09日(月) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎『モタつく大毎と新球場の内幕』
 写真◆表紙は東映・水原茂監督
 今回は『1961年5月22日(月)号』。定価は30円だ。『フラッシュ』に「プロ野球長者番付」があったので紹介しよう。いまのように推定金額ではない。2006年限りで廃止されたので、若い読者は知らないかもしれないが、かつては税務署が発表していた資料があったのだ。 
‡1961(昭和36)年5月01日(月)に発表された球界のベスト10は以下だ。 
 01位 金田正一(国鉄)2070万円  
 02位 堀本律雄(巨人)1387万円 
 03位 三原脩 (大洋)1165万円 
 04位 木次文夫(巨人)1030万円 
 05位 佐々木勲(巨人)1014万円 
 06位 黒木基康(大洋) 981万円 
 07位 野口元三(巨人) 974万円 
 08位 西山弘二(広島) 973万円 
 09位 井上善夫(西鉄) 948万円 
 10位 杉町攻 (西鉄) 889万円 
 これは課税申告額であり、実収入では1位の金田は3000万円、2位の堀本が2000万円ほどらしい。巨人・長嶋茂雄の名前もなく、無名の選手の名前が多い。 
 金田、三原以外、実はすべて新人選手なのだ。当時入団時の契約金がいかに高騰していたかが分かるだろう。さらにいえば、金田も10年選手のボーナス、三原は大洋への移籍料が上乗せされていた。基本年俸だけで考えれば、金田で2000万円程度、ほかはトップ選手でも1000万円には行っていないという感じか。 
 物価の定義、比較は難しいが、いまの10分の1ほどと考えれば、なんとなく、なるほどと思える額だ。 
『モタつく大毎と新球場の内幕』では、大毎の永田雅一オーナーが言い続けている新球場についてだ。候補地は3つに絞られたようだが、土地買収が片付いていないらしい。いまは深川にある東京ガスグラウンドが最有力候補らしい。本業・大映の映画産業は苦戦しているようだが、この人の攻めの姿勢は変わらない。 
 5月上旬、セの首位に立っていたのが、国鉄。その中で打率のリーグトップに立っているのが、二塁手の土屋正孝だった。『国鉄旋風の眼、土屋正孝』という記事もあったが、川上哲治監督との確執もあって巨人を追われた移籍1年目の男だ。守備面では、他の内野手に指示を出すリーダーシップも目立った。 
 ただ、聞くと、 
「僕の場合は巨人でも変わらなかったよ。(三塁の)長嶋や王(貞治。一塁)、広岡(達朗。遊撃)などファイトマンがいたけど、結局守備を深くしろ浅くしろの指示は、僕が言ってたけどな。王や長嶋のほうが名声があるので、僕が目立たなかっただけだよ」 
 プライドが高い選手だったようだ。 
 以下、宣伝。週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』が好評発売中です。 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.161 ┃  30円
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‡1961(昭和36)年5月01日(月)号 特集 三原に挑戦した川上
 2018(平成30)年4月06日(金) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎『監督さん僕が悪かった』
 写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄
 今回は『1961年5月1日号』。定価は30円だ。グラビアではワシントンのグリフィス球場で若きケネディ大統領の始球式シーンがあった。ご存じのとおりスタンドから投げ込むスタイルだ。 
 本文巻頭は『三原を驚かせた川上の斬り込み』。4月16日のダブルヘッダー(川崎)、川上哲治新監督に巨人と前年日本一、三原脩監督の大洋が今季初対決。巨人が連勝を飾った。川上監督の作戦は堅実と当時から評価があったようだが、長嶋茂雄と、決して足の速くない王貞治の重盗や、その後、長嶋への本盗サインと、意外と思い切った策をとっていたようだ。 
『監督さん僕が悪かった』では、試合に姿を見せなかった東映の捕手・山本八郎の話だ。「またケンカをやらかしたらしい」とウワサが飛んだが、実は練習を無断で欠席した山本に水原茂監督がベンチ入りを許可しなかったらしい。山本は後日、水原の自宅に行き、謝罪。復帰が許された。山本は、大川博社長のお気に入りで、それまではかなりわがままに振る舞っていたが、水原は許さなかった。 
『12球団週間報告』の国鉄編では「待望の応援団誕生」とあった。いままで甲子園球場では関西地区の国鉄職員による応援があったようだが、本拠地の後楽園をはじめ関東では笛すら鳴らぬ状態だったという。このたびは東京地区国鉄職員の有志が集まり、結成の運びとなった。 
 国労財政部長の中川さんは、 
「闘争は闘争、野球は野球。スワローズの応援については、あくまで割り切って労使協調でいきますよ」 
 と語っていた。当時の国鉄は過激な組合運動で有名で、3月にはストがあったらしい。  
 近鉄のエース格の投手ミケンズの来日が遅れ「わがまま」と批判を浴びていた記事もあった。近鉄の同年初勝利は、もう一人の助っ人、ボトラだ。捕手として来日し、2年目から投手をしている変わり種。大の親日家で、「嫁にするなら日本の女性のほうがおしとやかでいい」そうだ。副業のボトラ商会も好調らしい。 
 以下、宣伝。
 週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』が好評発売中です。 
 では、またあした。<次回に続く>
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.466 ┃  60円
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‡1967(昭和42)年05月01日(月)号 超大物助っ人スチュアート来日
 2019(令和元)年05月23日(木) 11:49  昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎座頭市の始球式
 写真◆表紙は巨人・柴田勲
 今回は『1967年4月30日号』。定価は60円。 
 1967年4月、日本列島は長雨で湿っていた。 
 4月16日、開幕から8日が経ったが、雨にたたられ、巨人はまだ2試合しか消化できず、しかも連敗。長嶋茂雄はいまだノーヒットだった。 
 ただ、打線は実力者ぞろい。本人たちも周囲も「いつか打つだろう」という雰囲気だったが、不安視されたのが、オープン戦からパッとしない投手陣だった。 
 前年限りで大洋コーチを辞めた別所毅彦(当時解説者)は“逆ベロビーチ効果”だという。確かに、向こうの指導者から秘密兵器のように伝授されたチェンジアップがあまり効果を上げていないようだ。 
 別所の話はもっともではある。  
「向こうの投手は力任せに投げてくる。バッターもそれに負けないために速球に的を絞っているから時々ゆるい球を投げると効果がある。ゆるい変化球主体の投手が使っても思ったように効果が上がらないのは当然。もともとストライクを取る球じゃないから見送られたら終わりさ」 
 ストレートなくして変化球はなしか。 
 大洋がメジャー通算227本塁打、元ドジャースのスチュアートと契約を交わしたことも話題になっていた。あの三原脩監督が「ほんとうの話なんですかね。気がついてみたら夢だったなんてことはないでしょうね」と声を弾ませた超大物だ。 
 ドジャースとの契約がもつれ、知り合いを通じ、日本球界に売り込んだのはスチュアート自身だった。最初は南海と交渉するも2万5000ドルの条件が安すぎると決裂。そのあと東京と東映も動いたが、2球団のオーナーが知己のドジャースのオマリー会長から「性格に問題がある」と聞き、撤退。最後、大洋が3万ドルで契約した。 
 なおスチュアートは大洋に「400打席以上の出場でホームラン30本以上なら2500ドル、90打点以上ならさらに1500ドル」と条件をつけたうえで、契約を結んだ。 
 初登板初完封となったのが、東映の高橋善正だ。4月12日、後楽園での東京戦。しかも13回を1人で投げ抜き、被安打は2。鋭いシュートが武器のサイドハンド投手だった。ヒジ痛を抱え、シュートの投げすぎのように言われることもあったが、本人は、 
「ヒジを痛めてから、そこが痛くないように投げたのがシュート」 
 と話している。 
 14日には、この年の東京球場開場となる東京─西鉄戦があったが、セレモニーが豪華だ。100発の仕掛け花火のあと、消防庁、米陸軍の合同演奏行進。両監督への花束贈呈は女優の江波杏子、滝瑛子が行い、始球式は座頭市姿の勝新太郎。片肌脱いで球を投じた。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
 https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180409-11
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180406-12
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190523-01
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
 ┃ プロ野球仰天伝説 No.129 ┃ ONLINE
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 新人・原辰徳が驚いた江川卓流のイメチェン術
‡2018(平成30)年5月1日(火) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 原の入団で劇的変化
 左から原、江川
 1979(昭和54)年、大騒動の末、巨人入りした江川卓。マスコミを敵にし、チームメートからも距離を置かれる存在だった。それが劇的に変わったのが81年、大学時代から仲の良かった原辰徳が入団してからだ。自主トレでは2人で高校生のようにじゃれ合い、ふだんから笑顔が増え、話もジョークが次々と出るようになった。 
「江川さんに、お前はかわいそうだな、とよく言われていましたね。自分はマイナスからのスタートでイメージが悪かったから、いまちょっと笑っただけで『江川が笑った』と騒いでくれる。お前はそうはいかないだろうからなって」(原) 
 ある意味、自分の立ち位置を悲しいくらい正確に理解していたことが分かる。球宴8連続奪三振の後、最後にカーブを投げたり、1本のホームランで引退を決めたりと、このあまりの聡明さが江川の強さであり、弱さであったのかもしれない。
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180501-12
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB