‡第⑧位 124.0万枚 1994.12.12 ♪everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-♪
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┃今日は何の日?┃
┗━━━━━━━┛名称、肩書き、年齢などは当時のものですヨ(=^◇^=)
‡1979(昭和54)年12月12日(水) リニアモーターカー、世界で初めて時速500キロ超える ⇒ 国鉄の宮崎浮上式鉄道実験センターで、リニアモーターカーが無人走行では世界で初めて時速500キロを超え、504キロを記録した。
1979(昭和54)年12月21日(金) 9日後には517キロを達成し、記録を塗り替えた。写真は、時速504キロの走行に成功した国鉄のリニアモーターカーML500【時事通信社】※2021(令和三)年説明追加
‡2013(平成25)年12月12日(木) 北朝鮮、張成沢氏を死刑に ⇒ 北朝鮮は公職追放された張成沢氏に死刑判決を下し、即日執行した。金正恩第1書記の義理の叔父で実力者だったが、「派閥を形成するために動いた」などとして全職務を解任されていた。北朝鮮指導者が親類を政権から排除することはあったが、処刑は異例。写真は連行される張氏。韓国のテレビで放送された【AFP時事】※2021(令和三)年説明削除
‡1961(昭和36)年12月12日(火) 世界初のアマチュア衛星「オスカー1号」打ち上げ
‡1980(昭和55)年12月12日(金) 免田事件で死刑囚に初の再審が決定。1983(昭和58)年に無罪判決 ※2019(令和元)年記事消滅
「ペヤング」ゴキブリ騒動 ペヤングに混入していたゴキブリに付着した油と、製造に使用する油が一致
「ペヤング」ゴキブリ騒動でついに全工場での生産自粛、全商品の販売休止を発表しました。初期対応も悪く、元従業員などからの告発も相次ぎ、ブラック企業ぶりまでばれてしまい、とどめにペヤングに混入していたゴキブリに付着した油と、製造に使用する油が一致と確定しました。
‡2014(平成26)年12月12日(金) 更新日
まるか食品によると外部機関からの報告をもとに検証を行った結果、虫に付着していた油が麺を揚げる油と一致したため製造過程での混入の可能性を否定できなかったという。「ペヤング」虫混入問題・全商品を販売休止・回収へ(TBSテレビ[Nスタ])
2014(平成26)年12月11日(木) 同社は11日、全国で販売しているペヤングブランド25種類の生産と販売を休止し回収を始めたが、外部機関が行った「カタラーゼ試験」と呼ばれる検査で、加熱処理されていないゴキブリだと出るはずの化学反応が確認されなかったことが判明。同社担当者は産経新聞の取材に「反応は出ていない」と述べ、ゴキブリが加熱処理されていたことを認めた。ペヤング「混入の原因不明」虫に加熱された跡(産経新聞)
インスタントカップやきそば「ペヤング」にゴキブリとみられる異物が混入していた問題で、製造・販売元のまるか食品(群馬県伊勢崎市)は12月11日、「製造過程での混入の可能性は否定できない」として、当面の間、全工場(本社工場、赤堀工場)での生産自粛と、全商品の販売休止をすることを発表した。■「ペヤング」ゴキブリ騒動…全工場での生産自粛、全商品の販売休止を発表 - ライブドアニュース
2014(平成26)年12月02日(火) この問題をめぐっては、12月2日夜、ツイッターにゴキブリとみられる異物が混入している画像が投稿され、ネットで大きな話題になった。■出典「ペヤング」ゴキブリ騒動…全工場での生産自粛、全商品の販売休止を発表 - ライブドアニュース
2014(平成26)年12月04日(木) 同社は12月4日、異物が混入した商品と同じラインで製造された「ペヤング ハーフ&ハーフ激辛やきそば」と「ペヤング ハーフ&ハーフカレーやきそば」の2種類、計約5万食の自主回収を発表していた。■出典「ペヤング」ゴキブリ騒動…全工場での生産自粛、全商品の販売休止を発表 - ライブドアニュース
▼一時まるか食品の公式ページはメンテナンス中となった
https://matome.naver.jp/odai/2141827260281960701
「昭和の通勤電車」今では信じられない地獄絵図
「失神者」や「ガラスの破損」は日常茶飯事
2019(平成31)年02月19日(火) 5:00 服部淳:コラムニスト
写真◆昭和の通勤ラッシュは「地獄」とまで言われていた(写真は1962(昭和37)年のものです=写真:Everett Collection/アフロ)
「タクシーは乱暴運転が当たり前」「自分の血液が売り物になった」など、昭和の時代は今では信じられない常識が多くありました。昭和の「通勤ラッシュ」もその1つ。今よりもはるかに混雑していた通勤ラッシュの実情について、コラムニストの服部淳氏が解説します。この原稿を執筆中に、2017(平成29)年度の都市部の鉄道混雑率が国土交通省より発表された。それによると、東京圏の混雑率は163%まで下がったそうだ。この混雑率とは、ピーク時(ラッシュアワー)1時間平均の混雑度の割合で、現在のところ、ほぼ目視で測定しているらしい。目安としては、混雑率100%が、座ることができない人もいるが、他人に触れることなく乗っていられる状態のようで、150%になると「広げて楽に新聞を読める」状態(最近は新聞を読んでいる人の姿もぐっと少なくなっているので、新たな基準が必要かもしれない)、200%が「体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める」状態、250%になると「電車がゆれるたびに体が斜めになって身動きができず、手も動かせない」状態とのことだ(混雑率100%以外は国土交通省の資料より)。
■「通勤地獄はマンガだ」東京で通勤、通学していて混雑路線を利用しているなら、毎朝200%から250%の状態だよ、とケチもつけたくなるが、あくまでも東京圏主要31区間の平均であり、混雑する車両から比較的空いている車両までの平均であり、混雑する急行や快速列車と、若干空いている各駅停車との平均でもある。この調査が始まった1975(昭和50)年度の混雑率を見ると、東京圏で223%となっているので、それでも東京近郊の通勤ラッシュはだいぶ緩和されているのである。さらに調査開始以前の昭和30年代から40年代後半の高度経済成長期には、通勤ラッシュの混雑率は300%を超えていたともいう。混雑率300%超えとは、いったいどれだけの混雑なのだろうか。当時の新聞を調べてみると、
1965(昭和40)年06月07日(月)の読売新聞夕刊に“通勤地獄はマンガだ”というセンセーショナルな見出しが紙面を飾っていた。東京の新宿駅のあまりにもひどい朝のラッシュを、運輸省(現・国土交通省)の大臣が視察したというニュースなのだが、この大臣が視察後の会見で述べた「あえて“マンガ”だといおう。すさまじいマンガだ」が、この見出しのもととなっている。
→次ページ「地獄」とまで言われた当時のラッシュ
https://toyokeizai.net/articles/-/265054
添えられた写真には、4、5人の駅係員(いわゆる「押し屋」)が乗客を中央線の上り列車に押し込んでいる様子を運輸大臣が視察する姿を捉えている。
■毎日1人は失神する通勤地獄 ⇒ その視察が混雑をさらにひどくしているのではないだろうかとも思えるが、押し込まれている人は、まるで拷問でも受けているような悲痛の表情だ。この日は2人の女性が失神したそうだが、駅員の話によると毎日1人は失神するのだとか。
1965(昭和40)年06月07日(月)の読売新聞夕刊より写真◆朝の通勤ラッシュのひどさを伝える新聞記事
日本国有鉄道(国鉄、現・JRグループ)の通勤電車に冷房車が登場したのは1970(昭和45)年なので、当然クーラーはない。この混雑に梅雨入り前の蒸し暑さが加われば、そりゃ失神する人も頻発するだろう。だが、単純に混雑だけでいえば、この視察があった6月より、乗客が厚着して“着ぶくれ”になる冬場のほうがひどくなる。視察以前の冬の新聞を探ってみると、
‡1963(昭和38)年12月12日(木)には、国鉄常磐線の松戸駅で〈ギュウ詰めの乗客のゆり返しでガラスが破れた〉(同日付の朝日新聞夕刊より)という事故が、翌
1964(昭和39)年01月11日(土)には、国鉄中央線において1本故障が出たためにダイヤが大幅に乱れ大混雑、〈新宿駅では、電車のガラス五枚が割れ、電車のドアが七カ所もはずれる〉(同日付の朝日新聞夕刊より)という事故が起きていた。当時のガラスは現在のものより強度がなかったので、ラッシュで割れることもたびたびあり、ドアもよく壊れた。ケガの恐れもあるし、混みすぎてキツイというだけではすまなかったのだ。電車に押し込まれた際に靴が脱げてしまう人も多かったようで、国鉄ではサンダルの貸し出しも行っていたり、新橋駅ではラッシュでちぎれたボタンをつける商売をする店も出現したりした。いずれもこの時代の通勤地獄を物語るエピソードである。
→次ページ「混雑率ワーストの区間」はどこ?
https://toyokeizai.net/articles/-/265054?page=2
再び国土交通省の鉄道混雑率の調査に戻ろう。全体の混雑率のほかにも混雑率が高い11の区間が紹介されていた。見事(?)ワーストに輝いたのは、すっかり常連となっている東京地下鉄(東京メトロ)東西線の木場駅から門前仲町駅に向かう区間で、1時間平均の混雑率は199%だった。東京のベッドタウンである千葉県船橋市から、集合住宅も多い東京都江戸川区を経て、オフィスビルが林立する大手町方面を結ぶ混雑必至の路線なので(東京圏在住者なら特に)納得の順位である。
■地道に改善されていった混雑事情 ⇒ 全体の混雑率が下がってきた現代に、199%もの混雑率である東西線だが、ラッシュがさらにひどかった時代には、どんな恐ろしい状態だったのだろうか。新聞をさかのぼっていくと、
1966(昭和41)年10月12日(水)の朝日新聞(東京版)に、東西線に関するこんな意外な見出しが載っていた。「相変らずガラ空き?都心乗入れの地下鉄東西線」。見出しの上にはガラガラの車内の写真が掲載されていて、新聞には〈中野駅で
1966(昭和41)年10月11日(火)午前10時うつす〉と撮影時間が併記されている。当該新聞の発行日は水曜なので、撮影日は平日の午前中ということになる。通勤ピークは過ぎているとはいえ、1人も座っていないロングシート(横向きの長椅子)があるというのは、都心の平日の日中にはまず見ない光景だ(始発駅なので、発車までまだ時間があったのかもしれないが)。実は地下鉄東西線は、この記事の2年前になる1964年に高田馬場駅と九段下駅の間で開業した新路線で、
1966(昭和41)年03月に中野駅と高田馬場駅間、九段下駅と竹橋駅間が開業。この記事の11日前に竹橋駅と大手町駅間が開業したばかりのときだった。中野から大手町(東京駅とほぼ同位置)を結ぶ路線でしかないため、国鉄中央線とルートはさほど変わらず、利用メリットがまだ少なかったころだったのだ。その後、1967(昭和42)年に東陽町駅まで延伸、
1969(昭和44)年03月に東陽町駅と西船橋駅(千葉県)間が開業し、現在のような利用価値の高い(混雑しやすい)路線へと成長していったのだった。このような地下鉄を中心とした新路線が次々と開業し、地下鉄と私鉄の相互乗り入れや、路線の複線化などさまざまな策が施され、東京圏をはじめとする混雑は地道に緩和されていったのである。
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https://toyokeizai.net/articles/-/265054?page=3
101日後に炎上したワニ 「電通案件」否定、作者は涙の釈明
2020(令和二)年03月21日(土) 21:10 配信 朝日新聞デジタル
2020(令和二)年03月22日(日) 06:45 最終更新
『100日後に死ぬワニ』の作者きくちゆうきさんのツイッターで告知された商業展開の案内に対し、ネット上では反発の声が上がった
インターネット上で大きな話題を集めた「100日後に死ぬワニ」。
2020(令和二)年03月20日(金・祝)に運命の100日目を迎えて完結したが、感動の嵐から一転、批判が噴出して炎上状態に。21日には作者が涙ながらにネット上のうわさを否定した。いったい何が起こったのか。
【画像】「100日後に死ぬワニ」結末に大反響 識者はどうみる
『100日後に死ぬワニ』は、漫画家でイラストレーターのきくちゆうきさんが昨年
‡2019(令和元)年12月12日(木)から自身のツイッターで連載を始めた4コマ漫画。主人公のワニのほのぼのとした日常を描きながら、漫画の末尾では「死まであと○日」とカウントダウンが進むギャップで反響が広がり、きくちさんのツイッターのフォロワーは増え続けて200万人を突破した。100日目を迎えた
2020(令和二)年03月20日(金・祝)夜に完結し、「マジ泣けた」「最後まで素敵なワニでした。ありがとう」などと感想が飛び交ったが、完結と前後して発表された告知が批判を集めた。
■「電通案件」否定、作者は涙の釈明
書籍化決定、映画化決定、グッズ販売やイベント開催も、といった内容。個人のツイッターアカウントから始まった漫画の大がかりな展開に、全ては広告会社が裏で仕組んでいたのではという見方が広がり、21日には「電通案件」という言葉がツイッターでトレンド入り。「ワニはステマ(ステルスマーケティング)」「怒濤(どとう)のメディア展開されると冷めた目で見てしまう」と、感動から一転して否定的な意見が次々に投稿された。
批判を受けて21日昼にとのコラボムービーを手がけた歌手いきものがかりの水野良樹さんが、ツイッターで作者のきくちさんとの対談動画を配信。水野さんは「電通案件とか言われるけど、電通さんは絡んでないです」とうわさを否定。きくちさんは「僕が個人的に始めたことに色んな人が共感してくれて盛り上げてくれたことに感謝しかない。裏で大きな組織が動いているんだろうと言われると、悲しいし申し訳ないと思う」と涙ながらに語った。作品連載を始めたのは、友人が事故死した経験から「何があるか分からない中で、限りある時間を大切にしてほしいとのメッセージを伝えたい」との思いだったという。
んー、でも一気にビジネス色出したのは失敗だったよね。いきものがかりとのコラボや用意周到なグッズ展開を見て興醒めした人が相当数いる以上、マーケティング的には失敗だわ。
◎せっかくの話題のコンテンツが広告の仕方で、台無しになる例になってしまいましたね。ネット上で読者も含めて、徐々に話題になった参加型に近いものでしたので、今回の一連の商業展開は広告代理店主導が事実かは分かりませんが、読者からすれば初めからいいように操られたと感じたのかも。
◎いろいろ考えさせる素晴らしい作品だと思った。
◎書籍化もグッズ販売も、素晴らしい作品を創出した作者への対価として良いと思った。本が出たら買いたいとも思った。だけど、昨夜の8時2分以降の急激なビジネス展開には、嫌気が差した。歌を売るための巧妙なステマだったのかと疑問を禁じ得ない。すっかり興醒めです。
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ディズニー休園でキャスト「手取り月5万円、生活ムリ」
独学4年で英語ペラペラ、タクシー運転手の最強勉強法
大阪と兵庫「道一本やん、あほらし」 往来自粛は突然に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00000046-asahi-soci
テイクアウトでお得第二弾 !吉野家イチオシの牛皿にお得な「3人前」 と「4人前」 がスタート
‡2018(平成30)年12月12日(水) プレスリリース
株式会社吉野家(本社:東京都中央区 代表取締役社長:河村 泰貴)は、
2018(平成30)年12月17日(月) 10 時から、お得な牛皿ファミリーパックを販売します。
牛皿ファミリーパックは、牛皿並盛が3皿分入った3人前と4皿分入った4人前とボリュームたっぷり。
牛皿3人前は通常価格 990 円のところ「牛皿ファミリーパック3人前」では 210 円お得な 780 円、牛皿4人前は通常価格 1,320 円のところ「牛皿ファミリーパック4人前」では 980 円と 340 円もお得になっておりますので、これからの年末年始の人が集まるシーズンにぴったりの商品です。
https://www.yoshinoya.com/news/2018/テイクアウトでお得第二弾-%EF%BC%81吉野家イチオシの牛/
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1995(平成七)年12月12日(火) 高木大成が清原以来の単独入団会見
‡2017(平成29)年12月12日(火) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月12日だ。
写真◆ドラフト時、慶大での1枚
‡1995(平成七)年12月12日(火)、ドラフト1位の慶大・高木大成捕手が契約金1億円、年俸1200万円(いずれも推定)で西武と正式契約。その後、西武では清原和博以来10年ぶりとなる単独での入団会見を行った。学生服の上にユニフォームを着て西武球場でポーズを取り、オーロラビジョンには「めざせ新人王」の文字が浮かぶ。
「これまでは実感がわきませんでしたが、契約書にサインしてようやくプロ野球人生を歩んでいくんだな、と身の引き締まるような思いになりました。少年野球をやっている子どもたちが目標にするような選手を目指します」
慶大時代から強打の捕手として鳴らすも、西武には絶対的捕手の伊東勤がいた。球団内でも打力を生かし、外野にコンバートという声もあったようだが、2年目を迎える東尾修監督の鶴の一声で、捕手一本が決まった。
当時の西武は過渡期の終盤にあった。清原和博、秋山幸二、辻発彦ら黄金時代の主役はもうほとんどいなくなった。甘いマスクで女性ファンが多い高木への期待はグラウンド以外の部分でも高かった。
選手登録名を「大成」か「タイセー」にという東尾監督の発言もあったようだが、これに「実績を残してから」と高木も戸惑い気味だった。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1996(平成八)年12月12日(木) 日本ハム・落合博満が誕生
‡2018(平成30)年12月12日(水) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1996年12月12日だ。
写真◆日本ハム入団会見の落合(左は大社オーナー、右は上田監督)
「長嶋監督を胴上げしなければ末代までの恥になる」
93年オフ、誕生したばかりのFA制度を使って、中日から巨人へ移籍した落合博満はそう固く誓った。40歳を超えていたが、四番として奮闘。言葉どおり、94年、96年と2度、チームをリーグ優勝に導いた。
しかし、96年オフ、巨人は一塁のポジションがかぶる清原和博をFAで西武から迎え入れた。「清原と私の起用で悩む長嶋監督の顔を見たくない」。落合は自由契約となり、新天地を求めた。希代のスラッガーの獲得にヤクルト、日本ハムが名乗りを上げたが、落合が選んだのは日本ハムだった。
96年12月12日、都内のホテルで2年、年俸3億円(推定)で正式契約。契約後には大社義規オーナーも同席して、入団発表が行われた。
「これで4回目の入団発表の席だが、オーナーと同席は初めて。期待の大きさを感じる」と落合は表情を緩めた。
「落合君のような“生きた見本”“生きた教材”が若手の成長を促すと信じている。伸び盛りの選手がウチには多い。落合君のようなバッターに直接接することで田中幸雄や片岡篤史らもひと皮もふた皮もむけるはずや」と落合加入によるプラス効果を上田利治監督は、そうほくそ笑んだ。
https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171212-11
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181212-12
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┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.446 ┃ 60円
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‡1966(昭和41)年12月12日(月)号 広島・森永勝也の引退騒動
2019(平成31)年04月22日(月) 17:11 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎そろばん勘定で高倉放出
写真◆表紙は中日・江藤慎一
今回は『1966年12月12日号』。定価は60円だ。
1966年11月12日、西鉄の三番打者・高倉照幸の巨人放出が決まった。リーグ6位の.279はチーム最高打率でもあり、周囲からは「なぜ」の声が上がった。
「捕手がどうしてもほしい」という中西太監督が巨人の宮寺勝利に白羽の矢を立て、巨人側から「高倉以外とは交換できない」と言われたというが、これはにわかには信じがたい。
宮寺は66年16試合の出場。確かに東洋大時代の強打から高い潜在能力は評価されていたが、高倉の1対1の交換要員とは思えない。
要は高倉のトレードマネー狙い、実質的には金銭トレードだったと思われる。
結局、巨人に足元を見られ、銭勘定としては宮寺プラス500万円程度だったらしいが、西鉄は高倉に14年選手のボーナスを支払わなければならず、それが浮くだけでも随分助かったらしい。
これは巨人側からすれば、有名な川上哲治監督の「五番打者漁り」であるが、高倉のほか広島の森永勝也獲得にも動き、こちらは中継ぎの宮本洋二郎との交換トレードが決まったが、森永が拒否し、引退の意思を明らかにしていた。
これは広島に住む家族を置いての単身赴任への不安や、66年わずか2勝の宮本の交換ということで、自分の評価もその程度なのか、とプライドが傷つけられたこともあった。
さらにいえば、巨人の外野には柴田勲、国松彰がでんと構え、そこに移籍の高倉、若手の末次民夫がいた。自分の居場所があるのか、という思いもあったようだ。
では、またあした。本日は遅くなりすいません。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
https://www.uta-net.com/song/78844
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190422-01
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
池田大作の本性について
2012(平成24)年07月15日(日)
6.「慢心」のかたまり ⇒ 私は最側近にいて、彼が「どうだ、私はすごいだろう」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
と聞いたことがあります。「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ、30年前の『人間革命』など書けるわけがない」(『人間革命』は故・篠原善太郎氏の代作)・・・
こうした慢心は著名人にも及んでいます。「中曽根康弘(元総理)はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネディ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーもいっていた」
こうした池田発言を受けて、「聖教新聞」では「世界の偉人に並ぶ」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタイン等の人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全部そなえた「偉人」として奉っているのです。
第67世日顕上人は、御登座以来、「十四誹謗」「1にきょう慢、2に懈怠、3に計我、4に浅識、5に著欲、6に不解、7に不信、8に顰蹙、9に疑惑、10に誹謗、11に軽善、12に憎善、13に嫉善、14に恨善」(松野殿御返事)
を通して、第一の「きょう慢」の恐しさをご指南あそばされていました。御隠尊日顕上人は、27年間の長きにわたって御法主上人の重責を担われ、
■2005(平成17)年12月12日(月)に日如上人に「唯授一人の血脈」をご相承あそばされました。
その日顕上人が最も憂えられたのが、池田大作の「きょう慢」謗法でした。正本堂にしても「御遺命の戒壇を私が達成した」とし、自分が大聖人さえできなかったことをやりとげた、自分は大聖人の「再誕」もしくはそれ以上の存在であると誇示していましたが、これこそきょう慢謗法の最たるものです。
http://www.youtube.com/watch?v=oyzJ7yo2aTg
