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過去の今日、『太陽にほえろ!』のどのエピソードが放送されたかを後悔なく公開するブログでしたが、
2023(令和五)年2月2日(木)曜日に突然、きまぐれに気が変わってしまい変更しました土佐ヨ(=^◇^=) 
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「デブの田舎者」心ない誹謗中傷に囚われ続けた
 カレン・カーペンター…天使の歌声と命を奪った“心の闇”
‡2024(令和六)年02月04日(日) 集英社オンライン
 ♪イエスタデイ・ワンス・モア♪♪トップ・オブ・ザ・ワールド♪など、誰しもが聞いたことのある名曲を生み出した兄妹ポップスデュオのカーペーンターズ。珠玉の歌声を持つ妹のカレン・カーペンターは今から41年前の2月4日、32歳という若さでこの世を去ったが、彼女にいったい何があったのか。(サムネイル/2009年4月22日発売『カーペンターズ 40/40 ~ベスト・セレクション [SHM-CD]』(ユニバーサル ミュージック合同会社)「野暮ったい」という理由から、レコード会社に相手にされなかったのちに「カーペンターズ」を結成することになる兄リチャード・カーペンターと妹カレン・カーペンター。二人が最初に注目を集めたのは、1966年のことだった。学校に通いながらリチャード・カーペンター・トリオとして活動。この年にハリウッド・ボウルで開催されたアマチュア・コンテストに出場すると、巧みな演奏技術とアレンジの素晴らしさから、圧倒的な評価を集めて優勝したのだ。同年、大学の友人らを加えて6人組のバンド、スペクトラムを結成。自分たちの音楽に自信を持っていたリチャードとカレンは、レコード会社と契約してデビューすることはもちろん、ラジオから流れてくるようなヒット曲を作り、プロのミュージシャンとして成功を収めることを信じて疑わなかった。しかし、ここから彼らは不遇の時代を送ることになる。いくつものレコード会社にデモテープを送るも、どこからも相手にされなかったのである。当時のアメリカではロックやフォークが若い世代の人気を集めており、ポップスの売上は低下しつつあった。さらに二人の住んでいたカリフォルニアではヒッピーによるムーブメントが起こっていて、サイケデリックな音楽が最新のカルチャーとして発信されていた。そうした時代の変化の中で、スペクトラムの音楽は評価されながらも、野暮ったくて今の時代には売れないと判断されてしまったのである。
■念願叶って「カーペンターズ」が誕生■ラジオから自分たちよりも演奏の未熟なバンドの音楽が聴こえてくるたびに、どうして自分たちの音楽は認められないのかと、リチャードとカレンは不満を募らせた。それでも彼らは今の自分たちの音楽のままで成功するはずだと信じ、ライブハウスを回るなど熱心に活動する。しかし、状況が進展することのないまま1年以上が過ぎ、スペクトラムはとうとう解散してしまう。そんな1968年の初夏。残されたリチャードとカレンのもとに、ある情報が入ってきた。新しく始まったテレビ番組『ユア・オール・アメリカン・カレッジ・ショー』が、あちこちの大学キャンパスでオーディションを開催しているというのだ。
 2000(平成12)年09月27日(水)発売の『ヴォイス・オブ・ザ・ハート』ユニバーサル ミュージック合同会社
 1983(昭和58)年01月01日(土)発売のオリジナルのジャケ写。カレンが亡くなった後、1983年に兄のリチャードが残されたカレンのヴォーカルをもとにアルバムとして完成させたもの(c)集英社オンライン 提供全国ネットのオーディション番組への挑戦は、自分たちの音楽が普遍的な魅力を持ち、商業的にも価値のあるものだということを証明し、そして多くの人たちに知ってもらう、またとない機会だった。
 1968(昭和43)年06月22日(土)、二人は初めてのテレビ出演を果たした。演奏レベルの高さもさることながら、巧みにドラムを叩きながら歌うカレンの姿には、レコードでは伝えられない新鮮さがあった。二人は見事にオーディションを勝ち抜き、その後も何度か番組に出演した。そして翌1969年。A&Mレコードと契約を交わし、「カーペンターズ」が誕生したのだった。
■輝かしい活躍の舞台裏で抱えていた心の闇■
†1983(昭和58)年02月04日(金)、カレン・カーペンターが32歳でこの世を去った。彼女の歌声と命を奪ったのは、常に「自分は太っている」と考えてしまうことによる拒食症(神経性食欲不振症)だった。デビュー当初、普通よりほんの少しぽっちゃりしている程度だったカレンに対して、一部の人々が「デブの田舎者」などと心ない誹謗中傷をした。カレンはその言葉を聞き流すことができず、決して太っていたわけではないのに「もっと痩せれば愛されるようになるかもしれない」と考えるようになってしまった。輝かしい活躍の舞台裏では、常に人に見られる立場であること、芸能界という世界で女優やモデルと頻繁に会う機会があったこと、そして音楽メディアに書かれることなどを過剰に気にするようになり、カレンはその病状を悪化させていった。
 1980(昭和55)年、30歳の時に結婚するものの、生活は惨憺たるもので翌年には別居。カレンの病はますます悪化の一途を辿り、その痩せ細った身体と疲れ切った心は、カーペンターズの活動にも暗い影を落とすようになる。その後、治療を受けた甲斐もあり、約14kgも体重を戻したというが、急激な体重の増加は、長年の無理なダイエットですでに弱っていた心臓に大きな負担をかけていた……。今ではカーペンターズは永遠になった。『遙かなる影』『愛のプレリュード』『雨の日と月曜は』『スーパースター』『愛にさよならを』『イエスタデイ・ワンス・モア』『トップ・オブ・ザ・ワールド』『青春の輝き』などを耳にするたび、多くの人々がカレンのことを想い出す。
 ポール・マッカートニーは、カレンの歌声とカーペンターズの音楽についてこう賛美した。
「世界で最高の女声であり、旋律が美しく、豊かで、そして独特だ」文/TAP the POP
 参考文献『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(レイ・コールマン著/安藤由紀子・小林理子訳/ベネッセコーポレーション)

「デブの田舎者」心ない誹謗中傷に囚われ続けたカレン・カーペンター…天使の歌声と命を奪った“心の闇” (msn.com)

 

 

「バリカタ」注文はなぜNG? 博多のとんこつラーメン「魁龍」
 名物店主が熱弁する“麺の茹で方へのこだわり”
‡2024(令和六)年02月04日(日) マネーポストWEB
◆写真◆「とんこつラーメンは硬めで食べるもの」というのは思い込みに過ぎない?「魁龍」のラーメン (c)マネーポストWEB 提供
◆写真◆命釜で32年!こだわりの“どトンコツ”スープを作る店主の森山日出一氏。麺はやわらかめの「ずんだれ」がスープによく合う
 SNSや口コミサイトでの評価が気にされることの多い時代に、お構いなしで我が道をゆく飲食店もある。福岡空港にほど近い場所にある「博多 とんこつラーメン 魁龍本店」はそのひとつだ。濃厚なスープは「どトンコツ」のフレーズで知られ、熱烈なファンがいる一方、ネット上のレビューを見ると、アンチも少なくない。
 店に低評価をつける口コミを見ていくと、理由は「硬い麺」の注文を否定する店主の存在にあるようだ。
〈かた麺、バリカタ、ハリガネとか注文したら説教されます!!〉
〈バリカタ、粉おとしなどは本来の食べた方ではない、お好み焼きやタコ焼き、ホットケーキを生焼けで食べますか?っとウンチクが〉
〈おっさんの講釈も聞きたくない〉
 とんこつラーメンには硬めの細い麺というイメージがあるが、それを許さないポリシーが窺える。実際に同店を訪ねた。
「な~んが“バリカタ”か。あれは茹で時間が短いだけ。『とんこつラーメンは硬めで食べるもの』というのは思い込みなんですよ。世の中にはいろんなラーメンがあります。うちのスープに合うベストな茹で加減で食べていただきたいから、ついつい、お客さんに熱く語ってしまう」
 そう勢いよく話し始めたのは店主の森山日出一氏(64)。営業中の店内では大きな声で自説を披露しながら注文をさばく。その押しの強さがアンチを生んでいる面もありそうだが、森山氏は意に介さない様子だ。
「SNSには悪口もいっぱい並んでますが、店で私に直接言っていただければ、麺の茹で方がいかに重要か、たとえ『ウザイ』と言われてもきちんと説明させていただきます(笑)」
「ハリガネ」などの商品はありません
 同店では麺の茹で加減は「ずんだれ」が強く推奨されている。店内には「バリカタ、ハリガネ、コナオトシなどの商品はありません」と書かれた貼り紙が目立つ場所に掲示されている。森山氏が続ける。
「もちろん麺の硬さも注文に応じます。当店ではずんだれ、ふつう、硬めの3種類を用意しています。でも、やっぱりまずはずんだれをご賞味いただきたい」
 店名に「博多」とあるが、同店のラーメンは久留米風。麺はやわらかめの「ずんだれ」がベストになるのだという。
「博多ラーメンは28番(太さ1.1mm)か26番(同1.15mm)の細麺、久留米ラーメンはだいたい22番(同1.4mm)の中細麺を使います。魁龍の麺も22番です。工場に特別に注文して作ってもらっている。それぞれの麺に適した茹で方をすることで、旨味を引き出す。ずんだれは私が長年研究してたどり着いた硬さなんです。
 その味を知ったうえで、硬めの麺を食べると違いがよくわかる。味の差を知っていただくために、魁龍では3種類の茹で方を用意しているわけです。私だって、他店でラーメンを頂く時は、硬めを注文することがあります。その店のスープに合っていれば硬めもうまい。硬めの麺を全否定しているわけではないのです」
■32年ものの呼び戻しスープ■福岡県の久留米市はとんこつラーメンの発祥地と言われる。煮込んだタネスープに翌日の新しいスープを継ぎ足しながらさらに煮込む“呼び戻し”が特徴だ。森山氏はこう語る。
「開店以来32年間、ずっと呼び戻しを続けています。呼び戻しって簡単に言うけど、とても難しい技術です。うちのスープは3日前、2日前、1日前のタネスープをブレンドして煮込んでいます。それにより味がまろやかになる」厨房には4つの大きな鉄釜が並び、森山氏は“命釜”と呼んでいる。
「鉄釜は長時間煮込むのには向いているのですが、熱の伝導率がいいので焦げやすい。だから目が離せません。つきっきりで煮込み続ける。そうすることで魂のこもったスープが仕上がる」使う豚骨は豚の頭のみ。専用のスコップで力強く混ぜ、旨味を引き出す。命釜で32年間煮込まれたスープを森山氏は“どトンコツ”と呼ぶ。
「濃いスープという意味ではありません。根性に“ど”を付けて“ど根性”。トンコツに“ど”を付けて“どトンコツ”です。命をかけ、魂を込めたスープという意味です」このスープにいちばん合う麺が「ずんだれ」――というこだわりにつながるわけだ。
■亡くなった父の助言■森山氏は高校を卒業後、ショーパブやカラオケスナックなどを経営。31歳の時に一念発起して北九州の小倉区に魁龍をオープンさせることになった(2001年に現在の博多区に移転)。しかし、オープン直前になっても思った通りのスープができない。悩んでいた時に、久留米から父親が訪ねてきたという。
「父は若い頃、久留米でラーメン屋を営んでいたんですが、母方の両親に“水商売の男に娘はやれん”と言われ、結婚するためにやむなくサラリーマンになった。その父が、いくつかアドバイスをくれたんです」ただ、当時は素直に父親の助言を聞き入れられなかったという。
「僕も若かったですから、反発してね。喧嘩になった。でも、父親が帰ってから、その言葉が心に染みてきたんです。麺のことや調味料のこと……」忘れられないのが、父に告げられた次の言葉だ。〈おい日出一、アクも味のうちなんぞ。全部きれいに取ってしまわんほうがいい場合もある〉――その指摘通り、アクを少し残して煮込んだところ、思っていた味のスープに仕上がった。
「32年前、
 1992(平成四)年04月06日(月)に魁龍をオープンしたのですが、
 1992(平成四)年07月xx日(X) 父はその年の7月に59歳で亡くなった。酒が好きな人でね、それが原因で内臓を悪くしていたんです」(森山氏)
 魁龍のスープ・麺にはこだわりと歴史が詰まっている。だからこそ、アンチに何を言われても揺らぐことがないのかもしれない。(了)
 「バリカタ」注文はなぜNG? 博多のとんこつラーメン「魁龍」名物店主が熱弁する“麺の茹で方へのこだわり” (msn.com)