こんばんは(^_^)
ぶつぶつサタデーナイトの時間です。

今日は、両親の納骨でした。 
雨女を発揮し、バケツをひっくり返したような雨の中の納骨で、ビショビショ☔️



自分たちのためにと生前から建てていたお墓に 
お骨を納めてきました。

10年以上誰も入っていないお墓なのです。

母親が亡くなった時、
お骨だけ千葉のお墓に入れたら、
お墓参りもなかなか行けずに大変かな?
お骨がそばにないと寂しいかな?と
当面は旭川のお寺で預かっていただき
父親が他界した時に一緒に連れて行くつもりでいました。

そして
今日がその日となったわけです。

旭川空港を出るときに
到着ロビー側を通ったのですが
10年半前に両親がバスケットに入った愛犬を連れて
旭川にやってきた姿を思い出し
しばらくの間、忙しくしていたので
あまり考えないようにしてきましたが
忘れていた感情と涙が溢れ出てきてしまいました。

その時は、母親は長くない命を悟って
父親を私に託しにきたわけですが
父親を残していく母親の想いと、
どうして今まで築き上げてきたもの全てを失って旭川に来なくちゃいけないんだという父親の理不尽な想いとのせめぎ合いの中で
私たち親子の旭川の生活がスタートし
その2ヶ月後に母親は亡くなり、親子揃っての生活はあっという間に終わり
父親との生活が始まったのでした。

そう考えると、良くも悪くも、父親との
思い出の方が多くなったのかもしれません。

すべてやり尽くしたつもりでも
最期の息を引き取る瞬間まで、手を取ってありがとうと見送れなかったことが悔やまれますが
それでも、まだ死に目に会えなかったご家族の方を思えば、幸せなんだとずっと言い聞かせてきました。

ですが、
3ヶ月近くたった今でも、突然死したその時に
何が起こったのか、出ない答えを探そうとし
父親に話しかける自分がいることも否めません。

夕張から東京へ転勤し、退職して千葉に家を建て、
母親の病気と共に、
娘にたちあげた事業をやめさせられ、
家も売り払われて旭川に来て(笑)
そして、2人のお骨が揃ったところで
またお墓のある千葉に帰されて
転勤でもないのに、あちこち振り回しちゃったなと、
どの道が一番良かったのかわからないけれど
ま、良かったのかな?と思うことにしています。

飛行機では、お骨を丁寧にシートベルトまでかけていただき、
目立たないようにと不織布もかけてくださいました。

受付カウンターから、搭乗口までお見送りいただき、空港スタッフの方にも感謝です。



これで、とりあえずは
母親との約束も果たし
娘としての役目をいったん終えられたことに
少し安堵しています。

交わした約束は絶対に守ることはもちろんのこと
そのためには、1日でも長く父親よりも生きることが絶対条件だったので
健康的にもヒヤっとしたことはありましたが、
なんとか無事に送り出せました。

とはいえ、安堵に浸っている間もなく
次々とこなさなければならない課題が続くので

まずは、5月まで突っ走ろう(げほっ)。