ごきげんよう〜もみママでっす💖
GWも後半となりました。
今日は、お天気が良かったので、
北海道大学のキャンパス内にあるカフェで
モーニングセットをいただいてきたのでした。
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さてっと
今日は少し、大人の純愛について語ってみようかしら。
純愛という言葉を聞くと・・・なんとなく皆さま、
白いワンピースに、そよ風に、
サンダルもって、砂浜を駆け抜けて?
「すき」と書いた文字に波がうちよせて ザザザザザ~~ ザップーン?
そして、そっと手を重ねるだけの恋を想像するかもしれないわね。
いわゆる
プラトニック・ラブ![]()
触れない。
踏み込まない。
乱れない。
静かに想い合う。
もちろん、それも美しい。
でもね。
もみママは思うの。
プラトニックだけが純愛。
触れない恋だけが美しい。
そう決めつけてしまうのは、少し偏った見方ではないかしら。
人間は、もっと泥臭いものだと思うのよ。
寂しくもなる。
触れたくもなる。
独占したくもなる。
不安にもなる。
会いたくてたまらなくなる夜もある。
そんな人間らしさを全部抜き取って、
きれいなところだけを並べた恋を、
本当に純愛と呼べるのかしら。
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肉体的な関係を持たず、心だけで繋がる恋。
それは、たしかに美しく見える。
でもその美しさの奥には、
実はとても人間臭い葛藤が隠れていることもあるのよね。
大人がプラトニックな関係を選ぶ時
それは必ずしも、
ただ清らかだから、という理由だけではないと思うの。
大切なものを壊したくない。
今ある心の居場所を、
生々しい現実で汚したくない・・・etc
そんな、臆病なほどの慎重さや、
切実な言い訳(自己防衛)があることもある。
面倒くささを一切、排除したものにも見えなくもない。
それを、
「きれいごと」と笑うのは簡単。
でも、大人になると分かるのよ。
踏み込まないことにも、
踏み込めない事情にも、
それぞれに痛みがあるのだと。
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ただし、そこには時として、
もうひとつの顔もある。
それは、
美しい標本のまま、関係をガラスケースに飾っておきたい気持ち。
触れなければ、壊れない。
踏み込まなければ、
責任を負わなくて済む。
生活の泥臭さを持ち込まなければ、
いつまでも美しいままでいられる。
そして、傷つかない。
でも、それは本当に愛なのか・・・?
それとも、
美しいところだけを眺めていたい、
大人の都合の良い美味しいところどりなのか。
そこは、少し考えたいところなのよね。
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プラトニックな関係は、たしかに美しく見える。
けれどその美しさは、
時に、薄氷の上を歩くような危うさを含んでいる。
一歩踏み込めば割れてしまう。
本音を言えば沈んでしまう。
触れたいと言えば、
関係の名前が変わってしまう。
だから、
「心だけで繋がっている」という言葉の裏には、
踏み込まないことで守られている緊張感もある。
それは美しいけれど、
同時に、とても孤独でもあるのよ。
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そして少し厳しく言えば、
プラトニック・ラブという言葉が、時に便利な逃げ道になることもある。
責任を負いたくない。
生活を変えたくない。
失うリスクを取りたくない。
でも、心の支えは欲しい。
美しい言葉だけは欲しい。
自分を分かってくれる相手は、手放したくない。
それを
精神的な繋がり
という美しい言葉で包んでしまえば、
どこか正当化できるような気がしてしまう。
でもね。
愛って、
本当に相手を大切にするなら、
どこかで責任の匂いがするものだと思うの。
結婚しなさいとか、
形を作りなさいとか、
そういう単純な話ではなくてね。
相手の心を動かしている以上、
その心を雑に扱わない責任。
寂しくさせたなら、向き合う責任。
曖昧なまま、
美味しいところだけを受け取らない責任。
それがないまま、
「これは純粋な心の繋がりだから」
と言われても、
もみママは少し首をかしげてしまうのよ。
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では、身体を重ねる恋は不純なのか?
もみママは、そんなことはないと思うの。
手を繋ぐこと。
抱きしめること。
キスをすること。
身体を重ねること。
それらがあるから、その恋が濁るわけではない。
大切なのは、触れるか、触れないかではなく、
どう触れるか?だと思うのね。
相手を雑に扱っていないか。
欲の中に、思いやりがあるか。
熱の中に、誠実さがあるか。
そこなのよ。
触れない恋だけが美しいわけではない。
触れ合っても、
そこに相手を大切に思う心があるなら、
それはちゃんと愛の一部になり得ると思うし
濁りがない。
純愛は、触れないことではなく、雑に触れないこと。
もみママは、そう思うの。
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大人になってからの恋は、そんなに単純ではない。
お互いに、
人生の履歴がある。
仕事もある。
家庭もある。
過去もある。
傷もある。
守りたいものも、
整理しきれないものもある。
だからこそ、恋が動き出すと、
心も一緒に大きく揺れることがある。
嬉しい。
会いたい。
不安になる。
寂しくなる。
笑ってしまう。
腹が立つ。
でも、また声が聞きたくなる。
あ~ら大変![]()
大人の恋は、
静かな湖かと思いきや、
意外とジェットコースターだったりするのよ(笑)。
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でもね。
ジェットコースターみたいな恋が、すべて危険だとは限らない。
ただ振り回されるだけの恋なら、
それは確かに疲れる。
でも、心が動くということは、
それだけ本気で向き合っているということでもある。
どうでもいい相手には、人はそこまで揺れない。
どうでもいい人の言葉で、
胸がいっぱいになったり、
一晩考え込んだり、
会いたいのに素直になれなかったりはしないもの。
揺れるのは、そこに心があるから。
傷つくのは、
大切に思っているから。
腹が立つのは、
本当は分かり合いたいから。
一般的にプラトニックラブと言われるものには、この心の動きがないと思うのね。
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静かな恋は、安心する。
波風がなく、穏やかで、心も荒れない。
それはそれで、とても素敵。
でも、静かすぎる恋には、
時々、躍動感が足りないこともある。
心が震えない。
言葉が残らない。
会いたくてたまらない夜がない。
くだらないことで笑い合う熱もない。
安心はあるけれど、
人生が動く感じがしない。生きている感じがしない。
大人になると、
この「心が動く感じ」が、とても貴重なのよね。
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もちろん、躍動感だけでは続かない。
刺激だけの恋は、そのうち人を疲れさせる。
だから、大人の恋には、安全バーが必要なのよ(笑)。
ジェットコースターに安全バーがあるように、
大人の恋にも、ちゃんと戻ってこられる安心が必要。
その安全バーとは、
誠実さ。
思いやり。
相手を失いたくないという気持ち。
そして、揺るがない一途な愛。
どれだけ心が揺れても、
その安全バーがあるから、
また笑って戻ってこられる。
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恋が本物かどうかは、
うまくいっている時だけでは分からない。
楽しい時に笑い合うのは、もちろん幸せなことだし
これは、誰もが当たり前にできること。
でも、少しすれ違った時。
相手の言葉に胸が痛んだ時。
自分の未熟さを見せてしまった時。
相手を不安にさせたと気づいた時。
その時に、
逃げるのか。
ごまかすのか。
開き直るのか。
それとも、
もう一度近づこうとするのか。
そこに、
その人の愛の形が出るのだと思うわ。
神様が二人をいたづらに試すわ。
「あなたたちの関係ってホンモノ?」ってね。
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プラトニックな恋には、
触れないからこその美しさがある。
でも、
触れないことで守られる美しさの裏には、
触れられない孤独もある。
一方で、
触れ合う恋には、熱がある。
でもその熱が、
相手を雑に扱うものであれば、
それは愛ではなく、ただの欲になる。
だから大切なのは、
触れるか、触れないかではない。
相手の心を大切にしているか。
その人を失いたくないと思っているか。
傷つけた時に、もう一度向き合おうとするか。
そこに、揺るがない一途な愛と誠実さがあるか。
ここなのよ。
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純愛は、
揺れない恋ではない。
揺れた時に、
相手の手を離さない恋。
何も起きない恋ではなく、
何か起きた時に、
それでも相手を大切にしようとする恋。
きれいな言葉だけで飾る恋ではなく、
不器用でも、
時々やらかしても、
それでも相手を失いたくなくて、
また手を伸ばす恋。
そういう恋こそ、
大人の純愛なのかもしれないわね。
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純愛は、
触れないことではなく、雑に触れないこと。
純愛は、
静かでいることではなく、
相手の心を大切にすること。
純愛は、
きれいなままでいることではなく、
揺れながらも、
相手を想う気持ちを失わないこと。
そして純愛は、
都合の良い美味しいところどりではなく、
相手の心に対して責任を持とうとすること。
そう考えると、
大人の純愛って、
案外、可愛くて、面倒で、色っぽくて、
そして、とても人間らしいものなのかもしれないわね。
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だから私は思うの。
大人の純愛は、
ガラスケースの中に飾られた、
触れられない美しいものではない。
美しい標本のまま、
誰にも汚されず、
誰も傷つかず、
ただ眺めているだけの恋ではない。
もっと温かくて、
もっと不器用で、
もっと泥臭くて、
時には笑えて、
時には面倒で、
時には胸が痛くなるほど愛おしいもの。
それでも、
相手を雑に扱いたくない。
失いたくない。
もう一度分かり合いたい。
そう思えるなら、
その恋はちゃんと純粋なのだと思う。
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安心だけでは物足りない。
でも、刺激だけでは続かない。
静けさだけでは足りない。
でも、熱だけでは壊れてしまう。
だから大人の恋には、
躍動感と安心の両方が必要なのよね。
心を動かしてくれる人。
でも最後には、心を預けられる人。
笑わせてくれる人。
でも、本当に寂しい時には、
ちゃんと心を見ようとしてくれる人。
そして、
どんなに揺れても、
最後には一途な愛と誠実さで、
もう一度こちらを見てくれる人。
そんな人に出会えたなら、
それは人生の後半に咲く、
とても贅沢な恋なのだと思うし、
人生のかけ甲斐もあるのかも・・・?
どうぞ皆さま、
ガラスケースの中ではなく、
ちゃんと温度のある場所で、
心が動く恋を大切になさってねん💖
