199. 2015 京都 11 | BACKUP 2024

BACKUP 2024

備忘録

 

 

 

9月22日朝7時過ぎ、チェックアウトを済ませ、荷物をすべて自宅宛送った。
すっかり身軽になりタクシーで瓢亭へ向かう。連休中ということもあり多少道が混んでいるかもしれないからと少し早めに出た。しかしまったく空いており早く着きすぎてしまった。時間まで周辺を散策する。

瓢亭の朝粥、良くも悪くも想像通りのものである。当然期待を裏切らない内容。そして朝食としては過剰だ。粥以外のものを三分の一にして料金半分にしたら私には丁度いい。しかしそれでは商売として面白くないのだろう。
そもそもは朝帰りの旦那衆が芸妓を連れて食べに来たと言うが、そんな彼らが朝からこんなに食う筈がない。今では観光客目当ての商売になっている。初めに金額ありき。価格設定に見合った内容にするとこうなった、というところではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

腹ごなしに歩く。
ホテル傍にあった佛光寺の墓所近く、坂の上にスサノオノミコトを祀る粟田神社があり、ここから知恩院裏手に抜けたかった。だが現在では道が閉鎖されてしまい、やむなく引き返す。
神宮通を行くと再び青蓮院のクスノキが見えてくる。知恩院を素通りし円山公園に入る。

オブジェかと思ったがまさかな。ヤツだ・・・やあ、また会ったな。

ここから高台寺へ向かう。

 

 

 

 

 

 

高台寺の竹林。
この上に千利休が建てた茶室があり、豊臣秀吉の正室・北政所(高台院ねね)がここから大阪城落城の火の手を見て涙したという。
この話を聞かせてくれたガイドがこの日庵に常駐していた。何故か若い中国人女性だった。留学生のバイト?
ところで北政所落涙の件だが、私はどうも信用できない。夫の死後、我物顔の側室とその女が生んだ子(ねねは真の父親が夫だと思っていたか?)の居城が燃え落ちる様を見て今更泣くかな。もし本当だとしたら、嬉し涙ではなかったか。尚、関ケ原で東軍に寝返り、西軍を敗北せしめた小早川秀秋は彼女の甥である。

高台寺の門を出、目の前の空き地で暫く少年二人のテニスを見ていた。
不思議なルールでどうやら仮想のゴールラインがあり、ボールが相手のそれを突破すれば一点らしい。
球が逸れ神宮通の方へ飛んでいく。追いかけてかけ出す二人。車が来たら危ないぞ。

 

 

 

 

 

 

さてこれからどうしようか。
予定では東福寺へ行くことになっていた。ここから結構距離がある。いい時間にもなって来た。よし、タクシーを利用しよう。
東大路はこの日も混んでいた。タクシーに乗り込む。
「観光でっか?」
そうに決まっておる。
「東福寺は紅葉で有名でんな。まだ少し早よおますがな」
まるで今東福寺に行くなんてアホちゃうかと言われているようだ。
「どちらから?」
不案内と思われて遠回りされたらイヤだなと思ったが「札幌です」と正直に申告した。まったく、イミグレーションの係官かと言いたくなる。
「それは、それは。遠い所からようおこしやしたな、おおきに」
そうと来る思った。よく喋る運転手氏に適当に相槌打って、大渋滞の東大路を行く。次第に面倒になり返事をしなくなるも、お構いなしに喋り続け漸く東福寺に到着。

 

 

 

 

 

 

札幌では見たことがないカマキリが、参道をゆっくり歩いていた。写そうと近づけば「なんか用か?」とふり返る。