188. 2014 横浜 横須賀 4 | BACKUP 2024

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備忘録

 

 

 

1933年に開業した現存する最古のジャズ喫茶「ちぐさ」。
1994年、創業者吉田衛氏が死去。その後も常連客らの努力で営業を続けたが、2007年ついに閉店となった。

 

 

 

 

 

 

ここからが凄い。
2012年、関係者の努力で場所を移し店が再開された。残念ながら私は吉田衛さんにお会いする機会はなかったが、よほどの人物であったのだろう。そして「ちぐさ」という店が、それほど多くの方に愛される店だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

経営者自身が、何らかの事情で店を移転したという話ならいくつかある。しかし、このような例を他に知らない。レコードや機材、椅子、テーブル、壁に掛けられたパネルまでもが、前の店をそのまま再現しているという。いったい誰が、どこに保管してあったのだろうか。
かつて数々の有名店があり、その多くが店を閉めた。なぜって、儲からないからだ。儲からないというよりも、店を維持出来ないほど売り上げが少ないからだ。
寺島靖国さんが吉祥寺で今も営業を続ける「メグ」(2018年閉店)。ご自身がよく書かれているが、来店者数が一桁という日がけして珍しくないのだという。「ゼロパンチ」の日だってあるかもしれない。全国に残る数少ないジャズ喫茶の多くが、きっとこんな調子で細々と営業を続けているのだ。
仮に平均10人のお客が500円のコーヒー(ちぐさの場合)を飲んで帰れば、売り上げは5,000円という事になる。ひと月休みなしに店を開けても15万。こんなんで続けられるわけないでしょう。
横浜滞在中私は二度この店に足を運んだが、誰が店主なのか結局わからなかった。もしかしたらそういう方はおらず、多くのファンによるボランティア経営によって維持されている可能性があると思った。一度目に伺った際は、三人のお年寄り(失礼、しかしまさしくそうとしか言い様がない)がエプロン姿で頑張っておられた。そして頃合いを見計らったように、ぶ厚いファイルを二冊持ってこられた。
「よろしければリクエストをどうぞ」
なんとも泣かせる話じゃございませんか。私はかつてこのように低姿勢なジャズ喫茶を、見たことも聞いたことも一度たりとてない。「営業努力」という四字熟語が頭に浮かんだ。
恐縮しつつ、ジョー・ヘンダーソンの「テトラゴン」をリクエストさせて頂いた。写真に写るスピーカーの素性を私は知らない。多分特注品ではなかろうか。なん十回聴いたか分からないという「インビテーション」が、我家の居間より狭いくらいの店内に流れた。完全に負けたと思った。だが、ひとつも悔しくはなかった。そうだろう、そうだろう、これだけの店だもの、これくらいの音が出るのは当然だ。

 

 

 

 

 


急に話変わるが、海上保安庁横浜基地隣接の展示館の内部である。
2013年に起きた奄美大島近海の不審船事件で、沈没した某国工作船と思われる船体を引き揚げて展示している。

不審船を発見した巡視船が停船を命ずるも、不審船はそのまま時速60キロの猛スピードで逃走。時速60キロというのはイージス艦に相当する船速だ。巡視船は停船命令を継続しつつ追跡を開始。しかし不審船は停船しない。巡視船は威嚇射撃を行い、ようやく不審船の停船に成功した。そして当該不審船に乗り込もうと接近した時だった。相手方が自動小銃による射撃を開始。これにより乗組員三名が負傷、これでようやく正当防衛射撃が可能となる。巡視船は相手船首部分(人員なしと考えられる)への20ミリ機関砲射撃を敢行する。これに対し不審船側からロケットランチャーが発射される。巡視船が相手船体後部への射撃(機関部つまりエンジン破壊を目的)を行う。逃げ切れない事を悟った不審船が自爆、自沈した。

 

 

 

 

 

 

上の写真は引き上げた船内から押収した自動小銃・ロケットランチャー等の武器である。
船体後部が観音開きのハッチになっており、上陸用舟艇が格納されていた。また、ハングル文字の辞書や金日成バッジ等も押収されている。しかし、不審船の乗員が全員死亡したため、事情聴取は一切できなかった。
某国工作員はこうした方法で、我国への様々な非合法活動を行っていたと考えられる。一連の拉致事件にもこのような工作船が使用されたのだろう。これが日本周辺の現実だ。そしてこの国を我々の知らないところで日夜守っている人たちの現実だ。彼らは(もちろん自衛隊もそうだ)相手に撃たれるまで、武器を使用することすらままならない。こんな気の毒な沿岸警備隊など、日本以外に世界中のどこを探してもない。