入院生活 後期 話さなくても友達 | 摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

中学生の時、神経性食欲不振症と診断され、その後、山あり谷あり、現在は、一見完治したかのような日々

ですが、食のこだわりあり。なんで私はこうなった?と思うこと時々。
摂食障害について考えようと思って書いています、もうアラフォーです、いやアラフィフか。

中学2年生のときに摂食障害で

入院したときのことを書いています

・・・・・・

秋からスタートした

4件目でのこの病院の入院は

年が明け、1月になりました

 

そのころだったかもう少し後だったか

わかりませんが

私の鼻の管も取れていて

外出もできていたので

1月以降だったと思います

 

病棟に女の子が入院してきました

1つ下で、病棟の中では

一番近い年齢でした

 

彼女は同じ主治医(精神科)

 

何の病気かはお互い話しませんし

お互い探ることもなくて

病室が同じでした

 

無理に話さないほうが

きっと居心地はいいだろう

という空気だったので

本当にほとんど話しませんでした

 

でも、一緒にご飯を下げにいったり

家はどこなのか話したり、

折り紙をあげたりもらったり

院内学級で何かするときはペアになったり

 

そんなに話さなくても

一緒にいました

 

私が食事をうまく取れなくても

彼女がふさぎこんで布団をかぶっていても

お互い干渉しないで

1ヶ月くらい一緒でした

 

彼女のほうが先に退院しました

 

退院してから

母から聞いたところによると

(親同士は話をするタイミングがあったみたい)

突然学校に行けなくなり

引きこもって誰とも話さなくなった

ということでした

 

 

退院後、手紙が来て

「○○ちゃんと友達になれてよかった」

と書いてありました

電話番号も書いてあったので

電話しました

 

一緒にいただけなんですが

友達っていうのが

うれしかったのと

 

彼女のことを主治医の診察で話すと

「○○さんは、あなたが治したようなもんだよ」

と言ってくれて

 

自分の存在がレベルアップしたような

気持ちになりました

 

だからと言って

自分の存在を認めることができて

病気が治ったという話ではないのですが

 

もう早く退院したい

という気持ちに変わっていきました

 

 

体重を33キロにしたら退院

あとは通院で許してもらいたい

という話を母からお願いしてもらいました

 

 

 

主治医からの返事は

「33キロになったら、ではなく

33キロ以上を10日以上キープしたら

考えましょう」

ということでした

 

私的には33キロという数字は

抵抗がありませんでした

 

33キロは受け入れることができる

数字、ということだったんだと思います

 

でも、35キロ以上は

受け入れることができて

いなかったようにも思います

 

それと、カロリーの数字からの呪縛は

解けていましたが

10割食べることへの抵抗はありました

 

おなかいっぱいまで食べると

消化できないイメージがありました

 

食べ物によっては

消化できないイメージがあって

口にすることができないものも

ありました

 

ひき肉とお米が特に

難しかったです

 

・・・・・・

 

この後33キロには結構すぐ

到達したんじゃなかったかな

と思います

でも、すぐには退院できなかったので

 

32キロに戻って

カウントがリセットされて

なかなか退院できなかったと記憶しています

 

つづく