入院生活 初期 まずは30kg | 摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

中学生の時、神経性食欲不振症と診断され、その後、山あり谷あり、現在は、一見完治したかのような日々

ですが、食のこだわりあり。なんで私はこうなった?と思うこと時々。
摂食障害について考えようと思って書いています、もうアラフォーです、いやアラフィフか。

中学2年生で拒食症になり

転院して4つめの病院でのこと

 

思い出しながら書いていきます

 

・・・・・

 

入院したのは小児科病棟

 

大きな総合病院だけど

 

ルールは厳しくなくて

 

面会時間も自由、

売店にいくのも自由、

当時携帯はもちろんなかったですが

公衆電話があって自由に使えました

 

長期入院の子が多く

外科系の子も、慢性的な内科的疾患の子も

いろいろでした

 

食事は、毎食、どのくらい食べたかは

チェックされますが

 

どの子もチェックされていて

私だけが特別チェックされてることは

なかったです。安心しました

 

 

私は、

がんばらなくていいよ

という精神科の先生の言葉と

 

週に1回体重チェックをするから

この危険な体重を脱せなかったら

鼻から管をいれて

栄養入れるね、という内科の先生の言葉を

 

頭の中でしっかり理解しているつもりでした

 

 

ちゃんと治したい気持ちもありましたが

正直「好きに食べれる!」という気持ちでした

 

結果、数日間、誰にも何も言われない状況下では

 

好きなものは食べれるけど

苦手なものがぜんぜん食べれなかったです

食べれるものが少ない、という感じでした

 

苦手なものがかなりあったと思います

 

体重測定ではやっぱり増えていませんでした

 

・まずは30㌔にすること

・鼻から管をいれましょう

・栄養を直接胃にいれるため

と説明を受け、鼻から管を・・

 

内科の先生の判断で

選択肢はなかったです

 

管を入れるなんて嫌だ嫌だ嫌だ

いつまで?

それはどういうもの?

説明もう少ししてほしい、

と思う一方で

自分が食べれないからいけないんだ、

黙って受け入れなければいけないんだ

と思っていました

 

そこからまずは30㌔を目標に

食べ始めますが

 

なかなか30㌔に到達しないまま

何日も管は取れませんでした

 

そのことが苦痛でした

 

でも、自分の体重が増えないから

自分のせいだから

こんなやり方いやだ、とはいえませんでした

 

管から入った栄養剤は胃に入るわけで、

それでおなかがいっぱいになるのに

プラスしてご飯を食べるのは

本当は正直、難しい!

それで食べれないって言われるのはやだ

という思いを

誰かに伝えたかったんですが

 

看護婦さんも優しく

主治医も優しく

周りの子達も普通に接してくれている空気を

壊したくないから

みんなの顔色を伺いながら言えずにいました

 

どうすればいいだろうか考えて

私は「何でも言ってね」と言ってくれていた

管理栄養士さんに

食べられるものを伝えてみよう、

同じ栄養を取るにはどうしたらいいかなど

相談してみることにしました

 

このことはいい方向に向かうという

期待がありましたが

 

最終的な結果としては

よくなかったです

 

つづく